103 [エッセイ] 近所付き合いは難しい!?
住宅街には、ときどき迷う道がある。地図にはない近道、誰のものか曖昧な細い道、そして「通っていい道なのか、何となく気が引ける道」がある。
私の家の近くにも、そんな私道が二つ並んで、仮名で私道Aと私道Bがある。
どちらも袋小路なのだが、AとBの行き止まりには広田さん宅の庭先があり、その庭を抜けるとAからBへと通じている。
初めて来た人なら、「あ、抜けられるんだ」と思って通ってしまう。
進入禁止の看板もない。わざわざUターンするより、そのまま抜けた方が楽なのである。
人は「行ける道なら行く」という生き物に思える。遠慮なくスーパーの試食が置いてあれば食べるし、開いている席があれば座る。
近道があれば通る。悪意もなく自然の感覚のような気がする。
今回は、悪意がなくても、少しばかり波紋を広げていた。
問題になったのは、その私道Bだった。
長年、その道の奥に住む田村さん宅があり、半ば専用道路のように使っていたようである。
ところが最近、近辺の事情が変わってきた。空地がなくなり住宅が増え騒がしくなった事実である。
持ち主が広田さんに変わり、持ち主本人も軽自動車で通行するようになった。
すると、ある日のこと田村さんが広田さんに、「車の音がうるさいので静かに通ってくれ」と苦情を言って来たのである。
少し唖然となった。
普通に通行しているのに何故?と思ったからである。
ところが、話は少しややこしくなった。
広田さんは、「自分はその時間通っていない」と言う。
だが同時に、「シルバーのプリウスが通っていたのを見た記憶はある」とも話した。
後日、そのプリウスの持ち主らしい人物を探して確認が入ったが、「自分は通っていない」と返事をしたという。
こうして登場人物全員が、「私は違います」と言っている。
推理小説だったら名探偵が登場して来そうな状況になった。
近所の迷探偵が考え込んだ。
残されたのは、「では、いったい誰が通ったのか」という疑問と、「そもそも本当にそんなにうるさかったのか」という、さらに根本的な疑問だった。
プリウスといえば、どちらかと言えば静かな車の代表格である。
爆音を響かせる改造車ならまだしも、静音性が売りの車で苦情になるだろうか、と首をひねった。
話が近所へ広まるにつれ、「田村さんは以前から何かと苦情を言う人だった」という話も聞こえてきた。
長年静かだった私道に、人の出入りが増えたことへの戸惑いだったのかもしれない。
単純に音に敏感な人なのかもしれないし、積もった不満が騒音の形で現れただけかもしれない。
真実は、深掘り出来ずにヤミの中へ。
この出来事で改めて感じたのは、人の話というものは、伝言ゲームのように少しずつ形を変えるということだった。
最初は「車の音が気になる」という話だったはずが、いつの間にか「誰が通った」「誰かが嘘をついた事になる」「誰が悪い」という方向へ転がっていく。
やがて、一軒の借家があったので、大家さんや不動産屋さんまで話が広まり、頭を捻らせた。
幸いにも警察沙汰まで発展しなかったのが救いであった。
今回は、多くが電話越しのやり取りが主だった。
相手の表情も見えず、声色だけで判断するしかない。そこへ想像や憶測が入り込み、話はさらに曖昧になる。
昔なら、「ちょっと、どう思う?」などと縁側でお茶を飲みながら済んでいた話なのかもしれない。
だが今は、対面で話すこと自体に苦手意識を持つ人も多くなっている。
SNSでは気軽に言葉を投げられるのに、面と向かうと妙にぎこちない。
便利になったはずなのに、人との距離感だけは難しくなっている気がする。
結局、近所の人たちは、「これ以上揉め事にしないようにしよう」という方向に落ち着いて行った。
そして、私道には通行を控えて貰う看板を立てることになった。
誰かを犯人扱いするより、問題が起きにくい形を作ろうというわけである。
それは意外と、賢い結論だったのかもしれない。
世の中には、白黒をはっきりさせてけじめを付けた方が良いこともある。
しかし、ご近所付き合いには、「曖昧なままいつの間にか収めてしまう″放っておく″」という知恵もある。
真実を最後まで追いかければ、誰かが傷つくことが必須である。
袋小路の私道で起きた小さな騒動は、ご近所同士が生活を守る為に上手く切り抜けて行く生活の智恵があった。
ネットワークの団結もまだ捨てたものでもない。
昔で言えば、長屋の団結みたいで、向こう三軒両隣の精神が少し残っているようである。
そして、人生も袋小路に入ると行き場に迷うことを教えてくれた気がする。
「皆さんの街はいかがですか!?」
最後までお読み頂きありがとうございました🙇
※登場人物の名前は仮名にさせて頂きました。
