「青の姫 The Blue Princess」第二章 ある名もなき小さな国(創作大賞2026ファンタジー小説部門)
第二章 ある名もなき小さな国
ひとつの国がありました。
時は流れ、もはやその名は忘れられました。というのは、それは高い峰々の、岩と岩の隙間にふと咲いた小さな花のような、とても小さな国だったからです。
外界とのまじわりも少なく、かぎられた人々にしか知られていませんでした。
ですから「名もなき小さな国」と呼ぶことにします。
どんなに小さく、大きな国の中の小さな街ほどの大きさでしかなかったとしても、それはたしかに「王国」でした。長い間、細々と、ある王族が国を治めてきました。
この物語は、この小さな国の、ある時代の王とその家族から始まります。
青い眼。
おだやかで、大きな出来事ももなかった国で起きた「異変」はそれでした。
青い眼を持つ者がこの国でどれくらい珍しかったかというと、母親が言うことをきかない子供に、「青い眼の人が見ているよ」とおどしたり、また、うすのろだと思われていた人が、思いがけないことをやってのけると、「あの人は、青い眼をもっていたんだねえ」などと言われたものです。「青い眼」とは、えたいのしれない不思議なもの、理解できないもの、どちらかと言えば、良くないことを意味するのでした。
人は、まれにみるすぐれた力、おそろしい害を与える力のどちらをも恐れるものです。
ですから、この国の王と妃が、自分たちの三番目の子が初めて目をひらいて、それがあざやかな青色を見た時、心のうちでぎょっとして、なにか不吉な予感がしたのは無理もなかったのです。
けれど、その瞳で見つめられると、そんな気持ちは吹き飛んでしまいした。
吸いこまれそうな、どこまでも高く広がる青空、山脈の中にひっそりとある深い湖、南国でしか見られない澄みきった海のように、みごとな「青」だったのです。
このような青い瞳はこの国にかつて生まれたことがなく、また、そのような色の事物もありませんでした。つまり、人々が今までに目にしたことのない色だったのです。
民の間では、三番目に生まれたお姫さまがとびぬけた青い眼をお持ちらしい、とうわさになりましたが、だれも間近に見ることはできませんでした。
小国とはいえ、姫はその身分にふさわしく、立派な名前を与えられました。
王室の伝統にのっとって、先祖の名前を10個も数珠つなぎにした名前を順番通りに覚えているのは、それを王室の血統書に書き加えた大臣くらいで、父王すら、儀式のさいは書かれたものを読まねばなりませんでした。お姫さまの一生で、その名前の全部が使われたことは、数えるほどしかありませんでした。
そこで、ご家族はもちろん、国の民すら使っていたのは、あだ名と言ってよいものでした。
青姫。
これ以上短くわかりやすい名前はありませんでした。名前とは本来そうあるべきではないか、と私は思っています。
国王夫妻をおどろかせた青い瞳は、姫が成長するにつれ、ますますきわだってきました。
姫は人々が自分と目を合わせるのをさけている、と感じることがありました。父王ですら、また毎日顔を合わせる、侍女たちも。
しかし子供は正直です。姫が幼い頃、召使いの子供が「やあい、青い眼、変な眼」とからかって、逃げていきました。それは姫の心にとげのように刺さりました。
私の眼はみにくいの?青は悪い色なの?
