「青の姫 The Blue Princess」第四章 踊り子(創作大賞2026ファンタジー小説部門)
第四章 踊り子 ー 舞う人
小舟はとうとう最後の渡し場につきました。
青は舟から降りると、そこからどこかへ続く細い道を歩いていきました。やがて道ぞいに家がひとつ、ふたつと見えてきました。道はだんだん太くなり、気づくとそこは村の入り口でした。
城から出ていらい、初めて見る村です。
ここはまだ自分の国なのだろうか?
青は自分の国がどこからはじまり、どこで終わっているかすら知りませんでした。
この村の人々は、青姫としての自分のことを知っているのだろうか?
急に自分の青い瞳が国の中でも有名であることを思い出し、気づかれるかもしれないと、こわくなりました。目を閉じていられたらどんなによいか。しかしそれだけはできません。
青が村に入るのを迷っていると、一人の村人がこちらへ歩いてきました。お百姓のようです。青をちらっと見ると、その青い服にいっしゅんけげんな眼を向けましたが、よそ者と見なしたらしく、そのまま行ってしまいました。青は、今の自分がまるで王女には見えないということに気づきました。ただ青い眼に気づかれないように、なるべく下を見たり、眼をそらすようにしました。
まだ朝早いせいか、村の中はしんとしています。そのまま村の外れまで歩いて行くと、広い草地が広がり、そこにはでな色をした大きな天幕が張ってありました。そばには馬やろばにひかせる車輪のついた小屋がたくさんとまっていました。
小屋のまわりには、やはり色とりどりの衣装を着た男や女が立ったり、座ったりしています。村人とははっきりちがうとわかります。
近づいていくと、天幕には大きく「世界の驚異 最高の芸をごらんあれ」と書いてありました。いろんな見世物をする旅芸人の一座でした。
青の頭にあることがひらめきました。
ここで、やとってもらえないだろうか?
小屋のまわりにいる一座の人々にたずねると、親方に会ってごらん、と、ある小屋をしめされました。一座をひきいるおかしらのようです。
戸を叩いても返事がありません。何回も叩くと、ようやくきしむ音を立てて扉が開きました。ぬっと出た顔は、日焼けした肌に深いしわが刻まれ、鈍い色ににごって片方の眼は、動いていませんでした。思わず、たじろぐようなきびしい顔です。その肩には青が見たこともない小さな動物をのせています。
もう一方の眼は、たるんだまぶたの下から、並の二つ眼よりも鋭く青を見ていました。
「何の用だ。」
青はていねいに、自分が旅人で、働き口をさがしている、ここでやとってもらえないか、とたずねました。親方は青を、頭のてっぺんからつま先までなめるように眺めました。
それから腕を組んで、ぶっきらぼうに言いました。
「何ができるんだ。」
青はこのときほど、頭の中にあるものをふりしぼって考えたことはありません。
自分はここで何ができるのか。城で学んだことを必死に思い出そうとしました。
「踊れます。」
やっと口から出たのはそれでした。
城にいたとき、習っていた舞踏は、いつか花婿になるかもしれない王子たちと踊るためだけの「たしなみ」でした。老臣たちを相手に、左足、右足と交互にゆっくりと動きをくり返すだけで、たまらなく退屈でした。ただ、踊りの中でわずかに飛び上がったり、くるりと回転するところ、そこだけは楽しかったのです。若いしなやかな脚はうずき、突然高く上がったり、拍子をとったり、勝手に動くことがありました、そんなとき、踊りの教師は首を振りました。
「それはいけません。はしたないことです。」
城の見晴台に座って、下を眺めているとき、時おり、村のほうから結婚式や何かの祭りの音楽が聞こえてくることがありました。青はそのよくきく目で、人々が踊っている小さな姿を見つけることもありました。それは、教師が「はしたない」というにちがいないものでしたが、青の脚は自然に動き出し、かすかに聞こえる音楽に合わせて、まねして踊ってみることもありました。村人たちの中にいるつもりで。
気づくと、親方のそばにひとりの娘がいました。
