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「青の姫 The Blue Princess」第九章 母(創作大賞2026ファンタジー小説部門)

第九章 母 ー 育む人

それは一年のうちで、いちばん心地よい日だったのはまちがいありません。やわらかな金色の日差しが降りそそぎ、そよ風が肌をなでていく春の日でした。

そのとき青が歩いていたのは、十分もあればすぐに通り抜けてしまうような、小さな村でした。そのまま通りすぎて、次の目的地に進むつもりでした。
石造りの小さな家々、小さな広場に小さな泉、空気はおだやかで、鳥のすんだ声が歌っています。

青はもう、村の最後の通りに来ていました。
その時、鳥のさえずりに、人の声が重なっているような気がしました。 
女の人の声で、とてもゆっくりとした節まわしで、こんなふうに歌っていました―

お眠り ちっちゃな かわいい子
おとぎの国へ行って、妖精たちと遊んでおいで
でも忘れないで こっちの国に 母さんのところに戻ってくるのを
話してちょうだい
向こうで見たこと聞いたこと

青は声に引き寄せられ、通りの一番奥の小さな家まで、そのもとをたどっていきました。うす紫の小さな花におおわれた木戸があり、声はその奥から聞こえました。
扉はわずかに開いていました。まるで歓迎するかのように。
人ひとりが通るのがやっとの細い通路がのびて、奥へとみちびきます。
突然、目の前が開けました。それは小さな裏庭でした。
周囲は青葉そよぐ木々に囲まれ、木に咲く白い花がよい香りを放っていました。
青々した芝生の真ん中に揺り椅子がひとつ、そこに女の人が座っていました。
体を前後にゆっくりと揺らしながら、胸に抱いた赤子を見つめて、ほほえんだ口からあの歌が流れてくるのでした。

その人は歌いながら、青に気づくと、そっと唇に指をあてて合図し、眠ったばかりの赤ん坊をそばの揺りかごにうつしました。
それから静かに立ち上がりました。ふっくらした長い服に、大きな白い前かけをしています。まるで近所の誰かが来たかのように、青ににっこり笑いかけて、言いました。
「ちょっとこの子を見ていてくださいね。」
そして家の中に消えました。
とつぜん、見知らぬ人から赤ん坊をまかせられて、青は面くらってしまいしたが、とにかく揺りかごを見守っていました。

やがて女の人が、茶わんや菓子をのせたお盆を手に戻ってきました。
「さあ、お茶にしましょう。」
卓や椅子をととのえ、二人は座りました。
誰かとまちがえているのでしょうか?まだあいさつもしていないのです。
「あの、失礼ですが、誰かとかんちがいしていらっしゃいませんか?私は旅の者で、歩いていたら、すてきな子守歌が聞こえてきたものですから。つい、さそわれてこちらに入ってきてしまったのです。」
女の人は首をかしげて聞いていましたが、そんなことか、というようにまた笑顔になりました。
「あの木戸から入ってくる人は、みんな、お友達ですよ。」

その時、木戸の方からにぎやかな声が聞こえ、とつぜん、たくさんの子供たちがあらわれました。
十五人ほどでしょうか。一番小さい子は五歳くらい、一番年かさな子は、もう大人と言ってもよく、小さな子を背中におぶっています。

彼らは庭の真ん中にいる二人を見つけると、いっせいに取り囲みました。
「母さん、ただいま。お客さま?」
「ええ、母さんのお友達よ。」

子供たちはいっせいに母親に話しかけます。
「母さん、この歌、習ったよ。聞いてて。」と歌い始める少年。
「母さん、取れちゃった。また結んで。」おさげに結んでいた、きれいな飾りひもを差し出す少女。
「ぼく凧を作ったんだ。よく飛ぶんだよ!見てて、母さん。」庭の中で凧をあげようと、走り出す少年。
「母さんにお花、あげる。」道ばたでつんだ花をそっと差しだす子。
「この本読んで、母さん。」開いた本を押しつける子。

母さんと呼ばれた人は、大さわぎの中で腕や髪を引っぱられ、もみくちゃにされても、ますますうれしそうに笑い、一人ひとりに答えようとします。
とうとう、揺りかごの中の赤ん坊が泣きだしました。

「あらあら、赤ちゃんを起こしてはだめよ。それにお友達とお茶を楽しませてちょうだい。」
年上の少女が上手に赤ん坊をあやすと、揺りかごを持って、家の中へ入っていきます。他の子供たちもついていきました。

