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ロンドンで出会った少年 第5話「出会い」

今日もイヤホンでテイラースイフトを聴きながら、ロンドンの街を歩く。高校時代に聴き尽くした曲。いつかロンドンに行くことを夢見て、勉強と称して洋楽ばかり聴いていた。

どれも古い建物だけど、どこをとっても映える。白がベースのゴシック調の建物。てっぺんには神話に出てきそうな草の冠をつけた男性の顔の彫刻がある。

晴れの日のロンドンは何にも変えがたいほど最高だ。日差しは日本よりも強く眩しい。海外の人がよくサングラスをかける理由が分かった。でも私はあえてサングラスをかけず、この太陽の光で照らされた建物を何のフィルターもかけず見ていたかった。

ロンドン2週目。ほとんど毎日、行き当たりばったりでロンドンの街を散策している。可愛らしい小さな雑貨屋さん、アンティークショップ、クロワッサンが美味しいカフェ。毎日が宝探しの気分だった。

ロンドンに来てあっという間に2週間が過ぎ、もう2週間すると帰国しなければならない。日本に帰ったらどうするかなんて考えると心が不安で押しつぶされそうになるから、なるべく考えないようにして、今を目一杯楽しむようにしていた。

しばらく歩くと広い芝生と川が見えてきた。芝生に腰を下ろし寝ている人もいれば、大きな木の陰の下でサンドイッチを食べている人もいる。川沿いに置かれたベンチに座って読書をしている人や、川から上がってきた鴨に餌をあげている人もいた。

それぞれが、好きな過ごし方でこの場所を楽しんでいる。楽しみ方は自由で、周りを気にせず好きなことをしているこの空間が心地よかった。

そのベンチのうちの一つに私も腰かけてみた。水面に太陽の光がキラキラと反射して、美しい。何匹もの鴨がスイスイと泳いでいくのが見える。時々顔をもぐらせてお尻と足だけしか見えていない鴨もいて面白い。

少し大きめに息を吸って吐く。まだひんやり冷たい空気と、ポカポカとした太陽が相まってそこにいる全ての自然を包み込んでいるような感覚になる。耳にはテイラーの軽快なアコースティックギターが鳴り響き、目に映る景色がミュージックビデオのワンシーンのようだ。

ずっとここにいたい。日本に帰りたくない。一生ここで、こういうゆったりとした時間を過ごしていたい。でも、家族には会いたいな。留学してる人って、寂しくないのかな。1年以上知り合いに会えないなんて考えられないけど、でも、そういう人生も死ぬまでに経験するのもありだなと思ったり。

「あれっ、芽衣さん?」
目を閉じてテイラーの曲に浸りながらそんなことを考えていると、頭上で声がした。日本語で、私のことを知っている人。反射的に目を素早く開け、声の主を見た。

「月葉です。学校で同じクラスの」
黒髪にゆるいパーマがかかった男の子で、古着っぽい黒いパーカーをダボッと着ている。伸びた前髪と印象的な大きな目を見て、すぐに思い出した。1人で浸っているところを見られて、急に恥ずかしくなってくる。

「ああ、コウくん、だよね?びっくりした。こんなところで会うなんて」
両耳のイヤホンを外しながら下を向き、顔を隠す。こんなところで1人でいるなんてできれば知られたくなかった。

「俺もびっくりしました。ここ日本人誰も来ないんで」
確かに見渡すとアジア人っぽい人は私たちだけだった。コウくんもてっきり誰か友達と一緒に来たのかと思ったけど、1人で来た物言いだった。

「良かったら」と私の右隣にスペースを空け、コウくんは小さく会釈をしてベンチに座った。

「ここ、よく来るの?」
「はい。よく散歩してます。あてもなく、ブラブラと」
コウくんは授業で1度ペア活動を一緒にしたことがある。コウくんは私より3つ年下の20歳。高校卒業後、大学には進学せずに1年間バイトしてからロンドンに留学しに来た。その情報以外コウくんのことは知らない。
授業にも来たり来なかったりで、やる気がないようにも見えていた。いつも黒とかグレーの暗い古着っぽい服を着こなしていて、独特の雰囲気があって少し近寄りがたかった。

