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「青の姫 The Blue Princess」第八章 天使(創作大賞2026ファンタジー小説部門)

第八章 天使 ー 寄りそう人

ある村で、青はふしぎな建物を見ました。ほとんどの家は、れんが作りの屋根、戸が一つあって、窓が二つ三つある、平屋の家でした。しかし、この建物はそれらとはまったくちがい、青い円形の屋根をかぶった真っ白な円筒形で、壁に沿ってぐるりと、いくつも扉があり、その上に窓が一つずつ、ついていました。学校のようにも、教会のようにも見えます。

近寄っていくと、その扉の一つから、誰かが出てくるところでした。
白いゆったりした衣に身を包んだ若い男の人で、編んだ長い黒髪が胸元に伸びています。

この人は何者だろう?ここは何をする場所なのだろう?

青はその人に近づいて、あいさつすると、さっそくたずねました。

「ここは何をする場所ですか?あなたはこちらで何をされているのですか?」
「ここは私と村人たちのための家です。わたしはただ、ここにいるだけです。」
たずねる前より、もっとわからなくなりました。
その人は青の顔を見て、目をほそめて、ほほえみました。
「旅のお方ですね。今夜はこの村にお泊りですか?よかったら、この中の一部屋をお使いください。今日は誰もいませんから、あなたがよければゆっくりお話しましょう。今日はすてきなお天気です。あの木陰に行きましょう。」

木陰には小さな卓がひとつ、椅子がいくつか置いてありました。二人はそこに腰をおろしました。その人は遠い昔を思い出すように、村の風景をながめていました。
そして語り始めました。

「私は子供のころから、何をするのも飲みこみが悪く、のろまなので、他の子供たちから『のろ太』と呼ばれていました。」(そういうわけで、これから彼を「のろ太」と呼びます。)

「ほら」と、のろ太は、西の方向を指さしました。
「あそこに丘が見えるでしょう。子供のころ、私はあの上に住んでいました。」
そう言ったあと、しばらく丘をながめていました。遠い昔を思い出しているようでした。

「ずいぶん遠く見えるでしょう。毎日歩いて、この村の学校へ通っていました。しかし、私ときたら、読み書き、計算、かけっこ、なにをやっても、だめでね。みなと同じようにやっているつもりなのに、十回教わっても、できない。子どもたちは私をばかにして、仲間はずれにしました。ひどい言葉をあびせられ、たたかれたり、けられたり。あげくには本や鉛筆をかくされたり。
私はいつもひとりぼっちでした。人間がこわかった。物語に出てくる人を食う獣や、絵で見るおそろしい怪物よりもずっと。

そんな私をかわいがってくれたのは、母だけでした。父は、私が小さい時に病気で死んでしまいました。だから二人きりの家族でした。
ある日、学校の先生から母さんに渡すようにと、手紙をもらって帰りました。
母さんはそれを読むと、手紙を机の上において、両手で顔をおおって、肩を落としていました。そんな母さんは初めてでした。
私はひらいた手紙をのぞきこみました。次の言葉だけが読めました。
『お子さんは、少し足りません。』

何が少し足りないのだろう?なぜ足りないことが書いていないのだろう?
足りないのが少しだけなら、どうして母さんはあんなに悲しんでいるのだろう?
ちっともわかりませんでした。
私はいったいどんな悪いことをしたのだろう。小さなねずみになってどこかへ逃げてしまいたかった。

やがて母さんが顔をあげました。その顔はひまわりが咲いたみたいに明るく輝いていたので、私はびっくりしました。
『さあ、明日からは学校へ行かなくていいよ!』
まるで、明日が誕生日のようにはりきって、楽しげです。

『これからは母さんが先生になって、何でも教えてあげるよ。明日は畑で種まきをしようね。とっても大事なことだよ。』

もう、あのこわくて、苦しいだけの学校に行かなくていいのだ!いくら聞いてもわからない、先生の話を聞かなくていいのだ。むりに字をおぼえたり、数字と数字を足したり、引いたりしなくてもいい。いじめっこたちに会わなくていいのです。私はうれしくて、踊りだしたいくらいでした。

