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「青の姫 The Blue Princess」第三章 旅人(創作大賞2026ファンタジー小説部門)

第三章 旅人 ー 歩む人

ある王子が、この小さな国に招かれました。王が青姫に一番ふさわしいと考えた、この国よりもやや大きい、と言ってもやはり小さい隣国の二番目の王子です。
青姫と王子は型どおりのあいさつをして、宴の席につきました。

姫は、隣に座っている王子と何を話していいのかわかりませんでした。王子はしじゅう、にこにこして、姫よりも王様とばかり話していました。
この日のために用意された踊りや歌が終わり、王は「さあ、二人だけで話すがよい」とうながし、二人は部屋の奥の窓辺に歩いていきました。

青姫は勇気を出して、以前自分に起きたこと― 誰にも言っていない秘密を、王子に話してみました。
自分の周りを青い蝶が舞い、飛んでいったこと。この国では、それは人生が大きく変わる前兆だと信じられていること。

王子はけげんな顔で聞いていましたが、急に満面の笑みを浮かべました。
「ああ、私には明らかに思えます!たぶん―それは私たちのことでしょう。あなたに止まった蝶というのは、この私、と言わせていただいたら、お気を悪くされますか?」
王子はひどく愛想のよい笑顔で、青姫をじっと見つめました。
姫はなぜか胸がもやもやと苦しくなって、目をそらしました。王子は自分が最高の返事をしたにちがいない、姫がにっこり笑うか、顔を赤らめるはずだと思っていたのがはずれて、会話はとぎれてしまいました。

次々と豪華な食事が運ばれて、今や宴たけなわとなりました。
姫は何かを感じました。広間をぐるりと見まわしていくと、一人とぴったり目が合いました。
広間のすみにぽつんといる、その人は、このような席には不似合いなそまつな身なりで、誰も彼に話しかけないし、気づいてすらいないようでした。
しかし、その周りだけ時が止まっているような、あたたかな光が発しているように見えるのです。その人は静かに、まっすぐに、青姫を見つめているのでした。ずっと前から姫を知っているかのように。
その人はかすかにうなずいたようでした。やがて姫を見つめたまま、どこかへ歩き出しました。二人ははなれていて、言葉も交わしていないのに、姫は磁石でつながっているかのように自分も席を立ち、その人の行く方へ向かいました。隣にいた王子は、王が特別に開けた極上の酒に酔ってごきげんで、姫が立ち上がったことにも気づきません。

その人に追いついたのは、庭園への扉を出てすぐの、小さな休みどころでした。
彼は手すりに実をもたせかけ、青姫を待っていた、というようすでほほえみました。

二人はとうとう向き合いました。
「あなたはなぜここにいるのです。」
問うたのは、その人が先でした。

どういう意味でしょう?
青姫は思いがけない問いに言葉が出ません。しかも相手はすでに答えを知っているようでした。
そのまなざしは優しく、深く、けれど声には厳しい響きがありました。
「ここはあなたのいるべき場所ではありません。その脚はこの城からはるか遠くへ歩いていくためのもの。一日中歩きつづけることも、速く走ることも、高い山を登ることも出来る、よい脚です。そしてその青い瞳は世界を見るためのものです。」

青い瞳は大きく見開かれ、まばたきもせず、相手のはしばみ色の瞳にあてられています。

青姫はやっと口を開きました。

「あなたは誰ですか?どこからいらしたのですか?」
「旅人です。どこからでもなく、またはどこからでも来る者です。」

謎かけのような答えをすぐに理解することはできませんでしたが、身体の奥が火がついたように熱くなりました。

旅人。
どうして今まで思いつかなかったのでしょう。それこそが姫がなりたかったものでした。王女でも、どこかの国の王妃でもなく。

「どうか私をいっしょに―」
青姫が言いかけたとき、大臣がそばに来て、いさめるように言いました。
「姫さま、このようなところで何をしておいでです。王子が席でお待ちですよ。」

