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「現場が大事?そんなことはありません。」と孔明なら言うかも

ロッシーです。

いま、三国志を読んでいます。

これまで、きちんと読んだことがなかったので、今更ながら手にとったわけです。

選んだのは吉川英治版。文庫で10巻もあるので「読み切れるかな…」と少し不安だったのですが、読み始めたらまったく止まらず、「もっと早く読んでおけばよかった!」と感じています。

『三国志』は、単に面白いだけではなく、読色々なことを考えさせられます。


例えば「現場」ってなんだろう?ということもそのひとつです。

日本ではよく「上の人は現場を分かっていない!」とか「現場こそが真実だ!」みたいなことが言われます。

もちろん現場を知ることはすごく大事です。
しかし、『三国志』の諸葛亮(孔明)を見ていると、ちょっと違う角度から考えたくなります。

孔明が劉備に仕えたのは27歳のとき。それまで隠居して勉強していた人なので、戦場の経験はゼロです。それなのに、敵の動きを何手も先まで読んで勝利を導くのです。

現場の武将たちが「そんなの無理だ!」と反対しても、結局は孔明の読み通りになってしまうんです。呉の軍師、周瑜も優秀なのですが、孔明は彼の読みのそのまたさらに先を読んでしまうほどの天才です。

もちろん、小説だから脚色はあると思います。でも、そうやって誇張されるということは、「現場を知らなくても見抜ける知恵」に人々が魅了されたということでもあります。

考えてみれば、現場経験がある人ほど、過去のやり方や常識に縛られてしまうことはよくあります。過去の経験を捨てられない、といったほうが良いのかもしれませんが。

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉の通り、経験ばかりに頼ると、思考が固まってしまうのかもしれません。

現場での学びはもちろん大事です。でも、それだけではなくて、理論を学んだり、頭の中で考えを深めたり、歴史や他人の経験から学んだりすることも、すごく大事なんだと改めて思います。

孔明のように、現場にいなくても頭の中で無限にシミュレーションして、的確な判断を下すこと。それもひとつの「実戦」なのかもしれません。

まあ、孔明みたいな天才だからこそできることだとは思います。でも、「現場を知らない人には語る資格がない」と決めつけてしまうよりも、「現場を知らないからこそ見えるものがある」と考えた方が、視野がもっと広がる気がします。

いや〜三国志は深いですね。

最後までお読みいただきありがとうございます。

Thank you for reading!

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