「青の姫 The Blue Princess」第二十一章 名もなき国ふたたび(創作大賞2026ファンタジー小説部門)
第二十一章 名もなき国ふたたび
その後の青の足どりをたどることはできません。
ただ、海と陸を行き来する商人や、凍てつくような氷の大地や、密林の奥に生きる人々の子孫が伝える昔の物語や歌に、たぐいまれな青い瞳の旅人がいたという一節が残るばかりです。しかし名前はもちろん、男だったのか女だったのか、いつのことなのかもわかりません。もしかすると、それはまったく別の旅人のことかもしれません。
あの山々の中にかくれるようにあった小さな国はどうなったのでしょうか。末の姫君がこつぜんと姿を消してからいく年がすぎたのか、もはや数える人もありませんでした。
国王は老い、王妃はすでにこの世の人ではありませんでした。
国はますます沈んで、さびしく、うらぶれていました。それをもっとも感じるのは、王の居室でした。
王はほとんど部屋から出ず、その寝台の横には、今は亡き王妃の肖像画がかけられ、やさしく悲しげなほほえみを浮かべていました。
王冠も、もう長らく国の行事やほかの国との交流もないために、古い櫃に入ったままでした。上の二人の王女たちとのつながりもとだえていました。
その国は王の命とともにゆっくり小さくなっていく、ろうそくの火ようでした。若者はよりよい未来を求めて、ひとりまたひとりと、この国を去り、残ったのは年寄りと子供ばかり。
このように弱くなった国をねらっている国もありました。ある国の王は自分に国を任せてはどうか、という文書を送ってきました。
ある日、王が長年たよりにしてきた、これも老いた大臣がめずらしく、こうふんしたようすで王のそばに参りました。
「陛下、ただいま、外つ国からの一行がわが国に到着したという知らせが届きました。陛下もごぞんじの、あの山脈をこえた先にある国です。」
王と大臣も、自分たちの国同様の小ささにもかかわらず、ここ数年でおどろくべき発展をとげたという、その国のうわさを聞いていました。
「どうやら、かの偉業をなしとげたのは、国王から厚い信頼をえて、国おこしを任せられた、ある大臣とのこと。彼らはわが国から五つ先の国と新しい物品の取引をはじめるための旅の途中で、通過させていただきたいとのたのみ。ぜひ許可して、いろいろと話を聞くべき機会とぞんじまする。」
王は迷いましたが、王宮へ歓迎するむねを伝えるように命じました。
その一行はみな、豪華な衣装をまとい、その国の豊かさはあきらかでした。しかし全員が目だけを残して、布で顔をおおっています。
中心にいる、もっとも高い身分の貴人と見える人には、白づくめの従者がつきそっていました。従者はふと道沿いに咲いている、青い花に気づくと、さっと、そのいく輪かを摘み、主人に差しだしました。馬上の人は、それを手に取り、興味深げに長い間見つめていました。
やがて、一行は城につき、王座のある広間に通されました。とても優雅で、洗練された物腰の人々だとわかります。
あの見るからに堂々とした人物が、前に進みでて、ひざまずきました。その人こそが大臣でした。
優雅に腕を曲げて胸にあて、王に敬意を表しました。
「国王陛下。お目にかかれて光栄です。山の中に咲いた一輪の花のような貴国を一度訪ねてみたいと願っておりました。顔のおおいをおゆるしください。これはわが国のしきたりで、顔を見せないことが最上の礼儀なのです。」
その国でとれた果物、織物、工芸品が王に贈られました。どれも見たことのない、すばらしく手のこんだ、珍しいものです。
「余はずいぶん昔、まだ王子だったころに貴国へあいさつに参ったことがあったが、あのころはこんなものは見なかったように思うが。」
かの国の大臣は、うやうやしく頭をさげました。
「おっしゃるとおり、これらはつい数年前に作られはじめたものでございます。わたくし自身が世界を広く見てまわりました結果、わが国の土や気候に合った新しい作物を入れ、技術者を呼んで、民に教えこみました。それによって、昔からあったものに新しい考えをくわえ、その価値をはるかにあげることができました。今では他の国々からたくさんの注文をいただいております。」
「ところで、貴国へ入る途中、通ってきた道ばたにたいへん美しい花が咲いておりましたが、あれはなんという花でしょうか。」
とつぜんの質問に、王と大臣は首をかしげました。
「さて、何のことやら。貴殿が目をとめるほどのものなど思い当たりませぬが。」
王の代わりに、大臣が答えました。
「あんなに一面に咲いているのに、思い出されぬとは。まるで青い海のようではありませぬか。」
「ああ!」
大臣は手を打って、恥じるように首を振りました。
「あんなつまらぬもの。あれはただの草です。名などありはしません。どこでも生えてきて困っているほどです。家畜のえさにでもなればまだいいのだが、何の役にも立たない。」
王は何も言いませんでしたが、その目は遠い何かを見ているようでした。
それははるか昔に、このつまらぬ草を王冠のように頭にのせていた、風変わりな姫の姿でした。
皆さんは、かつて王の命でこの城に呼ばれ、青姫の肖像を描いた絵師を覚えておいででしょうか?絵師は城を追い出されたあとも、どんなに貧しくとも描きつづけたそうです。道具が手に入らなければ、岩の上に、砂浜に、木の葉にも描いたそうです。筆がなければ、道に転がっている石でも、自分の指を使い、絵の具がなければ草の汁でも、泥でも使って。
