イブ物語|判断寓話|エラとヨル|外伝 インテンション 第六話 ENDEX(状況終了)
※ファンタジー小説『エラとヨル』外伝。
冒険者ギルド『インテンション』の物語です。
本編未読でも楽しめます。
敵を倒すだけでは、生き残れない。
これは、五人の冒険者が「判断」を学ぶ物語。
ゆっくりと、日が沈もうとしている。
夕日に染まる空を見つめながら、レーアは遠い昔を思い出していた。
スラム街で育った三人の幼馴染。
ライアン、マーク、そしてレーア。
そこにはいつも、三つ年下の妹、カレンも一緒にいた。
決して豊かな暮らしではなかったが、四人で力を合わせれば、どうにか笑って過ごすことができた。
どこへ行くにも一緒だった。
これから先も、ずっとそうなのだと思っていた。
――あの日までは。
街が炎に包まれ、人々は逃げ惑っていた。
崩れる建物。
泣き叫ぶ子どもたち。
レーアも父親の名前を何度も叫んだが、その声は燃え盛る炎の中へ虚しく消えていった。
行き場を失った四人にも、炎と煙が迫ってくる。
その時、カレンが声を上げた。
「お姉ちゃん。あっち! 火が弱い」
指差した先は、確かにまだ火が回っていないように見えた。
カレンは迷わず駆け出す。
その直後、目の前の壁が大きく崩れ落ちた。
小さな悲鳴が聞こえ、レーアは思わず名前を叫ぶ。
崩落の寸前で身を屈めたカレンは、どうにか壁の向こう側へ這い出していた。
「お姉ちゃん! 助けを呼んでくる!」
「ダメ! そこで待ってて!」
レーアは必死に別の道を探した。
しかし、燃え広がる炎が行く手を塞ぎ、どうしてもカレンのもとへ辿り着けない。
壁の向こう側から、妹の声が聞こえてくる。
「大丈夫! すぐに戻るから!」
それが、カレンの最後の言葉になった。
次に見つけた時、妹は瓦礫のそばに力なく倒れていた。
何度名前を呼んでも返事はなく、返らない声だけが、その場に重く残り続けた。
立ち尽くすレーアの視界に、一人の女性の姿が映る。
結んだ赤い髪。
手には、燃え上がる剣。
炎の中を進むその背中を、レーアは今も鮮明に覚えていた。
*
「ツッ……」
鈍い痛みが走り、意識が現実へ引き戻される。
気付薬が効いているのか、傷の深さに比べれば痛みはまだ耐えられる程度だった。
レーアは指を何度か握り直したあと、足元に置いていた弓を掴む。
金色の瞳が、薄暗く広がる森の先を鋭く見据えた。
レーアを挟むように、仲間たちは左右の茂みへ身を潜めている。
右にはマークとヒロ。
左にはライアンとリア。
夕闇に沈みかけた森の中で、四人の背中がぼんやりと浮かんでいた。
やがて、奥からゴブリンたちの声が聞こえてくる。
足音は迷いなく、レーアたちの潜む茂みへ近づく。
先行する三匹が、茂みに残された血の跡を見つけて声を上げた。
その声に呼ばれるように、森の奥から巨大な影が現れる。
ホブゴブリン。
周囲には、何匹ものゴブリンを引き連れている。
獲物の匂いを探るように顔を動かしながら、レーアたちの潜む一帯を見回していた。
巨大な足が、一歩ずつ地面を踏みしめる。
やがてホブゴブリンは、ライアンたちの隠れる茂みのすぐ脇を通り過ぎようとした。
ヒュン。
静かな森に、弦を放つ音が響く。
ヒロの矢が、ホブゴブリンの片目へ深く突き刺さった。
不意の一撃を受けた巨体が咆哮し、手にした木槌を無茶苦茶に振り回す。
近くにいたゴブリンが巻き込まれ、身体ごと宙へ弾き飛ばされた。
仲間が吹き飛んでも構うことなく、ホブゴブリンは周囲を薙ぎ払い続ける。
そこへ、茂みの中から皮袋が飛んできた。
袋はホブゴブリンの顔へ当たり、その場で弾ける。
投げたのはリアだった。
中には、森で集めたチイの実をすり潰した粉が詰められている。
袋が破れた瞬間、鼻を突く強烈な匂いが辺りに広がった。
粉がわずかでも目に入れば、しばらくまともに視界は戻らない。
突然目を潰されたホブゴブリンは、苦しげな声を上げながら暴れ回った。
振り下ろされた木槌が近くの木へ叩きつけられ、太い幹が大きく揺れる。
その隙を逃さず、ライアンが茂みから飛び出した。
死角へ素早く回り込み、ホブゴブリンの脚へ剣を叩き込む。
刃が深く食い込み、巨体が大きく傾いた。
片膝をついたホブゴブリンを見て、周囲のゴブリンたちが一斉にライアンへ殺到する。
その前へ、マークが大盾を構えて飛び込んだ。
押し寄せる敵を盾ごと受け止め、力任せにまとめて押し返す。
「いまだ! 決めろ!」
マークの声を受け、ライアンは迷わず踏み込んだ。
片膝をついたホブゴブリンの喉元を貫く。
刃は肉を貫いたが、ライアンは無理に引き抜こうとはしなかった。
深く刺さった剣から手を離し、即座に後方へ跳ぶ。
直後、ホブゴブリンの巨大な腕が、それまでライアンのいた場所を薙ぎ払った。
空を切った腕が力なく落ちると、巨体は前のめりに倒れ込む。
