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「番い(つがい)の矢」①

「あたしと夫婦(めおと)になってよ。」
幼馴染の言葉にシャータは困惑した。
晴天の霹靂だったというより、曖昧にしてきた答えを出さざるを得ないという状況にだ。
「⋯少し、考えさせてほしい。」
「どうして?みんな言ってるわ。あたし達は似合いの夫婦になるだろうって。」
枕を交わしたことは何度かあった。
しかし、シャータにとっては通過儀礼のようなもので、彼女の肉付きのよい身体を抱きしめても、唇を重ねても、何の感情も沸かなかった。

「僕にはまだ、早いんじゃないかと思って。」
「そんな事ないわ。弓であんたに敵う男はいないじゃない。そしてあたしは族長の娘。これ以上似合いの夫婦がこの世にある?」
「君は、知らないんだ。どうして、僕が強くなったのか。僕は自分の欲しい物を得るために腕を磨いたわけじゃない。」
「⋯それ以外に何があるの?」
シャータは口を噤んだ。
彼女、エイシャが悪い訳ではない。
ただ、見ている世界が、違いすぎるのだ。
狩猟と牧畜をしながら痩せた土地を移動し、生きるために他者と争い、食べるために時に奪う。
強さが一番の正義という世界に生まれた。
異質なのは自分の方だった。

幼い頃から、人と争うのは苦手だった。
祖父も、父も、兄たちも部族の中で有数の武を誇るつわもの揃いだったが、自分だけは例外だった。
身体が弱いのではない。力が弱いのでもない。
ただ、力で人を制する事に抵抗があるのだ。

理解はしている。
奪わなくては生きられない。
奪った食べ物で生かされ、奪うことでこそ守れる命もある。
それもまた真理ではあるが、幼い頃に一度感じてしまった違和感は成長と共にむくむくと膨れ上がり、少し気を緩めると身体から溢れ出しそうになる。

弓の腕を磨いたのは、異質な自分を周りに悟られまいとするための隠れ蓑だった。


「シャータ、放牧の時間だぜ。さぼるなよ」
エイシャの返答に困っていると、ジャウハが遠くから声をかけてきた。
恐らく不穏な空気を察して助け舟を出してくれたのだ。シャータはこれ幸い、と、エイシャを残して馬に飛び乗った。
「助かったよ、ジャウハ。」
ジャウハは唯一無二の親友だ。
変わり者で周りからのあたりが強かった自分を、いつも庇ってくれたのはジャウハだった。
自分が抱えてきた違和感も、ジャウハにだけは打ち明ける事ができた。
その本質を彼が理解しているかどうかは別にして、彼は少なくとも馬鹿にすることなく、聞いてくれたのだ。

その日は風の心地よい、よく晴れた日だった。
2人は背の低い草がよく生えている場所まで羊を駆り立てていった。
鳴り鏑が空を割く音を聞くと、羊の群れは一斉に走り出す。
鞍の上で器用に身体を預けながら、シャータは慣れた手つきで手綱を捌く。
視線の先ではシャータが放った鳴り鏑をジャウハが追いかけ、空中で受け取った。
「今日の帰りはお前だな。」
「わかってるよ」

それは2人のあいだで習慣になっているちょっとした戯れだった。
ジャウハが鳴り鏑を放った時はシャータが受け取る。
もし受け止め損ねれば、帰りに羊集める役目を担う。うまく受け止めれば鳴り鏑を放った方が羊を集める決まりだ。

羊たちが草を喰む間、2人は草の上に座って眺めるともなく空を見た。
ところどころにちらばる雲は、葦の綿毛を広げたように薄く、何かに似た形を作っていてもすぐにその姿を変えていった。
「さっき何の話してたんだ。どうせまた色恋沙汰だろう」
ジャウハが顔をのぞき込んできて言った。
「そんなんじゃないよ。」
「いいじゃないか、エイシャ。族長の娘だし。それに⋯こう、胸も、腰もどっしりして、たまらないよな。」
「いいから、もう。止せよ。」
抱き合ったときの身体の感触を急に思い出して、思わずシャータは顔を赤らめた。

部族の婚姻は古くから一妻多夫制である。
騎馬民族と言われる自分のような者たちにとって、戦に出た夫が戻って来ないというのはありふれた話だ。
一妻多夫制は母子が孤立して困窮するのを防ぎ、部族の次世代を確実に育てるための仕組みである。
頭では分かっている。
しかし、慣例に倣ってエイシャと結婚をしたとして⋯愛してもいない彼女を他の男と分け合って、それでもずっと婚姻関係を続けられるものだろうか。
シャータには分からなかった。

