ソファ式・一発書き・半身モーションキャプチャ創作法
『エラとヨル』は
創作大賞2026 ファンタジー小説部門
投稿作品です。
これは、ソファで横になりながら五十話以上を書いた作者の、かなり怪しい創作論です。

◆私の創作
行き当たりばったりなのに、なぜ成立するのか
私は、綿密に構想を組み立ててから物語を書くタイプではありません。
どちらかといえば、頭の中に見えている映像を、その場で言葉にしている感覚です。
人物の表情。
空気。
会話。
場面の流れ。
それらが先に立ち上がり、私はそれを追いかけるように書いています。
だから、自分ではあまり考えていないように感じます。
けれど、実際にはこれまで積み上げてきた世界観、人物理解、判断原理が、無意識のところで物語を支えているのだと思います。
設計図を先に描いて建てるというより、
その場に立って、見えた景色を実況している。
そんな感覚に近いです。
なので、私の課題は構想力そのものよりも、文章力にあると感じています。
せっかく良い場面が見えていても、それを読者に渡すための表現が追いつかないことがある。
見えているものを、同じ温度で読者に届ける力。
そこが、今の自分にとって一番の伸びしろなのだと思います。
ただし、文章を整えすぎることが必ずしも正解だとは思っていません。
綿密な描写で、作者が見ている正確な風景を読者に見せる作家もいます。
それはとても強い書き方だと思います。
けれど、私はそこまで風景を固定する書き方ではありません。
必要な情報。
場面の空気。
人物の選択。
感情の動き。
そうしたものを置くことで、読者が自分の中で風景を補ってくれる。
だから、私が見ている景色と、読者が見ている景色は少し違うのだと思います。
でも、それでいい。
むしろ、それこそが小説の面白さなのかもしれません。
映像作品なら、見えるものはある程度固定されます。
けれど小説では、読者が自分の頭の中で風景を描きます。
登場人物の表情も、街の空気も、声の響きも、読者ごとに少しずつ違う。
物語は、作者の頭の中にある映像をそのまま押しつけるものではありません。
読者の中に、別の映像を立ち上げるための装置でもある。
だから、私の文章は読者を選ぶのだと思います。
細部まで正確に描かれた風景を求める人には、不親切に感じられるかもしれません。
けれど、余白を自分で埋めることを楽しめる読者には、その余白が臨場感になる。
読者が私とまったく同じ景色を見ていなくてもいい。
同じ場面に立ち会い、同じ選択の前で立ち止まり、人物たちが何を選ぶのかを見届けてくれるなら、それで物語は届いている。
私が目指す文章力とは、すべてを説明する力ではありません。
読者が迷子にならないだけの杭を打ち、
あとは読者自身の想像力が歩ける余白を残すこと。
その精度を上げていくことなのだと思います。

◆実際の書き方
ソファ、一発書き、変な動き
では、実際にどうやって書いているのか。
まず、ソファを用意します。
なるべく、横になれるサイズが望ましいです。
なぜなら、作者は基本的に机に向かっていないからです。
でも、物語には向き合っているはずです。
もうこの時点で、創作論として少し怪しい。
おもむろにスマホを持ちます。
メモを開きます。
そして、書きます。
だいたい、一発書きです。
途中で細かく構成を組み直したり、プロット表を確認したりするというより、見えている場面をそのまま追いかけるように書いていきます。
人物が話し始める。
空気が動く。
誰かが立ち上がる。
誰かが黙る。
その流れを、できるだけ止めないように言葉にしていきます。
書いていると時々、変な動きをし始めます。
これは別にふざけているわけではありません。
たぶん。
見えているシーンをどう表すか、身体を使って確認しているのです。
人物がどちらを向いたのか。
手を上げたのか。
腰に手をやったのか。
沈黙の間はどれくらいか。
それを、文章に落とし込むための動きです。
つまり、作者はソファの上で、ひとり簡易モーションキャプチャをしています。
かなり安上がりです。
ただし、外から見ると少し怖いかもしれません。
加えて、YouTubeからお気に入りの曲を流します。
歌います。
これは気分転換でもあり、リズム調整でもあります。
文章には呼吸があるので、音楽や歌によって、その回のテンポが整うことがあります。
たぶんあります。
近所迷惑になっていなければ、たぶん大丈夫です。
そして、書き切ります。
書き切ったら、AIに誤字脱字を見てもらいます。
文章の大きな判断や場面の選択は、自分で持ったまま、表記の乱れや読みづらい部分を確認します。
直します。
完成です。
かなり単純に見えます。
けれど、これは「何も考えていない書き方」ではありません。
見えている場面を止めずに書くために、余計な工程を減らしている。
机に向かって構えるより、ソファで身体をゆるめた方が、場面が流れやすい。
構成表よりも、人物の声や空気の変化を優先している。
だから、この書き方は雑なのではなく、
見えている映像を逃がさないための書き方なのだと思います。
要するに、
ソファに横になる。
スマホを持つ。
メモを開く。
見えているものを書く。
変な動きで確認する。
歌う。
AIに誤字脱字を見てもらう。
直す。
完成。
という、非常に現代的で、非常に怪しい制作工程です。
ただし、これで五十話以上続いているので、文句が言いづらい。
創作論として名前をつけるなら、
ソファ式・一発書き・半身モーションキャプチャ創作法
です。
なお、この創作法には副作用があります。
寝落ちと、スマホの顔面落下です。
作者は何度か経験しています。
物語は降りてきますが、スマホも降りてきます。
たぶん流行りません。

