「青の姫 The Blue Princess」第十一章 商人(創作大賞2026ファンタジー小説部門)
第十一章 商人 ー 交換する人
ある村を出て、さあ、これから次の目的地まで長い道のりを行こう、と、はりきって歩きだしたとき、青を呼びとめる声がしました。
「ちょいと、そこのお前さん。こっちへおいでな。」
ふり向くと、近くの木陰の岩に腰をおろした誰かが、手まねきしています。
いぶかしく思いながら、近よっていくと、それはかっぷくのよい、しかし足腰はひきしまった初老の男で、きせるを片手に一服していました。長い白髪に帽子をかぶって、大きなわし鼻の下に、あいそのよい笑顔を浮かべています。
きせるからちょっと口をはなすと、煙を吐きだしながら、
「靴ひもが切れとるよ。そのままじゃ、なんぎするよ。」
足元を見ると、たしかに右足の靴ひもが切れて、結ぼうとしても長さが足りません。
男はふところから、一本のひもを引っぱりだしました。
「これを試してごらんな。」
それを受けとって、古いひもの代わりに通すと、ちょうどぴったり。
「ありがとうございます。」
「おっと、礼にはおよばん。というのは、わしはこれで食っているんでな。どんなものでもお代はいただくよ。」
青は、ちょっと赤くなりました。この人が行商人だとわかったからです。
「ただのひもじゃないよ。山の民が日夜、山をのぼりくだりするために編んだものだから、ちょっとやそっとじゃ切れやせん。」
この先はとうぶん、人里もなく、長く歩くことになるでしょう。こんなひも一本が旅を左右することを、長い旅の中で青は知っていました。
「おいくらですか?」
いっしゅん青の顔を見て、商人が言ったのは、青がこれくらいなら出してもいい、と思っていた値でした。
「まいどあり!」
お礼を言うべきなのは商人の方だったのです。
わずかな金を受けとると、またたばこをくゆらせながら、青をながめています。
「えらく長い道を行くようだね。じゃあ、こんなものもいるんじゃないかね?」
青はこのとき初めて、商人の後ろにとても高い、大きなかごがあるのに気づきました。それはしっかりした作りで、背中に背負うための太いひもがついていました。商品はかごをあけると、あれこれと取り出し、青の前にひろげ始めました。
折りたたみ式の歯ぶらし、何でも切れて、手におさまる、ふたつきの小刀、やけど、切り傷、かゆみと、何にでもきく小さなぬり薬。旅にちょうどよい小さな石けんが三つで一組になっているもの。
「手ぬぐいはどうだい?薄くて、すぐに乾くし、熱いときや寒いときは首に巻いているとぜんぜんちがうよ。それから― 」
青が日ごろ、あればいいのにと思っているものや、切らして、ふべんを感じているものばかりでした。
「これはいいなあ。こういうのがほしかったんだ。これも、これも。」
かごの中によくもまあ、こんなにあれこれ、つめこんでいるものです。
押し売りしているのではなく、青を注意ぶかくかんさつして、選んでいるようです。たれ下がったまぶたの下の小さな眼は、おどろくほどするどいのでした。
商人の言った値が高く、青がためらっていると、「じゃあ、これでどうだい?」と、少しずつ値を下げていき、青が買えそうなところで、ぴたりと止めるのでした。高すぎも安すぎもしません。
やりとりをしながら、商人はこの先の道のりや、次の村のことなど、それとなく教えてくれるのでした。
そんなこんなで、青は商人からたくさんのものを買ってしまいました。
古ぼけた、じょうぶな銭袋をちゃりちゃり言わせながら胸元にしまうと、商人は笑いました。
「ぜったい後悔しないよ。あんたの旅を楽にしてくれるものばかりだからね。こっちも旅人のはしくれだから、わかるのさ。必要な人に、ぴったりの値で売るのが商いってもんだ。わしは売るために、はるばるかついできた。こいつを空にするまで帰れんのさ。」
かごの中で、あるものがきらりと光りました。青は思わず、見せてほしい、とたのみました。
それは、細かな銀の細工がしてある小さなさかずきでした。
城にいたころ、父王が青に誕生祝いにおくってくれたものによく似ていました。
なつかしくなって、急にそれが欲しくなりました。
さかずきを手に、迷っている青を見て、商人はにやりと笑いました。
「おや、目が高いねえ。そいつはけっこうな値打ちものだよ。だが、わしはすすめんよ。今のあんたにゃ、手にあまるだろう。なくしたらと、いらぬ心配もするだろう。だいたい、あんたには荷物にならない、どんな大きさにもなる立派な器があるじゃないか。」
そう言って、自分の両手を合わせて丸くくぼんだ形にして、飲み干すしぐさをしました。
