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現金を引き出しただけで、会社から借りたことになるらしい。

「この役員貸付金って、誰が誰に貸してるんですか?」

決算書を見ていた社長が聞いた。

役員貸付金、118万円。

「会社が、社長に貸しています」

「俺、会社から118万円も借りてませんよ」

「48万円は、会社から個人口座へ移した分です」

「ああ。家のエアコンです。あれはちょっと借りただけ」

借りている。

残り70万円は、会社口座から何度か引き出した現金だった。

「これは現場で使ってますよ」

「領収書はありますか?」

「全部はないです」

「残った現金は?」

「残ってないと思います」

「何に使いました?」

「だから、現場です」

現場は便利な言葉である。

だいたいの工具と、だいたいの駐車場代と、たまに社長の記憶まで受け入れてくれる。

ただ、決算書はそこまで面倒見がよくない。

会社口座から70万円が出たことは分かる。

しかし、領収書も現金も残っていない。

会社の経費として使ったのか、まだ社長が持っているのか、税理士には確認できない。

そのため、いったん社長に渡ったお金として役員貸付金に残した。

社長は納得していなかった。

「でも、その金を稼いだのは俺ですよね」

この言い分は、一人社長ならよく分かる。

苦しいときだけ、会社と社長は一心同体になる

会社をつくったのは社長である。

資本金を出したのも社長。

最初の仕事を取ってきたのも社長。

売上が足りない月には、個人の貯金から会社へ金を入れた。

社員の給料を払うために、自分の役員報酬を後回しにしたこともある。

銀行から借りるときは、社長個人が保証人になった。

会社が苦しいとき、税理士も銀行も、会社と社長をあまり分けない。

「社長に踏ん張ってもらうしかありません」

「社長から会社へ資金を入れられませんか」

社長の金も、信用も、睡眠時間も、会社のために使わせる。

ところが、会社の通帳に少し金が残ると、急に全員が言い始める。

「これは会社のお金です」

赤字は俺のもの。

借金も俺のもの。

責任も俺のもの。

でも、金だけは会社のものなんですか。

社長が腹を立てるのも無理はない。

会社が沈みそうなときは一心同体だったのに、金が残った瞬間、別人格を紹介される。

ずいぶん都合のいい別人格である。

税理士は、金に名前を付けたがる

「法人と個人は別です」

税理士はこういう言葉が好きだ。

正しいし、短いし、それ以上説明しなくても専門家っぽく聞こえる。

ただ、社長が聞きたいのは法律上の人格の話ではない。

自分が作った会社で、自分が稼いだ金を、なぜ自由に使えないのかという話である。

「社長が稼いだ金、という感覚は間違っていないと思います」

私がそう言うと、社長は少し機嫌を直した。

「ですよね」

「ただ、会社から出すときは、何の金か決めないといけません」

役員報酬なのか。

社長が立て替えた経費の返金なのか。

社長が会社へ貸していた金の返済なのか。

会社の経費を払うための現金なのか。

それとも、社長が個人的に借りたのか。

通帳から出るときは、全部同じ一万円札である。

会計に入ると、急に名前を求められる。

税理士は、人間関係には名前を付けなくても平気だが、金の移動に名前がないと落ち着かない。

職業病だと思う。

「あとで」は、役員貸付金を育てる

役員貸付金があるだけで、社長が悪いことをしたという話ではない。

領収書が見つかり、会社の支出だと確認できれば、適切な経費へ直せるものもある。

本当に一時的に借りただけなら、会社へ返せばいい。

問題は、「あとで探します」と「あとで返します」である。

翌月には別の現場が始まる。

社長はまた現金を引き出す。

領収書は車のドアポケット、財布、作業着の胸ポケットへ分散する。

役員貸付金だけが、会計ソフトの中ですくすく育つ。

一年後、社長は決算書を見て言う。

「これ、まだ残ってるんですか?」

残っている。

会計ソフトは、社長より記憶力がいい。

会社が社長の個人的費用を負担すれば、役員への給与と同じように扱われる論点が出る。無利息や低い利率で貸した場合も、利息相当額について給与課税の問題が生じることがある。

税理士がうるさくなるには、それなりの理由がある。

理由があっても、うるさいものはうるさい。

会社から金を出すな、ではない

社長は会社のために働いている。

だから、きちんと金を受け取っていい。

役員報酬として受け取る。

会社へ貸していた金を返してもらう。

立て替えた経費を精算する。

問題なのは、会社から金が出ることではない。

出た金が、途中で名無しになることだ。

現金を引き出したら、残金と領収書を一緒に置く。

個人的に使ったら、その月のうちに会社へ戻す。

一時的に借りるなら、返す日を決める。

今日やることは一つだけ。

試算表の「役員貸付金」を見て、何の金だったか思い出す。

税理士から聞かれる前に見た方が、少しだけ腹が立たない。

会社の金は、たしかに社長が稼いだ金である。

ただ、社長が稼いだ大事な金を、社長自身が説明できなくなるのは少し寂しい。

会社と社長は別人です。

税理士は最後までそう言う。

それでも会社が困ったときには、たぶんまた社長を呼ぶ。

ずいぶん都合のいい別人である。

たまに税金。だいたい人間。

別表四郎

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