青はひどく驚きました。
「ずいぶんたくさんのお子さんをお持ちなのですね。だんなさんは何をしていらっしゃるのですか?これだけの人数の子供を育てるのは、さぞ大変なことでしょうね。」
「夫はいませんの。」
彼女は、青がさらにおどろきに目を丸くしているのを見て、おかしそうに続けました。
「信じていただけませんわね。でも、ほんとなんです。それをお話しすると、長くなります。わざわざ入ってきてくださったのだから、お時間はありますね。お茶のおかわりはいかが?」

そしてお茶をもう一杯、青と自分の茶わんについで、母になったいきさつをしてくれたのです。

「私はこの村の、この家で生まれ育ちました。ここから出たことはありません。家からもあまり出たことはありませんでした。私はひどい恥ずかしがりやだったのです。人の顔を見ることもできないくらい。誰かに話しかけられると、どう返事していいかわからない。知らない人や、人がたくさん集まるところにいたら、頭が真っ白になってしまう。ようやく何か思いついたときには、みんなとっくに別の話にうつっているのです。
そんなですから、家の中にこもってばかり。年ごろになっても男の人と話すこともできず、気づけばお嫁に行く年もすぎていました。両親は、私が家にいるしかない娘だとあきらめてしまいました。」

青は、ある人を思い出しました。黄色の衣がとても似合っていた人です。

「そんな私にも、一つだけ夢中になれることがありました。子供です。まだ少女の頃から、赤ん坊や子供たちが大好きでした。しんせきの子供が小さい時はよくお世話したものです。笑ったり、泣いたり、いろんな顔を見ているだけで楽しくて、ちっちゃな手足をさわったり、あやしたり、抱っこしているだけで、とても幸せだったのです。子供たちといると、自分が引っ込みじあんなことも忘れられました。
たった一人でもいいから、自分に子供がいたらと、いつも願っていました。けれど結婚もしていない自分には、望んでもかなわないこと。
娘の行くすえを心配していた両親も亡くなり、私はこの家でひとりぼっちで暮らしていました。
ほら、さっきあなたが通ってきたあの木戸。私、昔はよくここで、一人で座って本を読んだり、編み物をしていましたの。そんなとき、子供たちの声が聞こえると、あの木戸のところまでいって、通りで遊ぶ子供たちの姿を追ったり、声に耳をすませていたものです。
ある日、ちょうど今日みたいな、気持ちのいい春の日でした。ここに座って、ぼんやり空を見ていました。
その時、小さな声が聞こえた気がしました。赤ちゃんの泣き声のような。
耳をすませていると、聞こえなくなりました。空耳だ、と思いました。
すると今度は、おぎゃあ、と大きな声がしました。雷が落ちたみたいに飛び上がって木戸に走っていき、扉を開けると―
小さなかごが地面においてあって、その中に赤ちゃんが入っているじゃありませんか!
通りには人っ子ひとりいません。
生まれてからそうたっていない赤ちゃんでした。
とにかく家の中に連れて行き、その日はむちゅうで世話をしました。
翌日になっても、赤ちゃんを忘れた、と訪ねてくる人はありません。
めったに家を出ることのない私ですが、赤ちゃんをかごに入れて、とうとう村長さんのところへ行きました。大変なものを拾ったのですから。

村長さんは村人全員に聞いて回りましたけれど、新しく赤ちゃんが生まれた家はありませんでした。そんなことがあれば、みんな知っている小さな村です。
きっと通りすがりの旅芸人などが、育てられずに困っておいていったのだろう、というのが、村人たちの考えでした。
その間、私がその子の世話をしました。赤ちゃんから片ときも目をはなせないし、ぼんやりなんてしているひまはありません。お乳をもらいに、子供が生まれたばかりのお母さんのところに行ったり、着せるものを作ったり、夜中に赤ちゃんが泣きだすので、ほとんど眠れません。一日があっという間で、くたくたになりました。
でもあるとき、赤ちゃんが私をじっと見たのです。そしていっしゅん、私に笑いかけてくれたとき、胸の中がぱっとあたたかく、いっぱいになって、涙があふれました。そして泣きながら笑いました。それまでの人生で、あれほど幸せを感じたことはありませんでした。

何日、何週間たっても赤ちゃんの親は現れませんでした。
村人が私と赤ちゃんのことを忘れてくれたら、と心の中で願っていました。
しかしとうとう、村長さんと長老たちがこの小さな家にやってきました。
私はまるで、罪びとが刑を言いわたされるように真青になって、体も冷たくなりました。
とうとう本当の親が見つかったのだ。そうでなければ、村の子供を育てたことのあるお母さんにわたすのだ。結婚もしたことがない私にあずけてくれるはずがない、と思いました。
でももう、その子なしでの毎日など考えられません。赤ちゃんが来る前、自分は何をしていたのか思い出せませんでした。その子がいなくなったら、自分は空っぽになってしまう気がしました。また、この庭に一人で座っているだけの毎日なんて、たえられなかったでしょう。