母さんと私の、二人だけの『学校』が始まりました。
母さんは作物のこと、天気のこと、木や草や花のこと、動物のこと、それからこの土地にずっと住んできた人たちや昔のことを、とてもよく知っていました。
それは学校で習ったのではなく、母さんもまた、母さんの父さんや母さん、おじいさんやおばあさん、村の人から教えてもらったことでした。おぼえの悪い私に、いやな顔をせず、何度でも話してくれました。母さんの手伝いをしながら毎日聞いていると、のろまの私もいつかおぼえてしまいました。
母さんはよく、こう言ったものです。

―まず、よく人の話を聞くことだよ。次に、自分でやってみる。できるようになるまでね。ほら、その眼で空を見てごらん。ほっぺで風を感じてごらん。手で土をさわってごらん。そうやって自分で感じることがいちばんたしかなんだよ。そうやっておぼえたことは忘れない。うまくいかなかったら、それもだいじ。だって、そのやり方はまちがってるってわかったんだもの。やっぱりうまくいったんだよ。

たくさん、速くやるんじゃなくて、少しでもいいから、ひとつひとつ、ていねいにやることだよ。そうしたら、たいていのことはできる。それから次へ進めばいいの。今日できなくても、明日はできるかもしれない。だいじなのはぜったいにやめないこと。

とても時間がかかりましたが、私ができることは少しずつふえました。
母さんの手伝いをしながら、丘の上の小さな畑を耕して、私は楽しく暮らしました。

それから何年たったでしょう。
ある日、一緒に畑を耕していた、母さんがふっと座りこんで、立ち上がれなくなりました。私につかまって、ようやく家に帰りました。
『ちょっと、つかれただけだよ。』
布団の中で、いつもの笑顔で言いました。
けれどその日いらい、母さんは起き上がれなくなってしまいました。
どこが悪いのかわからないけれど、母さんは病気でした。
日ごとにやせ、顔は白くなりました。けれど、その笑顔だけはいつもと変わらず、いいえ、いっそうやさしくなりました。

なぜ、村へお医者を呼びにいかなかったのか。
学校に行かなくなった私は、村のことなどまったくわからず、そんなこと思いも浮かばなかったのです。村はおそろしい、二度と行きたくない場所でした。

ある満月の晩、母さんは枕元に私を呼び寄せました。
『今夜は見事なお月さまだねえ。』
窓の外の月をながめて言いました。それから私の顔を見ると、今ではすっかり弱々しくなった手を、こちらに伸ばしました。私はその手を自分の手でそっと包みました。
母さんは長い間、私の顔を見つめていました。どれぐらいの時が流れたのでしょう。
最後にゆっくりと、けれどはっきり言いました。
『息子や。母さんは神さまのところに行くよ。』

とつぜん、目の前が真っ黒な雲におおわれた空みたいになりました。涙が雨のように眼からあふれでてきます。
『母さんがいなくなったら、どうやって生きていったらいいの?何もできない、ぐずでのろまなのに。』
母さんは、病気の人とは思えないほど明るい声で、こたえました。
『お前にはぜんぶ教えたよ。野菜も果物も作れるし、もう、なんだってできるよ。』

それでも泣いている私に、やさしい目が、とつぜん、しんけんになりました。
『母さんが教えたことを思い出してごらん。どんな小さなことでも― どんなことでもだよ― 一生けんめい、ていねいにやること。そして、誰にでも、ありがとうございます、と言うんだよ。そうしたら、何も心配することなんてないの。』

涙でよごれた顔を、両手でこすって、首をたれていると、私の頭にそのやさしい手をのせました。子供のころ、私が泣くと、必ずしてくれたように。
私の頭をなでながら、母さんはふしぎなことを言いました。
『ずいぶん大きくなったね、私の天使。もうひとりで飛べるはずだよ。母さんはいつもお前を見ているからね。おてんとうさまが照ったら、雨が降ったら、風が吹いたら、花が咲いたら、実がなったら、月や星がまたたいたら、鳩がお前の肩にのったら― それは母さんだよ。』

頭をなでられたまま、私は眠ってしまいました。目覚めると、母さんは眼を閉じてほほえんでいました。天国に昇ったのです。

丘の上に二人きりで暮らしていても、母さんがときおり村へおりていって、野菜や果物を売ったので、なんとかやっていけました。しかしもう、母さんはいません。

私は心を決めました。畑の作物をぜんぶん抜いてきれいにすると、家の扉をかたく閉じました。さいごに母さんのお墓に花をそなえて、袋ひとつをせおって丘を降りる一本道を歩きだしました。
学校をやめてから、一度も行っていなかった村に向かって。