それはその青い瞳がおどろくほど透明で美しく、その奥はおそろしいほど深く、映るものすべてをまっすぐに見つめる強い力をはなっているからでした。見つめられた相手は自分の奥底まで見抜かれてしまうような気がするのでした。そのくせ、その瞳に魅せられて、心ゆくまで見たいと思わせる、神秘的な宝石のようだったのです。
誰もこの不思議な気持ちを姫に説明できませんでした。かわいそうに、自分の瞳がどう見えるのか、わからないのは青姫ただひとりでした。
ある時、自分の部屋にとじこもると、鏡の前で自分と目を合わせました。
青い二つの瞳はただじっと自分を見つめています。何か言いたげに。
「嫌いだわ、こんな眼。」
青姫は自分でも眼をそらしました。
やがて、姫はあまり人と目を合わせなくなり、ふし目がちになりました。
もうひとつ、姫が天から与えられたものがありました。青の瞳をいっそう引き立たせる黄金の髪です。金と銀を同じだけ溶かしこんだような輝き、つややかで、細くて、腰をゆうにこえるほど長く、豊かでした。はた織り職人ならば、それで極上の布地を織ってみたいと思うような、絹糸のごとき髪でした。儀式でかぶる、王女に与えられる王冠は小さな国をあらわすように、つつましい古びたものでしたから、こんな見事なおぐしの上ではかえってみすぼらしく見え、何もかぶらない方がいいと王ですら思ったものです。
またその肌はなめらかな陶器のようでした。頬といえば、紅の絵の具をほんの一滴真ん中にたらしたものが、やわらかくにじんだようでした。
さてここで、青姫の上に生まれたお二人のお子さま達についてもお話ししましょう。
それはどちらも王女で、最年長の姫君は、見事な赤毛でした。それで「赤姫」と呼ばれておりました。
かつて、子供時代はとても短いものでした。とくに女の子の場合、王女であろうと庶民であろうと、成長すれば、目指すべきものはひとつだけ、「良い結婚」でした。王女たちが大人びてくると、王とお妃は一日も早く姫たちに相手を探しにかかりました。この山深い、かくれ里のような国では、それは大変なことでした。
赤姫は、とても気の強い、はっきりした性格の持ち主でした。自分がこの小国の王女として何をするのが一番良いのか、はっきりわかっていました。できる限り、豊かな国の王子と結婚して、この国を出て、立派なお妃になることです。そのためなら、美しく着飾ることも、踊りも、作法もなんでも身につけました。いつも自分が一番似合う、はなやかな赤の長衣を着ていました。
「お父さま、この間会った王子さまは気が弱いわ。あれでは国はのびないでしょう。もう一つ山を越えた先の国にも使いをやって、王子さまがいないかどうか聞いてくださいませ。」
王もたじろぐほど、自ら将来の夫となる人を探しました。
赤姫は、とうとう一番遠い、しかし勢いのある国の王子さまの心をいとめて、父王ができる最大の支度をしてもらい、お輿入れしました。
二番目のお姫さまは、ふくよかで小鹿のような優しい眼をしていました。仲の良い召使と部屋の中で編み物をしているか、庭のすみでのんびりと小さな噴水をながめるのが、このお姫さまのお気に入りの時間でした。
いつもお日様の光のようにあたたかな空気を発していたので、ついた名前は「黄姫」で、黄色の衣をまとっていました。しかしこの姫はとても内気で、赤姫のようにどこかの王子と結婚するなどと考えるだけで、恐ろしいのでした。王が赤姫の時と同じく、近くの国の王子たちとのお見合いを進めようとすると、部屋に閉じこもってしまい、出てきません。なだめてもすかしてもだめで、しまいには何も食べずに飢え死にしそうになったので、王と王妃は思案の末、この姫を国のはずれにある修道院に入れ、尼にすることにしました。黄姫は数人の女官をつれて、ひっそりと城を出てゆきました。
さて、最後のお姫様です。
青姫は、冠にしろ、衣にしろ、飾りにしろ、何であれしめつけるものはきらいでした。自由に動けることが一番だったのです。
体にそった、ゆるやかな軽い、青い衣の中にはすらりとしなやかな手足がかくれていました。衣の裾で見えないのをいいことに、たいてい靴をはいていませんでした。
裸足というのは、気持ちがいいものです。そして何かと都合がよいのでした。特に姫というかたくるしい生活の場合は。
おつきの侍女や家来たちは、ちらりと裸足が見えたとしても、目をつぶってくれました。
城の中の石の床を歩くとき、姫だけは音がしません。
ある時、王は靴職人にたずねられました。
「赤姫や黄姫は毎年新しい靴を作っておるだろうが、青姫はどうした?しばらくあれの靴を作っていなのではないか?」
「は、はい。青姫さまは一足の靴をとても大切にされますので、長もちがするのであります。」
青姫は靴屋にうまく言いのがれるように、お願いしておいたのでした。
