「青の姫 The Blue Princess」第二十章 哲人(創作大賞2026ファンタジー小説部門)
第二十章 哲人 ー 戒める人
青はすりへった、古い石ただみを歩いていました。その先に、やはり石でできた巨大な門や柱が見えました。ずいぶん大きな町のようでした。
ーここでは何が見られるだろう。どんな人たちに出会えるだろう。
青はわくわくしながら、近づいていきました。
しかし進むにつれ、何かようすがおかしいことに気づきました。
ひとけがないうえに、壁や道はところどころくずれています。それらにはかすかですが、手のこんだ彫りものが残っています。とても古いことはたしかでした。
とうとう街の中心にたどりついた青は、驚きのあまり立ちつくしました。それはー 廃墟だったのです。
空に突き出して高くそびえる何本も柱の太さから見て、土台はとてつもなく大きいものでした。
ここは何かの場所だったのでしょうか。
その奥には、青草がおい茂る、広い野っぱらが広がっているばかり。忘れられた、古代の墓場のようでした。
草のかげにはごろごろと石が転がっていました。それらもよく見れば、さっきの門柱と同じように、何かが彫られ、かすかに字らしきものもあります。見たこともない文字です。
足元には四角い平らな石が、飛び飛びになって、かつて道だったらしいあとが残っています。
かつてここに、多くの人が暮らしていたのがわかります。
青はその道のあとをたどっていきました。それは高台へとつづいており、そこから見おろした光景に、青はあっと驚きました。
そこには何もなかったのです。
正しく言うならば、大きくひらけた土地には、中心にさっき見た柱や道のあとが見えますが、それ以外は、見わたすかぎり、白みを帯びた砂地で、家一つ、木一本、人っ子一人、見あたりません。
その白い土地はとても広く、かつては大きな都だったように思われました。
なぜならその一帯は平らで、直線で囲まれ、人間によってつくられたしるしが見てとれたからです。何かが突然消えたようなふしぎな空間です。
もう一度、近くで見ようと、青は降りていきました。
地面はさらさらして、灰のような感じでした。
しばらく白い空間を見ていると、何も見えなくなったように眼が痛くなります。あきらめて、もと来た村へ戻ろうとしたときです。
「わからぬまま去るか、旅人よ。」
突然、重々しい声が響きわたりました。
青は、びっくりして飛び上がり、周囲を見渡しました。
注意深く、眼を動かしていくと、少し離れた柱のそばに誰かが座っていました。
最初に気づかなかったのは、その人が白砂や朽ちかけた柱や石と同じ色の、ゆったりした衣をまとい、髪や長いひげさえも真っ白だったからです。
青がこの忘れられたような場所に入ってきた時から、そこにいたのでしょうか。
おそるおそる、近づいていくと、それはおそらく今まで出会った中で、もっとも年老いた人でした。
この老人が、この空っぽの町全体に響きわたるような声を出したのでしょうか。いや、そこに何もないからこそ、その声は響いたのかもしれません。
長い衣につつまれた小さなほっそりした姿、日に焼けた、かっ色の肌、ゆるやかに巻いた銀色の髪、髪と同じくらい豊かなひげがほおから口元をおおい、胸元までのびています。
おごそかで、気高い空気が、この人の全身から発していました。
その静かな姿の中で、二つの眼が鋭く燃えるようで、まばたきもせず、青を見つめています。
向き合ったまま立ち尽くしていると、老人は第二の言葉を発しました。
「盲にさせるのう、この無、というやつは。」
身じろぎもせず、白い大地を見つめる眼がさらに厳しくなったようです
。
「ここは一体、何なのですか。」
青は一番ききたかったことをたずねました。
「言ったであろう。無じゃ。」
「無、の前に、何があったのでしょう?」
老人は町に目をやり、しばらくだまっていました。
「無の反対、すなわち『すべて』があった。豊かにうるおい、栄えのきわみにたっした都。幸せに酔うた人間たち― 」
やはり、ここは大きな都だったのです。
「なぜ無くなってしまったのですか?」
「本当に知りたいか?」
「もちろんです。」
「それなら、わしがこれから話すことを決して忘れず、人々に伝えると約束せねばならぬ。」