いやがる足を一歩一歩前へ押し出すようにして、細い道をおりていくと、最初に見えたのは、とても小さな家でした。
もう長いこと母さん以外の人間とは会っていなかったので、心臓がどきんどきんと鳴りました。あいさつの言葉は何だったか、一生けんめい思い出そうとしました。
母さんが、『今日は丘の下に住む、おばあさんの家でおしゃべりしたよ』とか、『おばあさんの庭の花に水をやるのを手伝ってあげたよ』などと話していたのを思い出しました。きっとこれがそのおばあさんの家だと思いました。
きれいな花が咲いている庭が見えました。少しだけのぞいてみようと首をのばすと、花のかげの地面に、何かが見えました。体を曲げてもっと奥を見ると、それは人間の足でした。
誰かがたおれている、とわかるやいなや、私は庭に飛びこんでいました。
それは年とったおばあさんでした。まだ息をしています。

人間がこわいのも忘れて、おばあさんを抱きかかえ、家の中に運びました。
おばあさんを寝床にねかせて、しばらくようすを見ていました。そばには男の人の古い絵がかかっていました。だいぶ前に亡くなっただんなさんのようでした。
おばあさんのくぼんだ目がうっすらと開き、ぼんやりと私を見ています。
その唇が開いて、何かつぶやいています。耳を近づけました。
『ああ、天使さまがお迎えに来た。』

私はおどろきながら、水の入った茶わんを持って、おばあさんの体をささえました。
『人間ですよ。さあ、お水をどうぞ。』

私はおばあさんをそのままにして、行くことができませんでした。おばあさんのために、おかゆをつくったり、着がえさせたり、できるかぎりのお世話をしました。これは母さんにしていたことと同じですから、私にもできました。

おばあさんは、いつ天国からお迎えがきてもおかしくないようでした。私を見るとうれしそうにほほえみ、窓をあけて、花の咲く庭を見せてあげると、よろこびました。
青空の下、庭には鳥や蝶が飛んでいる、のどかな朝でした。
おばあさんの枕をなおしたり、手足をさすってあげて、そばにすわっていました。
すると、おばあさんが何かを言おうとしています。口元に耳をよせると、

『ありがとう、天使さま。』

そして眼を閉じて二度と起きませんでした。

私はおばあさんの死を伝えるために、次の家まで行かなくては、と歩きだしました。
やがて木に囲まれた赤い屋根がちらっと見えた、と思うと、ああん、ああん、と猫がなくような大きな泣き声がしました。声は家の中から聞こえてきます。
おそるおそる玄関まで近づいて、思い切って声をかけました。
『こんにちは。どうしましたか?』
返事はなく、大きな泣き声はやみません。
ついに私は庭から回って、あいた窓から家の中をのぞきこみました。
すると、ゆりかごの中の赤ん坊が火がついたように真っ赤になって泣き叫んでいます。そのそばで、小さな女の子もいっしょに泣いています。
私はあわてて、窓から入りこみました。まずは赤ん坊がぶじか、だきあげてみると、おむつがびっしょりぬれています。
女の子はただ泣くばかりです。
『父さんや母さんはどこにいるの?』
窓の外を指でさしました。窓からのぞくと、遠くに畑が見えました。とても小さく二つの影が見えて、いそがしくはたらいているのがわかりました。
この子には赤ん坊の世話はまだ早かったのです。
『さあ、大丈夫だよ。泣かないで。』
私は赤ん坊の新しいおむつを見つけて、とりかえました。女の子の顔をふいてやり、頭をなでて、台所から牛乳とパンをもってきて食べさせました。
ふたりをおいて、行ってしまうことができず、私はそこにとどまっていました。
やがて、夕方になりました。仕事でつかれきった農夫とその妻があらわれました。
妻は悲鳴をあげ、農夫は私を見るや、そばにあった、くまでをひっつかみ、私の方へ向けました。
『何者だ?子供らからはなれろ!』
私はまた人間がこわいことを思いだして、動けなくなってしまいました。
するととつぜん、女の子がぱっと飛びだして、私の前に立ったのです。大きな手を広げて。
『おじちゃん、いいひと。』