その人を振り返りながら、青姫は大臣に引っぱられるように席に戻りました。
王子と少し言葉を交わした後、急いで先ほどの場所に戻ってみると、すでにその姿はありません。

宴から数日たったある日のこと。
靴職人は青姫の部屋に呼ばれました。この裸足のお姫さまに靴を作る機会はあるまいと思っていた職人はいぶかしみながら扉をたたきました。
職人はひとつの注文を受けて、さっそく取りかかりました。
それは実に腕のふるいがいのある仕事でした。青姫に作らなかった何十足分の靴の分を、その一足にこめました。

ずっと先に、年老いた靴職人が天国に召されるときに言った言葉です。
「ああ、ずいぶんたくさんの靴を作ったよ。王さま、お妃さま、お姫さまたちのきれいな靴、赤姫さまのお輿入りの時のものったら、一番豪華だったね。それがわしの最高の靴かって?いんや、そうじゃない。青姫さまのだよ。あの方はこうおっしゃったのさ。
『長い長い間、それ一足でやっていけるような靴がいるの。一日中歩ける、ごろごろ石が転がる山道を登ったり、川の中を歩いて渡ってもこわれない、うんと丈夫な靴よ。もしそんな靴を作ってくれたら、私、一生あなたに感謝してよ。』
あんな靴はそれまで作ったこともなかったし、それからも一度も作らなかった。あの一足の靴が、あの方の人生を、そしてこの国を、いんや、世界を変えたんだ。靴屋みょうりに尽きるとは、このことさ。」

それは誰もが眠りについた真夜中でした。城の召使用の門へ急ぐ、軽い足音がして、一つの影が重い扉に手をかけようとしたときー

「お待ちなさい。」という声に、その影はびくりと身を固くしました。

二つの影が月の光に照らされました。

長い金髪を首元でぷつりと切り、青いぴったりした男のような服に身を包んだ青姫と、お妃でした。
この人たちが城の裏手にある召使い用の門に来るなど、ありえないことでした。

その眼は月の光の下でも青く、しかしおそれを映していました。
「母上。どうぞ止めないでください。」

お妃の顔はかなしげでしたが、かすかにほほえんでいました。
「止めに来たのではありません。」

そして竪琴のような静かな声で語り始めました。
「そなたも知っての通り、父君とわたくしは同じ一族の出。わたくしは子供の頃、よくこの城に遊びにきました。そなたと同じ年ごろに、わたくしもあの森をさまよい歩いたものです。おどろいているのですね。このことは生涯胸にしまっているつもりでしたが、今、そなただけに話しましょう。
わたくしには、そなたの気持ちがわかっておりました。鳥や蝶のように、どこかに向かって飛びたいような、けれど、どうしていいかわからない。わたくしもそんな気持ちをおさえるように、森の中を歩きまわりました。ええ、そなたと同じ青い花をつみましたよ。頭にのせて城に戻る勇気はありませんでしたけれどね。(ここでお妃は青姫をちょっと叱るような、からかうような眼で見ました。)
「あるとき、森の中でこれを見つけました。」
お妃は、ほっそりとなよやかな白い手をひらきました。
小さな青い石です。

「何という石なのかは知りません。これを見ていると、ただ感じました。世界には、わたくしが見たことも聞いたこともないものが限りなくあるにちがいない。何度この石をにぎりしめて、森の一番奥を見つめたことでしょう。けれどわたくしにはその先へ行く勇気がありませんでした。」

王妃は石をじっと見つめたまま、続けます。
「ちょうどその頃、そなたの父上は、先王の望まれた我が国よりも大きな他国の姫ではなく、幼いころから一緒に過ごしたわたくしをお望みになり、その時だけ父君の言うことにさからったのです。わたくしはお断りすることなどできませんでした。結婚以外にできることなど何もなかったのですもの― 」

