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「青の姫 The Blue Princess」第十五章 作家(創作大賞2026ファンタジー小説部門)

第十五章 作家 ー 記す人

青は、にぎやかな市場の中を歩いていました。
その土地にしかない野菜や果物、料理や飲み物、手作りの品々。よいものを少しでも安く買おうとする客と、少しでも高く、たくさん売ろうとする売り手とのやりとり。見ていてあきることはありません。その中で、ふしぎな人に気づきました。
若くもなく、老いてもいない、どこと言って特別なところのない男でした。しかし、何かがちがうのです。
男はいつも、店や人々から、ほんの少しはなれていました。そして、じっと市場で起きることを見つめているのです。それだけでなく、ときおり、たてものの陰に入って、ペンと紙切れで、何かをさっと書きとめます。そのあとは、またぶらぶら歩きます。店のすみで遊んでいる子供たちや、荷馬車につながれてえさを食べているろば、古い屋根がわらなど、だれも気にもとめないものをじっと見つめ、また少しはなれて、ペンと紙を取り出して、書きとめ、歩きつづけます。
だれも男に気づきません。しかし青は、ひどくこの男が気になり、こっそりあとを追いました。

男が入っていったのは、市場の中にある茶屋でした。青も、ちょうどのどがかわいたので、男に気づかれないよう、あとに続きました。
店の真ん中にはいくつかの卓と椅子がおいてあり、その上にはぶどう棚の葉が広がって涼しげな日かげを作っていました。あのふしぎな男は一番奥の席にひっそり座っていました。お茶を注文すると、またあの帳面を取り出して、書きはじめました。注文した品がきても、一心不乱に書くのをやめません。青がとなりの席から見つめているのも、気づきません。回りに目に見えない石の壁に囲まれているか、彼だけの小さな部屋にいるようでした。
とうとう帳面の紙が尽きたようでした。男は困ったように、あたりを見回していましたが、手や卓をふくための、ちり紙を見つけました。そのそまつな紙を使って、また書きつづけます。

どれくらいたったのでしょう。ほかの客たちもとっくに去り、店ががらんとしたころ、男はようやく手をとめました。ほっと息をつき、すっかり冷えた茶をすすり、ぼんやりとほおづえをついて、市場や道行く人をながめています。空っぽになってつかれきったような、それでいてふしぎに安らいだ顔です。
青は思い切って話しかけてみました。
「ここは活気のある市場ですね。」
男はきゅうに夢からさめたようにびくっとして、青を見つめました。
「ああ、失礼。私は旅のものです。さっきついたばかりで、この土地の人と話したかったのものですから。」
男の目が少しきらりとかがやいたようでした。
「そうでしたか。ここは、旅のお方の目にはどう映りますか?」
青は他の土地では見たことのないものや、人々がとても生き生きしていることなどを話しました。
男がうちとけてきたのを見て、青は思いきってきいてみました。
「ところで、先ほど、とても熱心に何かをお書きになっていましたね。何を書いていらしたのですか?」
男はおどろき、はずかしそうに顔を赤らめ、うつむきました。いくら待ってもこたえがないので、青は自分の考えをぶつけてみました。
「ぶしつけなことをお聞きしますがー もしやあなたは『作家』ではありませんか?私はいつもふしぎに思っていたのです。ものを書く人は、どのようなことを考えているのか、言葉はどこから生まれてくるのか、と。」
この相手は信頼できるのか、とたしかめるように、男は青をじっと見ていましたが、とうとう、深いため息をついて、小さな声で言いました。
「作家だと言えたら、どんなにいいか。」
「どういう意味ですか?」
「おっしゃるとおり、私はいつも書いています。自分が眼にしたものを、感じたこと、考えたことを。誰かにたのまれたわけじゃありません。誰が読むのか知りません。ただ、書かずにいられないのです。」
青が何と答えていいのかわからずにいると、男はさっと立ち上がりました。
「せっかくですから、この辺りをご案内しましょう。そうしているうちに、あなたの知りたいことに少しはお答えできるかもしれない。」
男は、町の中心にある古い塔や、この町を治めている領主の家、一度入ったら出られなさそうな、入り組んだ細い小路や、この町特有の形や色をした家々や、とっておきの見晴らしの場所などを、見せてくれました。
その間、男は、ちょっと待ってくれ、とことわっては、また紙を取り出して、何かを走り書きします。眼をつむっても歩けるほど知り尽くしているはずの自分の町だというのに、いつも新しく何かを見つけたり、感じたりするらしいのでした。
見物を終えて、二人は男の行きつけの店で夕食をともにし、ここちよく杯を交わしました。青は言いました。
「今日は、たくさん面白いものを見せてくれて、ありがとう。でも、一番面白かったのは、あなたですよ。いつも、何かを書きとめているのですね。」
彼は、また少し顔を赤くしました。この人はどうしてこんなに自分のやっていることをはずかしがるのだろう、と青はふしぎに思いました。