でも、コウくんが優しい人だというのは知っている。

先週の金曜日に、クラスのフランス人のエマが卒業だった。最後の日はクラスで集まって集合写真を撮る習慣があるけれど、エマが今日で終わりということを知っていたのは先生だけだった。

エマと先生が「今までありがとう」と挨拶しているのをコウくんが見ていて、帰ろうとしているクラスメイトらを引き留めて「エマ今日が最後だって。写真撮ろう」と声をかけ始めた。みんなも「えっ、最後なの!?写真写真!」と言いながらエマの手を引き、集合写真を撮ることができた。

エマは控えめな子だった。でも、写真に映ったエマは見たことがないくらいとびきりの笑顔をしていた。コウくんに「ありがとう。あなたのおかげで思い出ができた」と言って帰って行った。

不真面目で怖そうに見えるコウくんのイメージが、180度変わった日だった。よく周りを見ていて、人が気づかないところに気づいて、それを行動に移せる人。どれも私にはできないことで、羨ましかった。

「てか、急に声かけて大丈夫でしたか?邪魔しちゃってたらすみません」
「大丈夫だよ。逆に声かけてくれて嬉しかった。てか、ここコウくんの行きつけだから、お邪魔してるのは私の方だし」
「行きつけって。まあ間違いではないですけど」
コウくんはふっと目を伏せて笑った。長いまつ毛が横から見える。

「芽衣さんは今日なんで来たんですか?」
「たまたま見つけた。いつも行く駅だけ決めて、あとは行き当たりばったりで良いお店とか場所とか探してるんだ。今日はこんな良い場所見つけることができて良かったよ」
「いいですね、そういうの。なんか海外に来たって感じがして」
「あと2週間しかいられないから、なるべくいっぱいロンドンのこと知りたいんだよね。コウくんはいつまでいるんだっけ?」
「12月までです。あと8ヶ月もあります」
「いいなぁ、私ももっとロンドンに居たい」
「俺はそろそろ帰りたいです。日本食が恋しくて。ラーメンとか寿司とか美味しいやつ食べたいです」
「あー分かる。本国の物って無性に食べたくなるよね。やっぱ日本人だね」

ロンドンにも日本食レストランはあるにはあるけど、値段が高い上に味もそこまで同じってわけじゃない。日本のうどんチェーン店にも行ってみたけど、2000円払って食べたのに日本の方が美味しかった。そういう意味では日本にいた方が、財布にも胃にも優しい。

「でも、やっぱり帰りたくないかも。日本帰ったら就活しなきゃだし。」
嫌なことを思い出した。転職活動が日本で私を待っている。未来ある若者の前で就活の愚痴を言いたくなかったが、思わず口にしてしまった。

「芽衣さん、たしか前は英語の先生でしたよね。まじですごいですね。英語なんて教えらんないです」
「中1英語だから簡単だよ。自己紹介の本当に基礎から始めるから」
「でも教えるってなると絶対難しいですよね。日本帰ったらまた教師に戻るんですか?」
「いや、教師はもういいかな・・・。やりがいはあるんだけどね!」
あまり愚痴っぽくならないように明るく言葉を付け足したけど、それが逆にフォローしたみたいになってしまった。

「やりがいは、って。逆に何がなかったんですか?」
このまま話していると、どんどん仕事の愚痴になりそうで思わず黙り込む。前職のことを話すとどうしてもマイナスの事ばかり頭に浮かぶ。聞いて欲しいけど、でも、聞かせたくないとも思う。

「あ、答えづらかったら答えなくても大丈夫です。嫌なこと思い出させちゃったなら、すみません」
「大丈夫、気つかわせてごめん。仕事の話するといつも愚痴っぽくなっちゃうんだ。辞めた自分にも非があったのに、100%その職場が悪いみたいな言い方になる自分が嫌で・・・ってこれも暗い話だね」
コウくんは少し考え込んでいるようだった。右手を顎に当てて、川で毛づくろいをしている鴨をじっと見つめている。