夫はふりあげたくまでをおろしました。
私は丘の上からおりてきたこと、家を通りかかると子供たちが泣いていたことを、話しました。

農夫は頭を下げました。
『すまなかった。子供たちをみてくれて、ありがとう。』

彼らはお礼にいっしょに夕食を、とさそってくれ、私はいったい何年ぶりなか、母さんいがいの人たちと過ごしたのです。
夫婦は、亡くなったおばあさんを墓地にまいそうすると約束してくれました。

そのようにして私は少しずつ、少しずつ村の中心へ進んでいきました。
村人たちはみんな、私が昔、村の学校から消えた少年だと知って、おどろきました。そして母さんが亡くなったことを悲しんでくれました。そして感心しました。
『あののろ太がこんなに大きくりっぱになるなんて。お前のおっかさんはたいした人だ。』

けれど、学校の屋根が見えたとたん、私はまた足がすくんでしまいました。あそこにはまだ、いじめっこや、私には何か足りないと言った先生たちがいるような気がしました。

やっぱり村に来なければよかった。

私は人けのない方へ逃げるように、村の中を流れる川へと向かいました。
緑色のじゅうたんのように草が茂った川岸に降りてくと、そこに誰かが座っていました。どきっとしましたが、注意ぶかくながめると、それは大人の男の人でした。
その人はひざをかかえて、川をじっと見つめていました。その背中は、ひとりぼっちだと言っているようでした。
私は仲間を見つけたような気がして、その人に少しずつ近づいていきました。
とうとうとなりに立ちましたが、相手はこちらを見ようともしません。その横顔を見ると、この世の終わりを待っているかのような、ぞっとするほど悲しい眼をして川を見つめていますが、何も見てはいないようでした。

私はだまって隣に座りました。とうとう日が暮れました。今夜は月も見えません。
とつぜんその人が立ち上がり、川に向かって、飛びだしました。私もひっぱられるように、後を追いました。
彼が川に飛びこもうとしたそのときです。私は相手の体にむちゅうでしがみつき、なにがなんでもはなすまい、この人を川に落とすもんかと、ぐいぐい草地の方へ引っぱりました。どこからあんな力が出てきたのしょう。その人もすごい力で私をつきとばそうとします。けんかのようになって、いっしょに草の上にたおれました。
ふたりともはげしく息を切らして、横たわっていましたが、やがて、その人はおいおい、と大声で泣きはじめました。まるで子供のように。

私はずっとそばにいました。一番暗い真夜中も。どれだけの時間がたったのでしょう。とうとう、空が明るんできました。闇は一秒ごとに光と色に場所をあけわたし、とうとう黄金色の朝日が姿をあらわしました。

その人ははじめて私をまっすぐに見ました。
とつぜん、その顔を前に見たことがあるような気がしました。相手も何かを感じたように、私を見つめています。
その眼が、昔、学校で私をいちばんひどくいじめていた少年の眼にかさなりました。
何も言わぬまま、私たちはおたがいを思いだしたのです。

彼は、いきなり地面につっぷしました。全身ふるえています。耳をすますと、とぎれとぎれの声がしました。
『ごめんなさい。ごめんなさい。』
その言葉を言いつづける彼の腕を、私はつかんで、顔をあげさせました。
『わかりました。』

かつて私が一番おそれていた少年は、今は体をちぢめて、ぽつりぽつりと話してくれました。

子供のころ、父親がひどい酒飲みで、家にお金もなく、しょっちゅう母親や、自分、きょうだいをなぐったこと。子供の彼にはどうすることもできず、ずっとがまんしていたこと。そして、やさしくて弱そうな私を見ると、その怒りをぶつけてしまったこと。
成長すると、いつしか自分も父親のように酒を飲むようになり、妻や子供たちをなぐったこと。家族も友達もいなくなり、今はひとりぼっちで、仕事もない。そんな自分がいやになり、死のう、と決めて川に来たこと。