彼が描いた絵は世界中に広がっていき、描いた人よりもはるかに長い命をもつことになりました。
しかし彼の最高傑作は、ある小さな国の王の寝室のおおいのかげにありました。王がひとりきりの時に、そっと持ち上げて眺めることが出来る場所だったのです。
そこに描かれた、たぐいまれな二つの青い瞳は、昔と変わることなく今も、王をまっすぐ見つめていました。
王は遠くから、目の前の大臣へと目を戻しました。
「貴国の王は、貴殿のような家臣をもって幸いよのう。わが国にももしー」
王は目を閉じ、顔を手でおおいました。
「つかれた。大臣殿、今夜は城に泊まって、余の部屋に来てくださらんか。話がしたい。」
その夜、大臣は従者を連れて、王の部屋をおとずれました。
王は床に入ったままでした。
「貴殿に見てもらいたいものがある。」
そして忠実な老大臣にそばの幕を引くように命じました。あの肖像画があらわれました。
「おお、これはー」大臣が息をのみました。
「余がおかした一番大きなあやまちを聞いてほしい。これはわが娘。これを大きくみあやまっておった。このちっぽけな国にはおさまりきれぬ者であった。この国を根本から変えてくれるかもしれなかったー 余ができなかったことを。貴殿がやったと同じようなことを。あれが生まれたとき、その青い瞳を見たときから、それを感じていたのに、あれが若いおなごというだけで、こりかたまっていた頭で、打ち消したのだ。娘三人、少しでも良い相手に嫁がせることしか考えなかった。
あれは行ってしまったーしかし今ごろ気づいてももう遅い。民たちにあやまりたい。おろかな治者であった。」
そして大臣を最後のたのみと、すがるように見つめました。
「余はもう長くない。貴殿とは今日出会ったばかりだが、なぜか信頼できる。この国をその手で生まれ変わらせてはもらえぬか。」
そしてまた、その骨ばった、弱々しい手をあげて、しわぶかい顔が肖像画の中の人物を見つめました。
「余の青空、青い泉、青い湖、青い―花」
父王はその苦しい胸から声をふりしぼりました。重いまぶたの下の瞳から一筋の涙がこぼれました。
「わが娘、青姫よー」
そのとき、白い何か、まるで野生のけもののようなものがさっと動いたかと思うと、次の瞬間には床にひざをつき、王の上にかがみこんでいたのです。
その肩には、かぶっていた布がはだけ、何かきらきらとまぶしいものがこぼれ落ちていました。金色の髪でした。
そのにいただれもがあっけにとられ、何が起きたのかをさとるのにしばらくかかりました。
それは今まで大臣のそばに音もたてずにひかえていた、白づくめの従者でした。右腕の大臣ですら近づけないほど、ぴったりと王に身を寄せていました。
われに返った老大臣が、どらを叩いたような声をあげました。
「くせもの、わが君に何を!」
剣のつかに手をかけましたが、もう長いことただの飾りになっていた剣はさびて、抜こうとしてもむりだったでしょう。
かの国の大臣が、その手を静かに制しました。
従者は王の手を両手で包みこんでいました。
老王は見知らぬ者をぼんやりと見つめました。その眼がとつぜん、かっと見開かれました。土気色だった顔に赤みがさしました。
「おお、そなたはー」
「ただ今、戻りましてございます。父上。」
老いた王すらみまがうことなき、青い二つの瞳から熱い涙があふれ、王のやせおとろえた手の上にしたたり落ちました。
姫はその手に二度、うやうやしく唇をあてました。それはこの国で、子供が親に対して示す、もっとも高いしぐさでした。
今、あの大臣は、姫の後ろにひざまずいていました。それはさっき、従者がとっていたと同じ場所、姿勢です。太い低いはっきりした声で、そこにいた人々に真実を知らせました。
「皆さま方、そこにおられる方こそ、わが国の真の大臣にあらせられます。私めは仕える者にすぎません。大臣は母国へ帰国するにあたり、まずは真実を知りたいと、あえて私を代わりに立てられたのです。」
王は力をふりしぼって、身を起こすと、老大臣を手まねきし、何事かささやきました。
聴いた大臣はしずかに頭を下げました。寝台の側に立ち、背筋をぴんと伸ばし、厳かな声で言いました。
「今ここで、国王陛下のご意志により、戴冠の儀を行う。」
櫃の鍵が開けられ、中から王冠が取り出されました。
王は王冠を受けとると、ふるえる手で捧げもち、深く長く息を吸いました。それから目の前にいる者にじっと目をあてました。
その声が告げます。王のほかにはに誰も発せない言葉を。
「わが王位を継ぐ者よ。」
姫はうやうやしくひざまずき、これ以上ないほど肩と頭を低く垂れました。
「国をさずける。統治せよ。」
ゆっくりと王冠はおろされ、その輝く金色の頭にぴたりとはまりました。
その日の夕べ、民たちは、国で特別なことが起きたときだけ鳴らされる鐘の音を聞きました。
君主がたおれられたのです。
翌朝、多くの民が城門に集まってきました。
みな、心をさわがせています。なぜならこの国には跡取りがいないのですから。
大臣が家臣を引きつれて、城の張り出し台に現れました。
「民に告げる。国王陛下はみまかった。だが案じることはない。まもなく新たな王が即位される。」
国は蜂の巣をつついたようなさわぎになりました。