青姫が好きなことと言えば、城の一番はずれにある塔の中の小さな図書室で本を読むか、一番高い見晴台に腰かけて、そこから見える景色をいつまでも眺めることでした。しかし城を出なければ、本当に見たいものは見られません。それは姫の身では許されないことでした。
あるとき、青姫は城の中の庭園で、色とりどりのばらをながめていました。
するとひとつのばらの花にどこからともなく一匹の蝶が止まりました。青姫は眼を奪われました。今までに見たことがない、深くあざやかな青色の羽をもった蝶だったからです。
蝶は、しばらく花に止まって、ゆっくりと羽を開いたり閉じたりしていましたが、もっと近くで見ようと青姫が近づくと、さっと飛び立って、空中に飛び上がりました。そのまま飛んでいくのかと思いきや、見つめている青姫の周りを、ひらひらと飛び、驚くことに、姫の周りを一周したのです。
青姫は驚きに目を見開きました。
この国には「蝶が人の周りをひとめぐりするときは、その人の身に大きな変化がおきる前ぶれ」という言い伝えがありました。
飛んでいく蝶を青姫は思わず追いかけました。
気づくと青姫は、城の裏に広がる森まで来ていました。そこはうっそうとして、これ以上先へは進めないように、柵で仕切られていました。青姫も幼い時から、森の中に入ることを厳しく禁じられていましたから、今まで入ったことがありませんでした。ところが青い蝶にはもちろん仕切りなどなく、かろやかに入っていきます。そしてこのときに限って、柵の一部がくさって、少しだけ隙間ができていたのです。
どうするつもりか自分でもわからないまま、青姫は、柵を越えて森に足を踏み入れました。蝶はまるで青姫を導いているようです。
先のほうに明るい陽がさしている場所が見えました。
そこだけがなぜか樹が生えておらず、空が見える、ぽっかりと小さな空間になっていました。
蝶は、そこで青姫を待っているかのように、落ち着きなく舞っていました。
青姫がたどりつくと、蝶は青姫の肩に一瞬とまり、そのまま、青空に向かって高く昇り、青い羽を激しく羽ばたかせながら、大気の中に小さくなり、消えてしまいました。
青姫は、蝶が消えた空を見つめたまま、立ち尽くしていました。
周りを見渡すと、見たことのない青い小さな花が一杯咲いています。
青姫は子供のように青い花を摘むと、それを花輪にして頭にかぶって、城へ戻りました。
その花輪を見て、まっさきに声を上げたのは王に忠実な大臣でした。
「おお、青姫さま、何を頭にのっけていらっしゃるのです!」
姫は青い花の冠を外すと、良く見えるように差しだしました。
「きれいでしょう。見たことのない花だわ。あなたはこの国のことを何でも知ってるでしょう。何という名前の花なの?」
大臣は目を閉じて、頭をふりました。
「情けなや、名前などありませぬ。それは民たちが雑草として嫌っているもの。どこにでも、いくらでも生えてきて、みな困っておるのです。家畜のえさになるわけでもなく、何の役にもたちはしません。そんなものを王女ともあろう方が、頭にのっけていては、陛下におしかりをうけます。」
そう言って、花輪をひったくってしまいました。
しかし、その日以来、青姫はしょっちゅう、あの森の奥へ行くようになりました。
ある日、青姫が青い花を摘んで回っていると、石のようなものを見つけました。
周りの草をかきわけてみると、階段の一部のようでした。
三段の踏み段になっていて、途中から欠けています。ひどく古いもののようでした。
「こんなもの、誰が置いたのかしら?それとも、最初からここにあったのかしら?」
青姫は何か特別なものを見つけたような気がして、その小さな踏み台に昇ったり、座ったりしました。
黄姫が城を去って修道院に入ってから、あっというまに時は過ぎました。
とうとう青姫の順番が来たのです。
父王は、この末娘の姫に一番の望みをかけていたのでした。風変わりなところがあるとはいえ、その青い瞳は成長するにつれ、ますますかしこい光を映し、身のこなしには自然な気品があり、全身光り輝くような美しさがありました。口数は少ないものの、何か問えば必ず正しい答えを返しました。
この末娘は国のために、必ずやふさわしい相手を見つけて、その王子にこの国の王位を継いでもらい、すぐれた子孫を残してくれるであろう。
王は今まで以上に力を入れて、年頃の王子のいそうな国に使者を送りました。
次に、王子の国に送るための姫の肖像画の準備にかかりました。
その頃、この一帯でもっとも高名な画家が呼びつけられました。この人は変わり者で、常に放浪し、宮廷や金持ちの元に留まることがないのでした。しかし彼の絵を見れば、世界にも何人といない腕の持ち主であることは明らかでした。その名は王の耳にも届きました。
「何としてもあの絵師を探して、つれてまいれ。」