年は青と同じころ、薄い布でできた衣装の下にすけて見える手足はしなやかで、浅黒い肌に真っ黒なちぢれた豊かな髪がふわふわとゆれています。甘い汁でも出る草の茎をかみながら、口元は笑っています。髪のかげからのぞく大きな眼は、黒曜石のようにきらきらして、青をおもしろそうに見つめていました。人間の娘と言うよりも、野生の動物、若い黒ひょうのようです。けがをしているらしく、片方の足首にぼろをまいていました。
二人は小屋の前の木箱に腰をすえると、親方は杖を小さく、なげやりにふりました。「やってみろ」の合図だとわかりました。
音楽もありません。衣装もありません。格子がえがかれたきれいな床も、一緒に踊ってくれる大臣たちもいません。
でもやるしかないのです。
教師に教えられたしずかな踊りに、自分が好きな回転や飛びあがりを思いきって加え、村人たちの踊りも混ぜて、自分の踊りたいように踊りました。
これが「即興」というものだということを、青は知りませんでした。城ではそのようなことはいっさい許されなかったのです。
二人は身うごきもせず、青を見ています。
手の指先から、足の高さまで、すべてを使って。全身から汗がふきだし、したたりおちました。
青は、このとき初めて「踊った」のです。
やがて体が自然に止まりました。これ以上は踊れません。身をかがめて、手と足を優雅にひろげて、お辞儀をしました。それは城で、教師から厳しく身につけさせられたものでした。
青は知りませんでしたが、この「お辞儀」は、やんごとなき人々しかできないものでした。
顔を上げると、親方は顔色一つ変えず、青を見つめていましたが、やがて立ち上がり、くるりと背を向けて自分の小屋へ入ってしまいました。
自分の踊りなどお話にもならないのかーと、目に涙がにじんだとき、ぱんぱんぱん、と手を鳴らす音が聞こえました。あの娘でした。顔にはさっきよりもじつにゆかいそうな大きな笑みが浮かんでいます。
「ついといで。」
娘は青の前を歩き出しました。あわてて追いかけながら、きかずにいられません。
「私の踊りはどうでしたか?親方さんにはつまらなかったのでしょうね?」
「さあて、そうでもないだろうよ。」
青は娘の意外な返事にむちゅうになって、またききました。
「どうしてわかるのですか?」
「終わりまで見てただろ。親方は最初の脚のひとふりだけでわかるさ。」
娘はふり向くと、突然にやっと笑いました。
「とにかく、あたいは好きだよ、あんたの踊り。あんたってば、お姫さんみたいに踊るね。もっとも、お姫さんとやらを見たこともないけど。」
芸人や道具をつめこんだ荷馬車をいくつも通りすぎ、とうとう小さな古ぼけた小屋の前で娘は止まりました。入ると中は薄暗く、眼がなれると、色あざやかn衣装や、羽根かざりやら、鈴のついた手打ち太鼓やら、けばけばしいがついたリボンやらが部屋のかべや床をおおっています。
その中に、娘の寝床がありました。
部屋を見回している青に、娘が言いました。
「今日からここがあんたの部屋。せまくても文句言いっこなしだよ。あたいの場所を半分あげるんだから。」
「あんたってば、運がいいよ。あたいが、こんなだからさ。」と娘はぼろきれを巻いた足首をちょいと上げました。
「こないだ、踊ってるときにひねっちまってね。これでも一座の稼ぎ頭だからね。親方も困ってたんだ。」
娘は布がつみ上げられた山の中から、ひょいひょいと、布や道具を引き出して、青に当てたり、はなしたり、楽しそうです。
「さ、こんなもんだろ。」
満足そうに笑い、ひびが入った古い鏡の前に青を立たせました。
金色の紙でできた冠、まがいものの青い石がじゃらじゃらついた耳飾りと首飾り、何重にもなった腕飾り、やけにぴかぴか光る青い布を体にまきつけられています。
それは城にいたころ、たまに王様が宴の余興に呼び寄せた道化にそっくりでした。王や家臣たちが見たら気絶してしまったでしょう。
今は何でも受けいれるしかありません。そう、ここでは、青はまさに道化なのですから。
とうとうその日がきました。天幕の前の大きな看板に書かれているのは、
「姫さま踊り」。
そんな名前をつけられるのはいやでしたが、親方が決めたことにはさからえません。