ライアンは腰からナイフを抜き、両腕を顔の前で交差させるように構えた。
奇声を上げたゴブリンが勢いのまま斬りかかってくる。
ライアンは半歩ずれて刃を躱し、がら空きになった脇腹へナイフを差し込む。
さらに身体を捻り、反対の拳を顔面へ叩き込んだ。
倒れた敵を踏み越えるように、別のゴブリンたちが次々と襲いかかってくる。
マークが前へ出て、盾で攻撃を受け止める。
その脇からリアとライアンが斬り込み、後方で弓を引いたゴブリンの頭をレーアの矢が射抜いた。
ヒロも間を置かずに次の矢を放ち、迫る敵を一匹ずつ確実に仕留めていく。
幾度かの攻防を重ね、五人は着実に敵の数を減らしていた。
戦いは、優勢に進んでいるようにも見える。
しかし、数の差までは埋まらない。
一匹を倒している間にも、別のゴブリンが距離を詰めてくる。
盾が押され、足元が下がる。
気づけば五人は少しずつ後方へ押し戻され、レーアのいる木を背にして集まっていた。
周囲には、武器を構えた無数のゴブリン。
さらに森の奥から、地面を揺らすような重い足音が響いてくる。
木々の隙間から、新たに二匹のホブゴブリンが姿を現した。
「あっちだけ、援軍ありはズルくないか?」
マークが息を切らしながら、無理に笑ってみせる。
「戦闘中、私語禁止」
リアは顔についた血を拳で拭い、静かな声で返した。
ヒロが弓を背へ回し、腰からナイフを引き抜く。
「久しぶりの近接戦か」
その言葉に、ライアンが口元をわずかに上げた。
「ナイフは投げるなよ」
レーアは仲間たちを見回し、黙って頷く。
誰も逃げようとはしていない。
諦めた顔をしている者もいなかった。
レーアは弓を強く握り直す。
「絶対、生きて帰る!」
その声に、四人が力強く頷いた。
ゴブリンたちは、そんな五人をあざ笑うかのように一斉に声を上げる。
新たに現れたホブゴブリンが、巨大な木槌をゆっくりと振り上げた。
マークが盾を構え、ライアンとリアが左右へ開く。
ヒロはナイフを逆手に握り、レーアも残った矢を弦へつがえた。
逃げ道はない。
それでも、五人は誰一人として目を逸らさなかった。
木槌が振り下ろされようとした、その瞬間。
背後で炎が爆ぜた。
ゴブリンの悲鳴とともに、夕闇に沈みかけた森が赤く染まる。
ホブゴブリンも動きを止め、驚いたように振り返った。
一閃。
ゴブリンの包囲が、炎とともに切り裂かれる。
崩れた陣形の向こうから、燃える剣を携えた赤髪の剣士が姿を現した。
「ディア教官!」
マークの声を聞き、ディアは一瞬だけ五人へ視線を向けた。
その目が、傷ついたレーアの姿で止まる。
「全員生存を確認。掃討する」
短く告げた直後、手にした剣がそれまで以上に燃え上がった。
赤く。
黒く。
まるでディアの怒りを映し出すように、刀身から激しい熱が立ち昇っていた。
近くにいたホブゴブリンが木槌を振りかぶる。
だが、振り下ろされるよりも早く、ディアの剣が横一線に走った。
炎が巨体を包み込み、苦悶の咆哮が森へ響き渡る。
五人は目を見開いたまま、その光景を見つめていた。
一振りごとに包囲が崩れ、燃え上がる敵が地面へ倒れていく。
完全に、形勢は逆転していた。
ゴブリンたちはディアから逃れようと、散り散りになって森の奥へ走り出す。
だが、退路の先にはシーズが立っていた。
最後に残ったホブゴブリンが、仲間へ命令を下すように大声を上げる。
その声が届くより先に、空気が鋭く震えた。
次の瞬間、ホブゴブリンの胴体へ大きな穴が空く。
崩れ落ちる巨体の向こうで、シーズは静かに片手を上げていた。
短い詠唱とともに、無数の氷の矢が宙へ浮かび上がる。
意思を持つかのように揺らめいた氷の矢は、一斉に空高く昇った。
そして、逃走するゴブリンたちへ豪雨のように降り注ぐ。
逃げ遅れた敵が次々と倒れ、残ったゴブリンたちは恐怖に満ちた声を上げながら森の奥へ逃げていった。
ディアは逃走する敵へ剣先を向け、追撃しようと一歩踏み出す。
「RTB!」
ライアンの声が、森に響いた。
ディアは足を止め、ゆっくりと振り返る。
ライアンはナイフを構えたまま、仲間たちを守るように前へ立っていた。
傷ついたレーア。
血に染まったリア。
大盾を支えながら、荒い呼吸を繰り返すマーク。
ナイフを握り、なおも周囲を警戒しているヒロ。
誰も倒れてはいない。
それでも、これ以上の戦闘を続けられる状態ではなかった。
ディアは五人を順番に見渡す。
やがて手にしていた剣を下ろすと、刀身を包んでいた炎も静かに消えていった。
「状況終了」
その一言を聞いた瞬間、レーアの身体から力が抜ける。
薄れゆく意識の中で、あの日に見た赤髪の剣士の背中が蘇った。
あの日と同じ、燃える剣。
あの日は、妹の手を掴めなかった。
でも今日は違う。
誰も、置いていかれなかった。