『おれに仕返ししたいだろう。気のすむまでなぐってくれ。』
あきらめたように顔をつき出しました。

なぐる代わりに、私は彼の手を取り、立ち上がらせました。
『さあ、川の水で顔を洗って。奥さんと子供さんのところに行くのです。そしてさっき私にしたように、ひざをついて『ごめんなさい』と言ってください。あなたが傷つけた人全部の所に行って、同じことをするんです。それが終わったら、あなたと家族のために、ひとつひとつの仕事をていねいにやりましょう。今度はごめんなさい、のかわりに、ひとりひとりに、ありがとう、と言ってください。あなたの本当の『家』をつくるのです。決してこわれない、あたたかな家を。』
彼はだまって聞いていましたが、やがて川に降りていき、涙にぬれた顔を川の水でばしゃばしゃと洗い、戻ってくると、私の手を強くにぎりました。私もにぎり返しました。それから彼は、ほとんど転ぶようにかけていきました。」
のろ太は話しながら、また指さしました。
「ほら、あの川ですよ。」

「そんなふうにして、私は毎日、村の誰かに出会い、私にできる小さなことをやっているだけです。今も文字を書いたり、数字を数えることは苦手だし、仕事らしい仕事もありません。

この家はどうして出来たか、ですって?
ある日、村一番、腕の立つ大工がやってきて、この家をたててくれたのです。少しでも手伝おうとしましたが、へまばかり。手を出すな、と叱られました。
できあがったりっぱな家にぎょうてんした私は、大工に追いすがってたずねました。
『お金も仕事もないわたしに、どうしてこんな家を?誰かにたのまれたのですか?』
もじゃもじゃ髪とひげの大工は、道具を片づけながら、ぶっきらぼうに言いました。
『村のみんなさ。あんたに村にいてもらうにゃ、家が必要ってことになった。』
『私が何をできるでしょう?ごらんのとおり、何をやらせてもだめ人間です。』
なおも言うと、大工はしばらく考えているようでした。
『おれも家を建てること以外は、からきしだめだからな。あんたは、ただここにいて、みなを見守ってくれりゃいいのさ。俺たちが働くのを遠くから見て、子供たちと遊んでやって、年寄りの話をゆっくりきいてやってくれ。病人は時々みまって、悲しい顔をしているやつがいたら、どうしたのかいって、たずねてやってくれ。なぜかって?おれたちにはできないからだよ。毎日いそがしいし、心にゆとりってやつがないからな。』

まだ信じられない私に、大工はにやっと笑いました。
『それがあんたの仕事ってこと。おれはおれの仕事をした。さあ、帰って一杯やるとしよう。』

村の人は誰でもここにきて、好きなだけすごせるのです。ここはみんなの家なのですから。
私と話したいという人がいれば、なんでも聞きます。話したくないなら話さなくてもいい。ひとりでいたいなら、そっとしておきます。
私はきいたことや見たことを誰にも言いません。
あなたは一夜の旅人で、ここを去る方。私の話を聞きたいとおっしゃるので、お話してしまいましたけれど。

あるとき、親に反対されて、別れてしまった恋人たちがここへ、夜遅くやってきたことがありました。他に二人きりになれるところがなかったのです。私はだまって、ひとつの部屋へ案内しました。翌朝、ふたりは手をつないで出ていきました。その後、しばらくして村で結婚式がおこなわれました。今は子供もたくさんいてね。ときどき村で会うと、わたしたちはこっそり目くばせするのですよ。」

そのとき、歌声がしました。子供たちのむれでした。親たちから持たされた食べ物や、生活に必要なものをもって、よく、のろ太のところにやってくるのでした。
子どもたちは、のろ太の手をとって、踊りはじめました。

天使さん
いつもにこにこわらってる
うれしいことあったら聞いとくれ
いっしょに歌って遊んどくれ

天使さん
いつもしずかにみんなを見てる
転んでひざこぞうすりむいたら なぐさめとくれ
いじめられて泣いたら頭なでとくれ
なにもなくてもそこにいとくれ 天使さん

子どもたちは、野菜や果物をのろ太におしつけ、笑いさけびながら、行ってしまいました。
気づくと、のろ太の肩に一羽の白鳩がのっていました。
天使は白鳩を見つめて、ほほえみました
「ありがとう、母さん。」
鳩がこたえるように、くくっ、と鳴きました。

どんな小さなことでも― どんなことでもだよ― 一生けんめい、ていねいにやること。そして、誰にでも、ありがとうございます、と言うんだよ。そうしたら、何も心配することなんてないの。

青もまた、この言葉を胸にきざみました。それを心がけると、困ることも、心配することもほとんどなくなったのです。


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