踊りの最後には必ずあのお辞儀をするように、と命じられました。
やってきたのは村人たちです。つかれる農作業の合間に、たまにやってくる一座の芸を見るのは、村人たちの数少ない楽しみでした。
世界中のどこから来たかわからない人々が、ひとりひとりちがう芸を見せます。十人ほどが組み合って、高い塔を作ったり、くにゃりと曲がって箱に入ってしまう男。はじける鞠のようにとんぼ返りをする者や、高いところにあるぶらんこに乗って、手をつないだり、そのまま相手にぶら下がったりする男女の空中芸。人が中に入っているのかと思うような馬や猿などの動物たちの芸。綱わたり、輪くぐり、火や水を使った芸。自分の手足のように二輪車や三輪車をあやつる芸。煙とともに人やものが消える手品。未来を占ってくれる占い師もいます。
天幕の中はまったくちがうひとつの世界でした。そこではふだん見ることのできない人や動物、魔法に時を忘れてしまいます。
「さあさあ、やんごとないお姫さまが踊るよ。めったに見られないよ。」入口で客をさそう声がひびき、さそいます。
とうとう出番がきました。青の心臓は胸から飛び出しそうです。
ゆっくりとした竪琴の調べが流れました。真っ暗な舞台の真ん中で、光の中に浮かび上がった青。音に合わせて、ほっそりした手や足が舞いはじめます。
王冠は金髪の光かがやき、青い石の首飾りや腕輪、青い衣は体の動きをこれ以上なく引き立たせました。あのにせものの道具が、今は本物にしか見えないのです。まるで青空の一片が妖精になって降りてきたようです。青い蝶が舞っている、または青い人魚が海の底からあがってきて、泳いでいるようでもあります。
青姫があのお辞儀をして顔を上げたとき、人々ははっと息をのみました。
その二つの青い瞳が、宝石のように輝いていたのです。
「なんと見事な眼だろう。」
誰かがつぶやきました。
小さな子供が叫びました。
「青い、青いおめめ。」
人々は拍手かっさいしました。
「本物のお姫さまの踊りってのは、こんなだろうねえ。」
母親たちは顔を見合わせて言いました。
この村で一番年寄りらしい老婆がとつぜん、話に加わりました。
「娘っこのころ、王さまの戴冠式があって、お城の前の広場でお祝いの踊りを見たっけ。お妃さまやお姫さまたちが踊ったのに、よく似ているよ。きれいだったねえ。この踊りは、あれに比べるとだいぶ元気がいいようだけどね。」
青に見ほれている青年たちを見て、村娘たちは青の手ぶりや、歩き方をまねはじめ、村の女性たちの中では青いものを身につけることがはやりはじめました。
踊り子の娘も感心して言うのでした。
「どうやったら、そんなにふうに静かに動いたり、おしとやかにできるんだい?あたいにゃ、逆立ちしても無理だ。でも、あんたが飛びあがったり、回るとこも悪くない。」
やっと娘の足も治ったようでした。
その日は、青のあとに娘の踊りが入ることになりました。
自分の踊りを終えた青は、見物席の後ろにそっと立ちました。
娘は舞台の真ん中で後ろを向いて、ちょっとのあいだ彫刻のように動かなくなりました。
とつぜん太鼓がぽん、と高く鳴りました。
音と拍子が空中に響いた瞬間、娘の体がびくりと動き、しゃりん、と鈴の音がなりました。足につけた飾りが鳴ったのです。娘がくるりと一瞬で体を回転させ、その黒い瞳がきらりと光りました。
そこからはまばたきもできません。足、手、首、腰、肩、ひざ、指先、すべてを使って拍子をとり、踊りだしました。飛ぶ、跳ねる― 黒ひょうのようにしなやかな手足は、人間とは思えないほどしなやかです。ひとつひとつの動きは、そのときだけに生まれ、二度とくりかえしません。眼もとまらぬほど速さで回り続けるかと思うと、突然止まり、またいきなり爆発するように動きはじめます。体につけた鈴の音が重なり、揺れ、さざなみのように、または、人々の心を叩くように鳴ります。次に何が起きるかまったくわかりません。あのふわふわした髪のひとすじも、踊りの一部なのです。娘がそうしようとするのではなく、風や火、太陽、雨、海、そういう自然の力が、突然娘の中に入って、激しく動いていて、娘はただ体をかしているだけ、というふうでした。