「多分ですけど、芽衣さん、教師続けたかったですよね?」
「え?」
思いもよらない質問に、思わず声じゃないようなかすれ声が出る。
「あの、違ってたら全然違うでいいんですけど、もし芽衣さんが教師を続けたくて辞めたのなら、それは100%職場が悪いです。」
「でも、他の人はみんな続けてるんだよ。残業とか、休日出勤とか、クレームとか私だけ耐えられなくて1年で辞めたし、私にも原因はあると思う」

「長く働いてる人ってだんだん麻痺してくると思うんですよ。それが当たり前になっていくっていうか。指示された仕事も、古い伝統も、何も疑わずにすんなり受け入れられるから続けられる。一つひとつ疑問に感じてたら疲れちゃうし。でも、だからこそ、芽衣さんのような”疑問を感じる人”が必要だと思うんです。」
コウくんはゆっくり、一つひとつの言葉を丁寧に吐いた。

「これからどんどん芽衣さん世代の人たちが社会に出て働く。相手にする生徒も令和の子たち。だったら働き方も学校の在り方も、昔と変わらなくちゃならないことも絶対あると思う。でもそのままでいいって誰も声を上げない職場で、社会人1年目の子が辞めるって言ってもなんとも思わない職場なら、それは職場が悪いと俺は思います」

曇りのない、鮮やかな薄茶色のコウくんの目。その目は私の目をとらえて離さない。
「自分にも非があったかもって振り返るのは良いことだと思いますけど、必要以上に自分を責める必要はないと思います。どうにもならないことってありますから」
コウくんはキッパリとした口調で言う。口調は強いけど、何か諦めたような寂し気な瞳をしていた。

「コウくん本当に20歳?人生2周目な感じするけど」
「失礼な。ピッチピチのハタチですよ!」
「・・・ありがと。元気出た。確かに、どうにもならないことってあるよね、人生」
「そうそう。どうにかなることだけ、どうにかしたらいいんです」
「その言葉いいね。ほんと、ピッチピチのハタチと思えない」
コウくんは「もー」と少し怒った顔で笑った。

ふと見渡すと周りのベンチにはほとんど人がいなくなっていた。日向ぼっこしていた鴨もどこかへ姿を消し、冷たい風の音だけが耳に入る。
スマホをつけるともう夜の7時だった。ロンドンの日は長く、8時過ぎくらいまでは昼間のような明るさが続く。7時が夜に入るのか、いまだに分からない。

「話し込んじゃったね」
「ですね」
「帰ろっか」
私たちはベンチから腰を上げた。両手を上げ、ぐっと伸びをする。

「あ、インスタ教えてもらってもいいですか?連絡とれるように」
「あー、そうだね。ちょっと待ってね」
スマホを取り出し、インスタのアプリを立ち上げる。コウくんに言われたIDを打ち込み、「Kou」と書かれたアカウントがヒットした。私のIDもコウくんに伝える。

「コウくん何も投稿してないんだね」
相変わらずインスタのアイコン画像も黒っぽい。夜道で振り向きざまのコウくんが映っているが、顔はブレていてハッキリ映っていない。それが絶妙なおしゃれさを醸し出していた。

「何か投稿したらいいのに。コウくんならおしゃれな写真いっぱい持ってそう」
「上げてたんですけど、なんか面倒くさくなっちゃって。今は連絡手段で使ってる感じです」
「私の大学の後輩たちなんて毎日のようにお酒の写真上げてるのに・・・コウくんってますます20歳に思えない」
「芽衣さんそれ褒めてます?老けてるって悪口じゃない?」
「べた褒めだよ」
「嘘ですね、笑ってるもん」
笑いがこらえきれなくなって下を向く。すかさずコウくんが顔を覗き込んできて「ほらやっぱり笑ってる!」と私を指さしながら怒った。顔を上げてコウくんと目が合う。今日知り合ったようなものなのに、こんなに早く打ち解けられるなんて思いもしなかった。

「コウくん、よろしくね」
「え?あ、はい。よろしくお願いします」
戸惑いながらもコウくんは小さく会釈をした。
ロンドンの街を、まっすぐ私たちは歩いた。

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