月の光に輝く瞳には哀しみが宿っていました。
「わたくしは『選ぶ』という言葉は知っていますけれど、それをしたことがないのですよ。王妃はその国でもっとも高い位の女人にょにんですが、それでも何も選べない。『世界』という言葉も同じ。見たことがありませんから、どんなものか知らないのです。死ぬまで知ることは出来ないでしょう。」

音のない深いため息がその口からもれたようでした。
「わたしくしは、この青石を小さな箱にしまって、鍵をかけました。あるときまで忘れていたのです。そなたが生まれて、初めてその青い眼でわたくしを見たときです。そなたに見つめられると、石のことやいろいろを思い出して、落ちつかなくなりました。」

青姫は自分と眼が合うと、母君がふっと眼をそらした理由がわかりました。
「近ごろ、そなたの眼はいっそう青くなってきました。おそろしいほどに。もはや、その眼はわたくしや父君、城の人々、何も見ていません。そなたが頭に青い花冠をのせて帰ってくると、どこへ行っていたか、わたくしにはわかりました。わたくしはおそれつつ、予感していたのです。この日が来ることを。」
いつも王のそばで静かにほほえみ、従うばかりだったお妃のうすいはしばみ色の眼が、今は青姫の瞳にしっかり、力強くすえられていました。まるで初めて会う人のようでした。

「ゆきなさい、娘よ。みずから選びなさい。そなただけの道を。鳥のように、蝶のように飛んでおゆきなさい。その青い瞳でぞんぶんに『世界』を見るのです。」

お妃は姫の手を取ると、青い石をしっかりと握らせました。
「この石がそなたを守ってくれますように。その中に母はいます。そなたとともに。」

王妃の後ろにひかえていた長年仕える女官が、ずっしりと重い小袋こぶくろを差し出しました。
「そなたの旅にどれほどのお金が必要なのか、わたくしにはわかりません。その身ひとつでやっていく時がすぐに来るでしょう。」

二人は最後に強く抱きしめ合いました。
姫はうす暗い門のすき間にすばやく身をすべりこませ、門は音もたてずに閉まりました。

城の外に出たこともなかった青姫ですが、ひとつ考えがありました。城の上から、ところどころ輝く細い流れが見えました。川に沿って行けば、きっとどこかの村や町にたどりつくでしょう。
すぐに森の中に入り、暗闇の中を走りに走りました。生まれてこの方、息が切れたり、汗をかくほど走ったこともありませんでした。王女にふさわしくない、と禁じられていたからです。
もう動けないというところまで走ると、近くの木のごつごつする根元に体を丸くして横たわりました。

夜が明けました。いろんな鳥がかしましく鳴いています。いっしゅん、自分がどこにいるのかわかりませんでした。まわりは緑一色、体の節々が痛みます。
ーああ、これは夢ではない。自分は本当に城を出たのだ。

立ち上がり、周囲に自分をさがす人の声がないかに耳を澄ませます。そしてうさぎのように飛びはねて、また走り出しました。城の皆が動き出す前に少しでも遠くへ行かねばなりません。

急に森がとぎれて、一面にあの青い花が咲き乱れる野原が広がっていました。そこに立ち、頭上に広がる青空を見上げました。
今こそ、本当にひとりきりでした。
何よりも求めていた「自由」です。信じられない気持ちでした。

さらに半日ほど進みつづけると、向こうにきらきらと輝くものが見えます。
城の上から見えた川に、たどりついたのです。
後ろを振りむくと、はるか遠く、小高い丘の上、淡い光の中に、城が豆粒のように見えました。
遠くから見る城は、思っていたよりずっと小さく、すっかり古びて、今にもくずれ落ちそうに見えました。あの中にいる王や王妃、姉姫たち、そして民を思うと、青姫は急に不安になりました。