母親の胸に抱かれた赤ん坊から、老人まで、誰もが口をあけたまま、時を忘れて魅いられています。
それは突然終わりました。
娘は一陣の風のように舞台をかけぬけると、観客はしばらく、ほうけたようになっていまいた。それからいっせいに立ちあがり、わっと叫びが上がり、拍手、口笛の大かっさい。興奮して、踊りだすものもいます。
青はもちろんその一人でした。拍手することも忘れて、ただ体がとても熱くなりました。
これこそが踊りだ。この人こそ、踊り子だ。
あとで、青が踊り方を教えてくれないかとお願いしても、娘は「へえ、あたい、そんなことしていたのかい?何にも覚えてないよ。」と首をかしげるばかりでした。
「踊っている間はね、ただ気持ちいいんだ。風とか、おひさまとか、青空とか、みんなととけあったような感じがするよ。」と笑いました。
「だいたい踊りって習うもんなのかい。あたいは習ったことなんかないよ。歌が聞こえたり、楽器がなると、もう手や足がかってに動いちまう。じっとしてられないんだ。赤んぼのころから、母ちゃんが洗濯や料理したり、父ちゃんが薪を割るのに合わせて踊ってたってんだって。あるとき、あたいの村にこの一座が来たんだよ。楽しくって、この一座のみんなにくっついて、踊ってたのさ。そしたら親方が舞台に上げてくれたんだ。それで踊ったら、お客さんたちは大喜びさ。一座が行ってしまうとき、あたい、泣いて、一緒に行くって言ったんだ。父ちゃんと母ちゃんは最後に許してくれたよ。『この子は踊りの神さまにあげたと思おう』ってね。
これを踊り、って呼ぶのもわからない。あたいにとっては、息をするのとおんなじ。だから、踊るな、って言われたら、死んじまうだろうね。」
娘はいつものように草の茎を吸いながら、遠くを見ながら話しました。
「音楽は、なんだっていいんだ。風、雨の音、鳥の声、自分で手拍子したり、口笛吹いたり、ぜんぶ音楽だよ。」
そう言って、けたけたと笑いました。
またこうも言いました。
「あんたの踊りはあんたの踊り。あたいのはあたいの。他の人にゃ、踊れないよ。みんな自分の踊りを踊るんだ。それが一番いい。」
村から村へ、町から町へとわたり歩き、人々を楽しませるために、一回かぎりの踊りを踊る。それはその時だけの踊りで、風に吹かれるちりのように、消えてしまいます。ただ見た人の心にだけ残ります。
二人の少女は、姿も性格も踊りも、まったく正反対でした。観客たちは二つの踊りとも楽しみます。いくつかの村を回るうち、いつか青は一座の一人として欠かせなくなりました。
それは、ある村のひとつでの公演を終えるころでした。村から出る道はふたてに分かれていました。一座は次の大きな町につづく、広くて平らな道を行くことに決まっていました。しかし青はもう一つの、より細い、くねくねと曲がっている道が気になりました。村人に聞いたところ、それはずっとさきの村への道で、そこまではいく日いく日もかかるということでした。
青にはなぜだか、それが自分が行くべき道だと感じました。
ある夜、いびきをかいて寝ている娘のとなりで、青は眠れずにいました。そっと小屋を出て、星のまたたく夜空を見あげました。
「行くんだろ。」
すぐ隣で声がしました。娘でした。
黒髪に黒い瞳の娘は暗闇に溶け込んでしまっていましたが、その声ははっきりと聞こえました。
「あんたはお姫さんだね。」
青が何も言えないでいると、娘は笑いました。
「踊りってのはさ、ぜんぶ出ちまうんだよ。あんたは踊り子じゃないって、最初からわかってたよ。とにかく、行かなきゃいけないんだね。みんなが起きる前に出ちまいな。親方にはあたいがうまく言っておいてあげるよ。」
踊り子は自分の足首から鈴がついた飾りをはずして、青に手わたしました。
「その踊りなら、困ったときにゃ、ひと稼ぎできるよ。そのときはこれをつけるといい。動くたび、きれいな音がするからね。そいで、あたいのこと、ちょっぴり思い出してくれたらいいな。」
ふたりはしっかり抱き合いました。
夜が明けるころ、村を出る細いくねった道を、小さな青い姿がぽつんと進んでいくのを、村人のひとりが見たそうです。