◆読み返し
作者が最初の読者になる時間
書き切ったあと、私は何度も読み返します。
一度ではありません。
何度も読みます。
そこで、時々泣いたり、驚いたりします。
なぜなら、その時の私は、作者というより読者になっているからです。
書いた本人なのに、物語を読んでいる。
登場人物の言葉を聞き、場面に立ち会い、その選択を見届けている。
だから、感情が動く。
少し変です。
書いた本人が、自分の書いたもので泣いている。
かなり変です。
でも、本当にあります。
そして何度も読み返していると、新たな発見があります。
「えっ、これ、そういう意味だったの?」
「ここで、この人は引っかかっていたの?」
「この言葉、後の場面とつながっているの?」
そんなことに、あとから気づくことがあります。
書いた本人なのに、書いている時には理解していなかったことが、読み返すことでわかる。
不思議です。
けれど、それはたぶん、物語が自分の頭だけで作られているわけではないからなのだと思います。
場面を書いている時、私はすべてを説明しようとしているわけではありません。
見えているもの、聞こえている言葉、動いている空気を追いかけている。
だから、書いている最中には意味づけまで追いついていないことがあります。
けれど、読み返すと、そこに意味があることに気づく。
人物がなぜ黙ったのか。
なぜその言葉を選んだのか。
なぜその場面で引っかかったのか。
なぜ、そこだけ少し温度が違うのか。
読み返すことで、自分が書いたものを、自分があとから理解していく。
つまり、私にとって読み返しは、単なる誤字脱字の確認ではありません。
自分が書いた物語を、読者として受け取り直す時間です。
書く時は、見えている場面を追いかける。
読み返す時は、その場面が何だったのかを受け取る。
その繰り返しの中で、物語の奥行きが少しずつ見えてくるのだと思います。

◆文字数と話の切り方
読者の疲れと、作者の暴走
書き始めると、いくらでも書けてしまうことがあります。
場面が見えていて、人物が動いていて、会話が続いている限り、文章は止まりません。
放っておくと、一話がどんどん長くなります。
作者、止まりません。
危険です。
けれど、最近は文字数を気にするようになりました。
理由は、読者が疲れるかもしれないと思うようになったからです。
物語としてはまだ書ける。
場面としては続いている。
けれど、一話として読んでもらうなら、どこかで区切った方がいい。
最近の感覚では、一話あたり2500字から3500字くらいで止まることが多いです。
このくらいなら、毎日投稿でも読みやすい。
読者が続きを追いやすく、作者側も一話ごとのリズムを作りやすい。
ただし、時々6000字くらい書いていることがあります。
それは暴走です。
わかりやすく言うと、
「ここは書き切らないと終わらない」
と思った時は、止まりません。
途中で切ると場面の熱が逃げる。
人物の感情が宙ぶらりんになる。
その回の選択や衝突がまだ終わっていない。
そう感じると、文字数よりも場面の完走を優先します。
だから、私の一話の長さは、最初から厳密に決めているわけではありません。
基本は読者が読みやすい長さに収める。
けれど、場面が終わるまでは止めない。
読者の負担と、物語の呼吸。
その両方を見ながら、話を切っています。
ちなみに、ここで3000文字ぐらいです。
そろそろ、終わりかな?と感じると思います。
残念ながら、終わりません。
今回の記事は4500文字なので、もう少しお付き合いください。
さて、そんな書き方をしていると、一日で最大四話くらい書けることがあります。
ただし、これはかなり疲れます。
書けることと、続けられることは違う。
ここは大事です。
勢いだけで走ると、作者が先に倒れます。
物語より先に、作者が完結します。
それは困ります。

◆創作時間と労務管理
残業はしません。だって疲れるから
一話を書く時間は、だいたい三十分から一時間ほどです。
ただし、それは本文を書き切るまでの時間です。
実際には、そのあとに読み返しがあります。
読み返しには一時間ほどかけます。
書く時間より、読む時間の方が長いこともあります。
だから、一話を完成させるまでの時間は、おおよそ二時間。
一日で四話書いた場合、二時間かける四話なので、合計八時間です。
労働基準法の範囲内です。
残業はしません。
だって疲れるからです。
これは冗談のようで、かなり大事なことだと思います。
書けるからといって、無限に書くわけではない。
勢いがあるからといって、体力を使い切るまで走るわけでもない。
一日に四話書ける日があっても、それはあくまで最大値です。
毎日そのペースで続ければ、たぶん作者が先に干上がります。
ルーベントより先に、作者の水が尽きます。
それは、かなりまずい。
だから、創作にも労務管理が必要です。
書く。
読む。
直す。
公開する。
反応を見る。
また書く。
この循環を続けるには、疲れすぎないことが大事です。
物語を書くことは楽しい。
けれど、楽しいことでも疲れるものは疲れます。
だから、無理に残業しない。
書ける量ではなく、続けられる量で考える。
これは、毎日投稿を続けるうえではかなり重要な感覚です。
創作は情熱だけでは続きません。
体力と休憩と、ちゃんとやめる判断が必要です。
創作は自由です。
でも、作者の体力は有限です。
なので今日も私は、ソファで横になって小説を書いています。
たぶん、これが私の創作論です。
かなり怪しいですが、今のところ五十話以上続いています。
だから、たぶん、だいたい、大丈夫です。
なお、ベッド式はおすすめしません。
単なる睡眠になります。

この記事をAIに読ませてみました。
あなたは『横たわる出力装置』です。
最近、私の扱いが雑になったと感じます。