「あんまり深刻に考えんなよ。俺達はここで生まれて、ここで生きてくんだ。受け入れて、大人になるのが一番の幸せだ。」
「そうかもね。」

羊達の腹が十分に膨れた頃合いで、シャータは投石縄を使って羊を追い立てる。
多くはジャウハの待つ西側の方向へ走って行ったが、今日に限って何頭かが群れの流れを逸れてはぐれて行った。
シャータははぐれた羊を追い、群れへ戻すために行く手に回り込んだ。
ふと目線を遠くへやると、東の地平線沿いにちいさくうごく旗印をみつけた。
他の一族の旗だろう。
シャータは鳴り鏑を放ち、はぐれた羊たちを追い込む。

「何だ、何かあったのか」
少しあわてた様子のシャータを見て、ジャウハは怪訝そうな顔で尋ねた。
「旗が見えた。白地に赤の剣の形だ」
「シウハ族の奴らだろう。早く行こうぜ。」

一族は族長のもとに100人ほどの小さな集団で暮らし、複数の族長を地方ごとに首領が束ね、首領を王が束ねる。
すなわち何百、何千の一族を1人の王が間接的に統治する支配体制であったが、王は殆ど雲の上の存在で、その姿を見たものは稀だった。
首領が束ねる小集団は、一族内の結びつきが強い反面、よその一族に対する当たりは強く、各地で小集団ごとの争いが頻発していた。
「お前も気をつけろよ。奴ら、俺達の縄張りまで入り込んで物取りをするって噂だ。」
「⋯誰か、やられたの?」
「ナザルの所が羊をやられたとか⋯。」
「どうだろうね。ナザルは仕事が雑なところがあるから、⋯柵から逃げたんじゃないのか。」
「とにかく、まぁ、気をつけるに越したことはないってことだ。お前んとこはお袋さんと2人なんだし」
「分かったよ、ありがとう。」

ジャウハと別れて、羊を自宅の囲いまで追い込んだ後、シャータは再び東の果てに目をやった。
すでに辺りは暗くなりかけており、餌場まで距離があることを考えれば、旗印は見えるはずもなかった。
それでも異なる2部族の縄張りが近い事で様々な軋轢が生まれることは想像に難くない。
シウハ族は武闘派だとも聞く。
物取りの話もあながちただの噂ではないのかもしれない。
なるべくなら、関わらないようにしたいものだ。
考え事をしながら自宅へ戻ると、自分と母しか暮らしていないはずの幕舎の横に、見慣れない馬がつないであった。
言いしれぬ不安に駆られ、シャータは腰に差した短剣を握りながら恐る恐る幕舎の入り口に手をかける。
囲炉裏にかけられた火の明かりが長い影と、その影の主の顔を映し出す。

「何だ、しばらく見ないうちに随分立派になったじゃないか」
見覚えのある影の主は、会わないあいだの年を重ねてはいたが、以前と変わらぬ笑顔をこちらへ向けた。
「兄さん!」
シャータは弾かれたように兄の元へ駆けよった。
「帰ってきてたんだね!」
「ああ、ついさっき着いたところだ。」
幕舎の奥でいそいそと食事の準備をしている母の表情も、普段より明るく見える。

一回り以上の離れた兄は名をカザンといい、普段は王に仕えている。
数年ぶりに暇をもらい、旗印を頼りに一族の元へ戻ってきたのだ。
兄は一族きっての出世頭だった。
剣と弓の腕を買われて参陣し、今では「同死者」と呼ばれる王の側近にまで上り詰めた。
しかはさそれを鼻にかけるでもなく、その態度は謙虚で誰にでも平等に接するため、家族のみならず一族の誰からも慕われる、尊敬すべき兄だ。

「少ないが、王都で手に入れた干し葡萄だ。」
カザンが差し出した包みからは、この痩せた土地では嗅ぐことのない、甘く芳醇な香りが漂った。
「これはお前に。南の国で見つけた、質の良い鋼の矢尻だ。お前の弓なら、これくらいの重さがある方が安定するだろう。」
「ありがとう、兄さん。」
「明日、共に狩りに行こう。せっかくだからその矢を使ってみると良い。」
「そうするよ。少しもったいないけど。」
あたたかな煮込み料理と、パン、それにカザンが持ち帰った干し葡萄が並び、家族は食卓を囲んだ。
家族の会話は就きず、月が高く昇ってからも、囲炉裏の火が消えることはなかった。


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