「この手、ってやつは、まったくたいした道具だよ。これで、何だってやれるんだからな。おっと、あんまり言うと、わしの商売、あがったり。」
ぽんと手で自分のおでこを打って、笑いました。
「ものを買うときは今の自分を、よくわきまえなきゃいかん。これをまちがえると人生まで失敗するよ。」
今度はかごの奥から一本の瓶を出して、その中の飲み物を小さな茶わんに注ぐと、青にすすめました。
「このふた付きの瓶はぜんぜん中身がもれんのだ。実にべんり。」
青が飲むようすを見守って、自分も、おいしそうに飲み干しました。
「これはこの先の三つ目の村で、ひょうばんのりんご酒でな。わしはこれから、今あんたが出てきた村へ行くんだが、村人たちに飲んでもらって、気に入るようなら、次はたっぷり売るつもりなんだ。うん、こいつはいける。」
酒がまわって、顔がりんごのように赤くなりました。口も、ますますのってきたようです。
「わしはこのかご一つに百姓に売る道具も、貴族に売る宝石だって、もっているのさ。
ものは使う人しだい、売る人しだい。見る眼があればなんだって、価値がある。値が高いか安いか、じゃあないんだ。
旅人のあんただから言ってしまうが、わしの売りもんの中には、拾ったものもある。価値を知らんで捨てれば『ごみ』になり、使い方がわかる者には『たから』になる。ちょいと修理したり、磨いたり、見せ方を変えれば、まだ十分使える、売れる。だいじなのは、それを必要としている人に見せて、正しい値で売ること。わしは、それがほしいと思うお客を見つけるだけ。だから、こうして歩きまわっているのさ。なかなか骨が折れるがね。まあ、この足が動いてくれるうちはがんばるさ。(商人は自分の足をぽん、とたたきました)
あんた、字が読めるかい?ここにえらく珍しい本があるとしよう。そこに何が書いてあるのか。それがどれだけすばらしいものか。読めなきゃ、ただの紙くずさ。ものってのは、不思議でなあ。大金で買われたとしても、価値がわからないやつの手からは逃げ出すんだ。本当にそれを必要とするなら、貧乏人の手にも飛びこむ。わしはつくづく感じるのさ。ものも意志を持っている、わしらと同じように旅をするんだ。
もうちょっとこの老いぼれ商人の話につきあってくれ。
わしはいろんなところを回るが、ひどいのは都会だ。人間てのは平和で豊かだと、ものとのつきあいがいいかげんになる。かんたんに安く手に入るようになると、それがたいしたものじゃないような気がしてくる。もっと新しくて、いいものがほしくなる。古いものはほっぽり投げて忘れる。それが何のためにあるのか、どうやって使えばいいのか、知ろうともしない。そもそもなぜ、それを買ったのか、思いだしもしない。いっぽう、ものが手に入らなくなると、誰でもものを大事にして、工夫して、使う。だから、ものが本当に生きてくるのさ。
売るほうもいいかげんだ。金がほしいだけで、いりもせんものや、ろくでもないものを少しでも高く売りつける。逆に少しでも安くするやり方もある。売れりゃ、そのあとのことはどうでもいい。残るのはごみの山。ものを買ってるんじゃなくて、自分が買われちまってるな。
わしはな、人とものをしっかり結んでやりたいーそんなふうにものが売れたときのうれしさときたら、たまらんよ。あきんど魂ってやつさ。」
商人は心から愉快そうに笑って、また一杯、りんご酒をあおりました。
青は王女として城に暮していたころ、身の回りには何でもありました。それらがいくらの値がするか、どこから来たのか、まったく知りませんでした。何しろ金をかせいだり、買い物をしたことがなかったのですから、金の力、ものの値というものを知らなかったのです。城にいたら、永久に知らなかったでしょう。
今は自分の身につけられるものしか持てず、すべてなくてはならないものです。
小さなものひとつ買うにもさんざん考え、買わないですませることがほとんどです。
商人はじっと思いにふけっている青に、いせいよく声をかけました。
「金とものについちゃあ、旅人は一番かしこくなきゃならん。まちがえりゃ、旅はそこで終わり。ま、今のところ、あんたはなかなかうまくやってるようだね。」
それから、ふと青の足元に目をやると、何かを見つけたようです。いきなり手を伸ばして、生えている草をぶちり、ぶちりと引き抜き、袋にほうりこみます。
「こいつは薬草でな、酒を飲みすぎたとき、煎じて飲むと、次の日にはすっっきりさ。小袋につめたら、飲みすけたちに売れる。あんたも少し酔いがまわったろう。少し買わんかね。明日の旅も心配なしだ。」
商人とのかけひきは、どこまで続いたのでしょう。
