特性はどこからが「障害」か?|息子のダウン症と娘の困り感から辿り着いた「社会モデル」という答え
「特性が小さければ個性、大きければ障害」
そんな感覚を持っている人は多いのではないでしょうか。
私も無意識のうちにそんな感覚を持ち続けてきました。ダウン症の息子とちょっとこだわり強めの娘。私は今まで、息子のダウン症は障害、娘の気質は個性と位置付けていました。多分、世間一般的に見ても妥当な線引きかと思います。
でも、それは根本的に間違っていました。ある出来事をきっかけに、私の中で障害の定義が変わり始めています。
⒈娘の困り感と特性
年少の娘は、いわゆる健常と呼ばれる子です。運動も言語も発達が早く、明るくて天真爛漫だねとよく言われます。
ところが、最近娘が登園を渋り出しました。理由を探ったところ、保育園の集団に馴染みにくさを感じているようでした。割と誰とでもフランクに接する娘で、表面的にはあまり分からないのですが、人が多いところや状況が飲み込めないときに緊張することがあります。
普段は個性として見ているのですが、娘の困り感を解消するため、私はこの特性に向き合う必要がありました。
特性はあくまで私の見立てに過ぎません。それでも、特性を意識するようになると、色んなことが繋がり始めました。保育園の後にすごく疲れてたのは、きっと色んな場面で緊張してるからだろうなと。保育園での色んな葛藤を想像すると、娘に対して今までより少し優しくなれたように思います。その成果か、少し登園渋りが落ち着いてきました。
息子の発達を見てもらっている先生にも相談したところ、特に今は心配ないと言われたので検査は受けていませんが、特性を理解して向き合うことの大切さを実感する出来事でした。
困り感が改善しない場合は、検査を受けることで特性を明らかにすることも大切だと思います。特性を明らかにすることで、その子に合った環境や必要な支援を考えていけるからです。
検査を受けるかどうかは、特性の大きさではなく、その子の困り感を解消するために何が必要か、という視点で判断することが重要なんだと気づきました。
2.特性はみんなある
発達検査を受けるかどうか判断をするとき、どこからが障害なんだろうという疑問が浮かび上がります。
今回、娘の困り感に向き合ったときに見えてきた特性。それは、検査を受ければ、障害と言われるものになるのかもしれない。でも検査を受けなければ、個性の範疇にも思えます。
私も、娘と同じような特性を持っていると思うことがあります。みんな何かしらの特性に大なり小なり偏ってるんですよね。そしてその特性は、偏りの大きさによって、どこからが障害でどこからが健常って線引きできるものではありません。
特性が顕著だから障害なのではなく、偏りが大きくても小さくても個性なのです。
この特性については、先日「もっちゃんせんせー」という方が「ミックスジュース理論」と表現して記事を書いておられました。面白くとっても分かりやすかったので、ぜひ読んでみてください⭐︎
3.障害を生むのは環境だった
娘の保育園での困り感について、ある作業療法士の方に相談させていただいたときに、こんな返事をいただきました。
「診断がつくことが悪いことではもちろん無く、その所属してる環境がその子供の特性のポジティブな面とネガティブな面どちらにフォーカスしてくるかによって全然話が変わってくる子もいるんだよなと思っています。」
つまり、環境が合えば個性を輝かせることもできるし、環境が合わないと障害になってしまう。
娘の登園渋りの原因を考えたとき、私はとっさに、「ああ、特性が偏ってるから順応できなかったんだな」と思いました。でも実はその考え方は逆だったんです。
保育園という環境が娘の特性に順応していないからネガティブな面が目立ってしまう。保育園が娘にとって、困り感ではなく個性を引き出してくれる場なら、特性は個性としてポジティブに捉えられる。
環境によって、特性は個性にも障害にもなり得るのです。
この環境が全ての人に合うように、全ての特性を包括するようにという考え方がインクルーシブですよね。
4.社会モデルという考え方
インクルーシブという考え方を基準に置いたとき、障害は「個人」ではなく「社会や環境」にあるとする考え方が見えてきます。これを「社会モデル」と言います。
夏井千春さんという方の記事で、「社会に障害が宿る」という言葉で書かれていますので、ぜひ読んでみてください。(今日は色んな方の言葉を借り過ぎですね。みなさんありがとうございます。)
この「社会モデル」の考え方は、特性の大なり小なり全ての人に通ずるものです。そして、それは社会のバリアによって長年、「障害者」とされてきた人たちにも、同じように当てはまります。
たとえ目が見えなくても、それを不自由と感じない環境が整っていれば、それは障害とは捉えられません。
ダウン症であっても、就職や生活に困らず個性を生かせる社会なら、障害ではなく多様性として認知されるのではないでしょうか。
「ダウン症=障害がある」というイメージが強いですが、それは長年この社会で植えつけられてきた、「障害は個人の問題である」という「個人モデル」という考え方の影響なのだと思います。
「個人モデル」から「社会モデル」へ。
これが、全ての子の特性を「個性」や「多様性」として輝かせるための鍵になるはずです。一緒に「社会モデル」を広めていきましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございました。今回は色んな方の言葉をお借りしつつ、思考フル回転で書いたのでドッと疲れました。そういう記事って読んでくださるみなさんも疲れますよね😅ありがとうございます。
まだまだ浅い経験から色々と語っていますので、ぜひみなさんの意見もコメント欄で聞かせてください。スキ、フォローもお待ちしています♡