「どうしてもやめられないのです。私の眼と耳、手、鼻、舌、そして心がつねに何かを感じとるのです。いろんなことが頭に浮かぶものですから、書き留めないと覚えてはいられません。」
「それなら旅人も同じようなものですよ。私はいつも全身を使って、新しいものを知ろうとします。そうしなければ旅を続けられません。しかし、あなたはずっとここに住んでいるのに、それでも毎日何かを発見しているのですね。」
だれでも毎日、何かに気づいて考えますが、すぐに忘れてしまいます。それがふつうでしょう。しかしこの人は、なんでも記録せずにはいられないのです。
「あなたにそんなふうに書かせるものは何なのでしょう?」
男のまなざしは、すっと遠くなりました。今度はためらわずに話しはじめました。

「私もそれについて何度も考えました。これはじつにふしぎな力です。自分でもわからない。私にとって、書くことは、息をするようなものです。
若いころ、私はよく思い悩んでいました。自分のこと、家族のこと、他人のこと、終わったこと、これから起こるかもしれないこと。生活のこと、この世界のこと。悩みは毎日生まれました。家族や友人に話してみたけれど、『考えすぎは毒だよ!』と言われるばかり。やっと私が見つけた話相手は、本です。本だけが、私と同じようにひとつひとつの問いに対してまっすぐ向き合い、真剣に考え、答えを出していました。それはつまり本を書いた人、つまり作家ですが、彼らもまた私と同じように悩み考え、それを言葉にしたのです。
いつしか私の中にも自分の考えと言葉があふれてくるようになりました。一杯になった泉はあふれ、流れ出します。それは私の内から流れ出る清水。水は行き場を探します。書くことによって、この水は川となって流れ、新しい水が注がれ、また流れていきます。これは私の命の川。止まったら、生きていけないでしょう。
書いている間は、自分というものがなくなって、まるでひとりでに動くペンのようになります。私の指先から蜘蛛の糸のように、言葉が次々に出てくるのです。止めたくても止められない。言葉が流れ出ているとき、私は食べること、飲むこと、眠ることも忘れます。
毎日毎日、書きつづり、それは大きな貯水池となって、たまっています。これを、豊かな美味しい水として、私以外の多くの人に飲んでもらえないだろうかー そんなふうに願っているのです。
私の頭がおかしいのでしょうか?誰も私に頼んでいないのに。」
青はひどく、ひきつけられて、頼みました。
「言葉について、もう少し聞かせてくれませんか。」

男の顔が赤くなりました。しかし今度は恥ずかしさからではなく、本当のきき手を得たうれしさからです。
「言葉とは魔法の杖です。それこそが人間が人間であるゆえんであり、人間の最大の力なのです。
すべては言葉からはじまる。言葉がすべてを作るのです。
誰もが毎日言葉を使っていながら、ほとんどの人はこの力に気づいていない。
口から発する言葉と、紙に記された言葉のちがいについてお話しましょう。
どちらもそれぞれに力を持っていますが、口から発された言葉は、いっしゅん強い力を放ったあとは、煙のように消えてしまいます。それをきいた人の中にこだまのように残っているうちに、別の人に伝えられていきますが、だんだん力は弱まってしまいます。また、それは十分に考えつくされ、ねられたものでないことが多く、あやまりや、あいまいさを多分にふくんでいますから、完全に伝わるとはかぎらない。伝えられる間に、少しずつ変わってしまいます。さらには話す人の表情や声にも惑わされることもあります。ですから、残りにくいのです。
これが歌のように、しっかりした『器』におさめられれば、大きな力をえます。(青は、歌うたいのことを思い出し、深くうなずきました。)
それに対して、記された言葉は、深く考えられ、できうるかぎり正しく記され、責任をもって紙や石に刻まれ、『時』というものに試されます。
もっと言うならば、ある一人の人間が生きて学んだことを、多くの人に残すための『遺書』なのです。
記された言葉は、その人の体がなくなっても生きつづける命、燃えつづける永遠の炎となる。すぐれた本は、何千年も生きつづけます。焼かれて灰になっても、また必ずよみがえり、広まります。」

ーこの人はその中に、なんて深い世界をもっているのだろう。
青は、二人の周りで時が止まっているような気がしました。そして青もまた、今、聞いたことをすぐに書き留めておきたい気持ちにおそわれました。

青は相手の眼をまっすぐ見て、言いました。
「あなたは作家です。今言ったことを書いて、みなに伝えてください。言った言葉が消えてしまう前に。」

男は口をかすかにあけて、青を見つめていました。それから急に、その二つの瞳が真っ赤になって、うつむくと、ひとしずくの涙がこぼれ落ちました。
「ありがとう。あなたは私を作家と呼んでくれた最初の、たった一人です。」
青は、卓ごしに作家の手をにぎりました。
「一人の読者があなたの本を待っていることを、忘れないでください。」
作家は強くうなずき、強くにぎり返しました。

茶屋の主人が、店を閉めたいのだが、と二人をせっつきました。外を見わたすと、もう夕日の残りが地平線に沈もうとしています。空は水色から群青色に、夜のとばりが下りてきます。星々がひとつ、ふたつと空にかがやきはじめました。今日、一人の作家が生まれたことを祝うように。


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