村長さんは重々しい、きびしいお顔で、言われました。
『その子の親はどうしても見つからん。そこで、お前さん、ものは相談だがね。結婚もしていないあんたにたのむのは心苦しいんだが―その子を引きとってもらえんかね?みんな、自分の子供で手一杯なのだ。』

私は涙があふれてきて、ただ子供を抱きしめました。
神さま、ありがとうございます、と天に向かってお礼を申しました。

そら、さっき、大きな娘が赤ちゃんを抱いて家の中に入っていったでしょう。あれがその子ですよ。まったく時がすぎるのはなんて早いんでしょう。まるで昨日のことのよう。

ああ、あなたはまだ不思議に思ってらっしゃるのね。他の子供たちのことでしょう?

最初の赤ちゃんが来てからちょうど一年後のことです。その日があの子のお誕生日と決めて、ここでふたりでお祝いをしていたのです。今日あなたが入ってきたときみたいにね。そしたら、泣き声がしたのです。まさか、と思って、木戸のところへ見に行きましたら、また、小さなかごの中に赤ちゃんがいました。でも今度は、輝くようなかっ色の肌に、くるくるとした黒い巻き毛の男の子でした。さっきの子供たちの中の誰だかわかるでしょう?

今度は村長さんの決断は、最初ほど時間がかかりませんでした。

そして次の年も、その次の年も。毎年、全く違った赤ちゃんが私の家にやってくるのです。
村の人たちは本当にふしぎがって、困っていましたけれど、私がちっともいやがらないどころか、喜んでいるのを見て、これは何か神さまのなさるわざだと思うようになりました。
今ではなんと、十五人の子持ちなのですよ。

食べ物や身の回りのものはどうするかですって?ちっとも困りません。
市場に行けば、『やあ、おっかさん、野菜でも果物でも必要なだけ持っていきな。』と言ってくれます。
私が本当に手一杯な時は、村のおかみさんたちや娘さんたちが来て、手伝ってくれます。
村一番の子だくさんのおかみさんが、私を見て、しみじみ言うのです。
『たまげたねえ。あんたにゃ、かなわない。』

今では村の人たちは、あの子たちの大きくなるのを楽しみにしています。みんなとっても気立てが良くて、それぞれすぐれているし、あの子たちのおかげでどれだけ村が明るく、活気が出たことか。男の子たちは、農家や大工の男衆からいろいろ習うし、女の子もおかみさんたちのところに手伝いに行くしね。
きっとこの村をもりたてていってくれるでしょう。

自分でも不思議なんですけれど、結婚したことも、子供を生んだこともないのに、母親の仕事はなんでもできるのです。まるで生まれたときから知っていたみたいに。

どれだけ大変でも、いやだと思ったことはなくて、それどころか楽しくって時も忘れます。
あんなに引っ込みじあんだった私が、子供のためなら、外へ出て行って、だれとでも話せるし、どんな用事もすませてしまいます。あの子たちが私を強くしてくれたのです。

私がお人好しなのを知って、捨て子の場所にされているのだと言われたこともあります。
でも私には、神さまからの贈りものとしか思えないのです。
ほんとに、私が一番欲しかったものなんですもの。あの日、すっかり心の用意は出来ていて、子供たちを待っていたのだと思います。

その時、家の中から七歳くらいの少女が、女の人のそばにかけよってきました。青は、こんな子はいたかしら、と思いました。
さっきは兄弟たちにかくれて、何も言わず、何もしなかったのです。
少女は母に抱っこされるには大きすぎるし、小さな子を世話するには小さすぎました。
ただ女の人のひざにしがみついて、そのやわらかな手を取りました。自分の鼻先に押しつけて、「いい匂い」と言いました。
女の人はとつぜん、その子を引きせて、ぎゅっと抱きしめました。ふたりはしばらくそのまま抱き合っていました。やがて、体をはなすと、その人の目はぬれていました。女の子の顔をのぞきこんで、聞きました。
「私はだあれ?」
「母さんよ。決まってるじゃない。どうしていつも聞くの?」
少女は笑いました。

女の人は青をふり返りました。
「私、何度でも子供たちに聞かずにいられないんですよ。ばかでしょう?」
その時、その人の顔はひかえめな、けれどかくしきれない誇らしさと喜びで輝いていました。母そのものの顔。青はこれと似た顔を思い出しました。
最初、黄姫に似ていると思ったこの人は、母君にも似ていました。いつもふところに忍ばせている、青い石を取りだして、ぎゅっとにぎりしめました。

青が旅立つとき、母親と子供たちは小さな木戸に立って、手をふり、見送りました。
それはたしかに「家族」でした。


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