見出し画像

「青の姫 The Blue Princess」第十二章 走者(創作大賞2026ファンタジー小説部門)

第十二章 走者 ー 駆ける人

空と大地。
二つを分ける地平線がはてなく広がり、その真ん中に一本の道がどこまでもまっすぐ伸びています。青はそんな道を歩いていました。
もう何日も、家一つ、人っ子一人見ていません。一人旅のつねとは言え、すこし心細く、たいくつでした。この道がどこまで続いているのかすら見えません。ひたすら歩くしかないのです。
「ああ、この長い道を一気に走りぬけられたら。」そう思ったときです。
かろやかな、かわいた音が後ろに聞こえたような気がしました。
たっ、たっ、たっ。地面をふむ音。はっとふり向いたしゅんかん、すぐとなりを、さっと影が通りすぎました。
とつぜん目の前に現れたのは、黒いちぢれ毛の頭と、陽の光に黒くかがやく、ひきしまった体。いっしゅん動物かと思ったほど、しなやかで、力強い走り。それはひとりの、走る男でした。

もうれつな速さで走っていく背中は、どんどん遠ざかっていきます。
あっけにとられた青は、考えるひまもなく、その人を追いかけて、自分も走りはじめました。
しかし、いつもの走り方ではとうてい追いつけないどころか、どんどんはなれていくのです。いったいなぜ、そんなに急いでいるのでしょう?とにかく言葉を交わさなければ、と、力をふりしぼって、追いかけました。昔、城で暮らしていた頃は、王女たるもの走るなど、はしたないと、禁じられていたのですが、あの宴で出会った旅人が言ったように、青はたいへんよい脚を持っていました。
めいいっぱい歩幅をひろげ、これ以上はできないというくらい足を速めて、ようやくその人に近づくことができました。
もう息をするのもやっとの中、短く叫びました。
「ちょっと、待って、くだ、さい。」
聞こえているはずなのに、男はまったく走りをゆるめません。
「なぜ、走って、いるの、です、か。」
こちらの言っている言葉がわからないのだろうか。話すつもりがないのか。あきらめかけたとき、まったく乱れない、機械のように規則ただしい呼吸の合間に、息をするのと同じような、かすかな声が聞こえました。
「走り、たい、から。」
やっぱり聞こえていたのです。
「ちょっと、だけ、止まって、くれ、ません、か。」
「でき、ない。」
男は、速度を落としたくないのか、片言しか発しません。
「な、ぜ。」
「今日、は、昨日より、早く、走れて、る。」

この人を止めることはできないと、さとった青は自分もできるかぎり、走ってついて行こうと決めました。
その人のように背すじをまっすぐのばし、腕や足の動きを合わせました。足の動きに合わせて腕を小きざみにふります、呼吸もそろえます。足は地面につくとすぐにはなれます。まるで地面の上を飛んでいるように軽いのです。むだな動きのない、最高の走り方でした。

一緒に走りながら青が聞いた、とぎれとぎれの男の言葉をつなぎ合わせてみましょう。

「おれの生まれ育ったところは、空とだだっ広い大地のほかには何もなかった。友だちと遊ぶとなったら、かけっくらべと決まったもんさ。でもおれはいつも、びりだった。
あるとき、だれが一番遠くまで行けるか、競争しようってことになった。
よーいどん、で走り出して、おれは、いつものように前にいる仲間を追いかけた。途中で苦しくて、苦しくて、目をつむって走りつづけた。どれぐらいたったかわからない。仲間の声や足音が聞こえなくなって、ああ、またびりになっちまったんだ、もうみんなは遠くまで行ってしまったんだろうな、と思った。とうとう、心臓が胸から飛びだしそうになって、ぶったおれた。
やっと息がらくになって、目を開けると、雲一つない真っ青な空だけが広がっていた。
起きあがって周りを見わたすと、誰もいない。家もない。見たことのない景色だった。自分がどこにいるかもわからなかった。
おれは村の大人たちもめったに行かないほど遠くまで、来ちまってたのさ。
友達はとっくに途中で走るのをやめて、おーい、勝負はついたぞ、と叫んだって言うんだが、おれには聞こえなかった。家に帰るのに苦労したよ。ようやく戻ったころには真っ暗で、心配していたおふくろにこっぴどくしかられたよ。
それからというもの、力のかぎり走ったときの感じが忘れられなくて、また走らずにいられなくなった。風と競争しているみたいな、自分の足が自分のじゃないみたいに、くるくる回って地面をけって、しまいにゃ、飛んでるみたいなんだ。頭が真っ白になって、ただ空と雲だけが、おれといっしょにいる。
そうやって、少しでも遠くへ、遠くへ、って走っているうちに、おれはだれよりも速く、遠くまで、走れるようになった。
はや足の男として知られるようになり、王さまがひらく運動会とやらに呼ばれたよ。国中から集められた足じまんの走り手を集めた競争だったが、おれについてこられるやつは一人もいなかった。
王さまはごほうびに自分の顔をほらせた金の丸い板をくれたけど、たいしてうれしくもなかったな。おれにはもう競う相手もいないってことが、つまらなかったんだ。
だがそれからも、おれの足は走ることをやめられないんだ。
昨日よりも今日、明日は今日より早く、より遠くまで走りたいんだ。死にそうに苦しいときもあるけど、やっぱり、走っているときが一番気持ちがいいのさ。
体の奥から声がするんだ。『もっと速く、もっと遠くへ』ってな。あんたには聞こえないかい?

ひとりで走ってて、さみしくないかって?
空も、大地も、鳥も、木も、すれちがう。おれは走りながら、心のなかであいさつするんだ。やあ、こんちは、って。向こうもあいさつしてくれるよ。すごい速さでな。
川のせせらぎや、飛んでる虫の音や、花の香りだって感じてるよ。ぼうっと、歩いてるやつらより、走っているおれのほうが、はっきり気づいてるよ。追いぬく人間や動物だって、ちゃんと見てるよ。あんたのことだって、ずいぶん遠くから、ずっと見てたさ。
それに、おれについてきてくれるたった一人がいるよ。おてんとさまだ。朝日が昇って、昼間はてっぺんに、夕方は沈むまで、二人で走っているのさ。」

青は、とうとう足が動かなくなってきたのを感じました。もう息もできないくらいです。おくれはじめた青に、男は初めてふり向きました。
「一緒に、走れて、楽し、かった。」

男はさっと手をあげると、ぐっと速度を上げ、二人の間はあっというまに広がりました。
青は、がくりとひざを折って、そのままたおれこんでいました。生まれてからこれほど速く、長く走ったことは、ありませんでした。
自分をおいていった走者は地平線のかなたに遠く、小さくなっていき、いまや点になってしまいました。

気づけば、少し先に集落が見えました。あんなにはてしなく見えた道を走り切ったのです。男のおかげで、今までにないほど、速く進むことができました。ようやく息がととのうと、青は立ち上がって、また走りはじめました。あの人ほど速くは走れませんが、さっきの走り方だと今までよりはるかに楽に速く走れます。

「今日は昨日より速く、遠くまで走れるようになった。」
青は男の走るよろこびが、少しだけわかった気がしました。
このまま走り続ければ、夕日が地平線にしずむまでには、今夜の宿にたどりつけるでしょう。


いいなと思ったら応援しよう!