この約束に驚きましたが、青はうなずきました。知らずにここを去ることは、もう考えられません。
「では、まず自分の前の土を掘ってみよ。」
青はその命令にますます驚きました。しかしだまって、ひざまずき、白いさらさらした砂を手で掘ってみました。
それは何かが燃えたもの、灰のようです。
どれくらい掘ったでしょうか。手ごたえがありました。そのかたまりを取り出し、砂をはらい、じっと見てみます。
青はとつぜんある考えにうたれ、あっと叫ぶと、のけぞって、手にしていたものを投げだしました。それは人の骨のかけらだったのです。
老人は驚きもせず、つぶやきました。
「もっと掘るのだ。そう、そのあたりがいい。」
青はいやいや老人が言った場所を掘りました。そうするしか、話をきく方法がなかったからです。
何かの建物の一部だったのか、からからに乾いた木切れ。あせてはいますが、あざやかな色のなごりがかすかに見えます。美しいもようのついた陶器のかけらは皿だったのしょうか。歯の残ったくしは女の人の持ち物でしょうか。そんな小さなものが白砂、いや灰の中にたくさん混じっているのでした。それらはあの柱と同じく、かつてこの都に住んでいた人たちがいかにすぐれていたか、豊かな暮らしをしていたかをはっきりと示していました。
青は掘るのをやめて、じっと老人の言葉を待ちました。
「旅人よ、名前ぐらいは耳にしたことがあろう。ここに栄えた、今は伝説となった、あの二つの大国を。」
そう言って、老人が口にした二つの国の名には、青も聞きおぼえがありました。しかし、それらの国がここにあったとは。
今まで、数えきれない土地を訪れ、さまざまなものを見てきましたが、「何もない」という場所は初めてでした。
「ほんの少し、言葉がちがい、おがむ神もちがったが、二つの国は隣りあって、緑にあふれ、水にも恵まれておった。およそ人がつくりうる中で、最高にたっした手工芸、世界のふしぎにかぞえられた建築の数々、商いはさかんで、人々は歌い笑い、大輪の花々のように、打ちあがる花火のように文化が花ひらき、泉のようにあふれ出ていた。
すぐれた部族からおこった、いく世代も重ねた王朝、名高い君主たち、もののふ、美姫たち、最高の技を競う者たち、あまたの才人を生み出した。
二国はちょうど、幼なじみの子供二人が競いあうように成長し、その中で互いに与えあい、伸びていった。多くの人々が両国の間を行き交った。幼ななじみがそうであるように、たまには争いも起きるが、すぐに仲直りし、また友好な関係に戻り、をくりかえしていた。統治するものたちも血を分け合い、親戚のようなものだった。
だがそのようにして成長し、どんどんと力を増していったとき、人と同じく、恐れやおごり、欲がつけいるすきができてしまった。治める者たちも、財産も、軍隊も、民衆も、すべてが増えすぎ、大きくなりすぎ、まとめるのがむずかしくなった。
そして二国とも、われこそが勝ると信じるほど、力は等しかった。
どちらが強いか、自分の力を見せつけて、相手をねじふせたくて、うずうずしていた。また相手の持っているものを欲しいとも思っていた。
いったい、戦いを欲する人間の性質とはなんであろうか。」
ここで老人は眼を閉じ、その閉じた目は遠い日々を見ているようでした。
「いつからともなく、互いにいくさのための力をたくわえ、機会を待っておった。戦をはじめるきっかけは何でも良いのじゃ。後になってみれば、誰も思い出せないか、なぜそんなことで、と思うようなことにすぎない。うそで理由を作り上げることもできる。民はそれを見ぬけない。
兄弟のように仲の良かった二国が、もっとも憎い敵となった。
はじめることはたやすい。だが一度はじまってしまえば、止めることはできぬ。この世でもっとも愚かな人間の行いである『戦争』を。
一度勝つと大騒ぎ、負けたほうはやり返すまで気がすまない。そのくり返しに、とてつもない金や力がつぎこまれ、すっからかんになるまで、相手を叩きのめすまでやめることはできない。人々は争いに心をうばわれ、もうきく耳をもたない。
すぐれて勇気ある強いものも、まきのようにどんどん戦争に投げこまれ、人々は生活をきりつめることばかり考え、今まで尊んでいた文化などくだらぬものとなり、金銀財宝は溶かされて武器になる。