何人もの使者が絵師をたずねまわり、とうとう城に連れてこられたその人は、農夫よりも貧しい格好の男でした。
絵師が王の前にひざまずいて、拝命しているとき、とつぜん城の入り口の扉が開きました。
青姫です。走ってきたらしく、息を切らしています。後ろから光がさして、その金色の髪、青の花冠、青い衣にふりそそいでいました。
振り向いた画家の眼が、おどろきで大きく見開かれました。
王は顔を額に手をあてて、頭をふりました。
「どこに行っておったのだ。そちの肖像を描く絵師であるぞ。何というかっこうじゃ。今すぐ着がえてまいれ。全く、今日はふさわしい装いを知らぬ者ばかりじゃ。」
王は、小国であることを馬鹿にされぬように、「最高の気品と美しさをそなえた」姫君の姿を描くように命じました。
そのために、新たに正装用の衣、身をかざる品々があつらえられました。髪は結い上げられ、唇には紅をさされ、めったにはかない靴をはいた青姫は、画家の前で何度も立ったり、座ったりさせられました。
とうとう絵が完成し、お披露目の日となりました。王、王妃、家臣たちは上機嫌でした。皆の眼には、すでに見えていました。今までで見たこともないほどすばらしい青姫の姿が。どれだけの王子がその姿に魅了されることか。結婚の申し込みがぞくぞくとまいこむでしょう。
絵のおおいが払われました。
絵の中の若い女性は、かざりけのない青い衣をまとい、黄金色の髪は結われてもおらず、「風」という櫛がとかしたまま。首筋や肩に落ちかかり、頭には青い野の花の冠がのっています。陶器のような頬には今しがた走って来たかのように赤みがさしています。
それはまさに、森から城に帰って来たときの青姫でした。
王の顔が青ざめ、それからいっしゅんで真っ赤になりました。その場にいた皆は、息をつめました。
画家に振り向いた王の顔は、石のようでした。
「絵師よ。余は『村娘』を描けとは、命じなかったぞ。」
絵師はひざまずき、そのまま顔を上げずに静かに申しました。
「おそれながら、わが君。これが、わたくしが見た青姫さまの真の、そしてもっともお美しいお姿でございます。」
これを聞いて、王は一気に怒りに燃え上がりました。
「そちは身を整えた姫を、毎日描いておったではないか!あれはどうしたのだ!」
「おそれながらわが君。画家は『まこと』にたどりつくため、たくさんの時間を費やさねばなりません。旅人が目的地にたどり着くために歩かねばならないのと同じです。旅人が足を使って歩くように、画家はひたすらに描くのです。そして最後に見えたものが画家にとっての真実です。」
その場にいた者たちは、もう一度、絵を見つめました。
そよぐ風にゆれて、光に輝く、一本の黄金色の髪。今朝咲いたばかり、けれど夕方にはしぼんでしまう小さな青い花。新鮮な空気の中で走ったり、踊ったりした後に頬に浮かび上がるばら色。小さくやわらかな、木苺のような唇はかすかに開いて、何かを語りだしそうです。そして何よりも際立つのは― この国にひとりしかいない、いや世界中にも二人と見つからないと思われる、鮮やかな青の瞳。
二つの青い宝石のような瞳は、絵を見る者を、不思議なまなざしでじっと見返してきます。
「これはまったく青姫さまだ。」
誰もが心の中でつぶやいていました。それは王の隣にいる、困ったようなお妃の顔にもあきらかでした。
その絵は、たしかに絵師のとびぬけた技で、この姫をあますところなくとらえていたのです。
絵師は一銭も与えられずに、城の門を出て行きました。
「今度こそ、道理をわきまえた絵師を探してまいれ。」と王は大臣に命じました。
何人もの画家が呼ばれて、青姫の絵を描きました。
それらは、気どった笑みを浮かべていたり(青姫はそんなものを浮かべたことはありません)、ぎこちないようすだったり、本物の姫とはどこか違っているのでした。髪一筋ですらも、最初の画家を超えることはできません。なにより、そのどれも姫の最大の特徴である瞳の青さをあらわせないのでした。
これは王も認めざるをえませんでした。
結局、絵のことはうやむやとなり、姫のすばらしさを伝えるためには、別の方法を考えようということになりました。
ある日のこと、王は台座の上で、自分の頭から古ぼけた王冠をおろし、両手で膝の上にのせ、正面にたった一つ残った大きな宝石を見つめていました。
しばらくして、青姫はその石が父の王冠から消えているのに気づきました。王の頭の冠は一層みすぼらしくなり、ただの古びた金属のかたまりのようでした。
それが自分の花婿探しのための金子になったことを知った時、姫の白い頬がみるみる紅にそまり、その眼が青い炎のようになりました。姫は長い髪をひるがえして、かけ去りました。いつものように摘んできた青い花が、姫の後ろに、足跡のように散っていました。