ーあそこへいつか帰ることがあるだろうか?帰れるのだろうか?
帰りたいと思うかすら、今はわかりません。

青姫はまた走り始めました。時々、森の中に流れる清水しみずを飲み、当座の分の食料をたいせつに食べて、歩きつづけるうちに、陽もかたむいてきました。
森は暗くなり、ぽつりと頬に何かを感じたと思うと、雨がざあっと降ってきました。姫は雨にぬれたこともありませんでした。
周りを見わたし、枝が垂れ下がった大きな木を見つけると、その下にもぐりこみました。
まるで天幕をはった小さな部屋のように、木は姫をすっぽり包みこんでくれ、雨音をききながら、姫はいつしか眠りに落ちていました。

翌朝、また鳥たちのにぎやかなさえずりに起こされ、朝つゆにしめった空気を頬に感じました。
一晩の宿となってくれた木に心の中でお礼を言って、すぐに出発しました。やがて、川沿いに小さな船着き場があるのに気づきました。
もし舟が来るなら、歩くよりずっと速く、進めるはずです。しばらくそこで待つことにしました。
太陽が昇っていました。神々しいほどの輝きが川面にさして、水の流れに合わせて、黄金か金剛石ダイヤモンド、星かと思うような光を、ちらちらとたえまなく発しています。

足元にあの青い花がたくさん咲いていました。船を待っている間、花を摘みはじめました。手いっぱいに集まったころ、はるか向こうに小さな影が見えました。ゆっくりと近づいてきます。
大きく手を振って合図しました。
姫のあざやかな青い服は、こんなときに都合が良いものでした。

日に焼けた船頭は、怪しい者でも見るようにじろじろと眺めました。
「おめえさん、どっから来たんだい。見かけない顔だね。」
青姫は、遠くらこの村にいる知り合いを訪ねてきて、初めて川を渡るのだと、とっさに言いました。はじめて民と話したのです。王女だとさとられるのではないかと、どきどきしました。
青姫が心配していたのはお金のことでした。民はお金を使って日々の暮らしをたてていることを城で教師から習っていたし、父王が大臣たちと国庫について話すのを聞いたこともあります。しかしじっさいに、自分でお金を使ったことはありません。
母君がもたせてくれた中から一番小さなお金を出すと、船頭はそれを見て、目を白黒させました。
「こりゃあ、めったにお目にかかれないやつだ。もっと小せえのはないのかい。」
青姫は、とにかくできるだけ遠くまで行ってほしい、とたのみ、船頭をなっとくさせました。一刻も早く、出発したかったのです。

舟の中には、野菜や果物、小間物などがたくさんのっていました。船頭は川をくだって、村々に荷物を届けるので、その途中途中で人を拾うのだとわかりました。

とうとう舟は岸を離れました。
川の上をすべるように進んでいくのは、なんと気持ちが良いのでしょう。
変わっていく景色をのがすまいと、顔を左に右に動かす青姫を見て、船頭は笑いました。
「おめえさん、村から一度も出たことがねえ者のようだなあ。どんな生活をしてきたんだい。」

青姫は、来た方向を振り向くと、まだ手に持っていた青い花を一輪、一輪、水面に流しました。
こんな小舟なのに、少しずつたしかに、城から遠ざかっていきます。かつてあの城のてっぺんから、今わたっている川や大きく広がる森を見ていたのがふしぎでした。こんなに遠くまでひとりでやってきたのが信じられません。今ごろ城は大さわぎになっているでしょう。
自分が生まれ育ったあの城、この国を見るのも最後かもしれない。
姫はその古ぼけた城の石壁や、自分が立っていた塔を目に焼きつけました。

船頭がなれた手つきでこぐにつれ、あっという間に、山は遠ざかり、城は見えなくなりました。

小さな青い花は青姫の来し方を示すように、川面に青い点となり、点は線となりました。手の中の花がなくなったとき、姫は体を正面に向けて、船頭の船の進む先をまっすぐ見つめました。

今や、青姫はただの「旅人」になりました。

これからは彼女を「青」と呼びましょう。それが旅の間、姫が名乗った名前だったのですから。


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