気づけば、食べるものもない。国はすべてを失う。それでも「やめよう」という勇気、知恵はどちらにもなく、先に降参するくらいなら全滅するほうを選ぶ。それはあやまった誇り、勇気なのだ。その中で、命はいともかるい。男も女も老人も子供も動物も死んだ。
両国の力が等しかったゆえに、お互いに引かず、戦争は長引き、とうとうすべてが灰になるまで、やり尽くしてしまった。
終わったときには、支配者も、兵士も、民もいなかった。
どちらの国も、もはやない。はるかな時をかけて築き上げたものを、ほんの一瞬で破壊し、灰にしてしまった。相手を征服することによって、二倍の大きさを得ようとした二国は、一つの『無』になった。」
老人の語りはとぎれ、この「無の国」には鳥の声すらしません。おそろしいほどのしずけさ。ここは「死んだ国」でした。
「あれほどの文明をもちながら、戦争を止められなかったとは、いかなる謎か。戦さえしなければ、彼らは世界を導いたであろう。多くの人々が二国の滅亡を嘆いた。しかし、今はその悲劇も忘れ去られた。」
そのことを知っているのは世界中で、この老いた人のみのように思われました。事実、そうであったのです。
「忘却は何を意味するか?人間は、また一から築き上げ、やがて同じことをくり返すであろう。」
老人はその突き刺すようなするどい眼で、青をまっすぐ見ました。
「若き旅人よ。いつかわがこととして見るであろう。この愚かなくり返しを。」
老人の眼とかくれた口はあわれみと皮肉の笑みをうかべていました。
「まさか自分が、と思っておろう。だれでもそう思うのだ。戦争のはじまりには、誰も気づかない。それは平和に見えるときですら、はじまっておるのだ。今まで旅してきた国々が、今もぶじにあると思うか?」
青の心に、自分の生まれ育った小さな国がうかびました。
あの国が、青が出ていったときのまま、平和であるなどと、どうして思っていたのでしょう。いや、考えたこともなかったのです。戦争に巻きこまれて、すでに灰になっているかもしれません。そして今まで自分が通ってきた国々、出会った人々が戦争に巻きこまれ、この白い無のように何もかも焼き尽くされていないと、誰が言えるでしょう。
青は体をこわばらせて、自分の腕で体をおおいました。
「どうして人間はそんなに愚かなのですか。そのようなあやまちをさける方法はないのですか?」
その声は叫びになって、無の空間に響きわたりました。
「ないのですか、ないのですか― 」
それは老人自らが、ずっと考えてきた問いであったのでしょう。
腰をかがめて、灰をひと固まりつかむと、ぎゅっとにぎりしめて、次のしゅんかん、ばっとまきちらしました。灰は風にのって流れていきます。
「まず知ることだ。少なくとも知ろうとせよ。すべてはそこからだ。」
それはこの白い大地の声のようでした。また、かつてここに生きていた数えきれない人々の声のようにも思われました。
「知り、感じ、考える。そしてどんな形でもよい。行動するのだ。
人間は忘れる。それはわれらのさだめであり、変えることはできぬ。だが、誰かが伝えれば、誰かが知り、また伝える。そのようにして、記憶を、学びをつないでゆくことはできる。
知るものの言葉をきき、わがこととして感じることだ。想像力をもて。それこそが、体験せずして知るただひとつの方法だ。
戦争を起こすのは、己のことしか考えない者、考えることをおこたり、他を傷つける力に逃げる者たちだ。
学ぶ、ということは、同じ過ちをくり返さぬこと。一歩進んでたおれた人の、次の一歩を踏め。それが次の世代というもの。命をつないだ目的だ。己の命の意味を知れ。」
今や、老人は立ち上がっていました。背すじを伸ばしたその姿は、大きく、力強く見えました。
賢人は大地の底から響くような力強い声で語ります。
「知ること、考えること、伝えること・・・」
青は自らに刻むように、その言葉をくり返しました。
「知ること、考えること、伝えること・・・」
老人の方に目をやると、まるで最初からいなかったかのように、その姿は消えていました。
青は、足元の砂の上に青い木の芽が生えだしているのに気づきました。とても小さいけれど、力強く。
この老人がかつて、そこに栄えた二つの国のうちひとつの方の宰相であり、世界でも名高い大賢人であったことを、青が知るのははるか後です。
