「松尾さん、ベトナムで何してたんですか?」――僕のキャリアの尖ったところ③|#005
「松尾さん、ベトナムで何してたんですか?」
僕に2017年から2019年までハノイでの駐在歴があると知ると、必ずこう聞かれます。
「オモテ」の答えは、「JICAベトナム法整備支援プロジェクトの長期専門家として法務省から派遣されていました」となりますが、そうすると「法整備支援って何ですか」となり、そこから、「アジア諸国の法律を作るお手伝いですよ」「法律人材の育成ですよ」「日本の知見と経験を共有していたんですよ」という、何となく教科書通りの答えになってしまいます。
そうなると、僕は明治維新期におけるボアソナードみたいなことをしていたのか?ということになりますが、何かそれも不正確というか、僕がベトナムでやっていたことの構造化みたいなことにはつながらない気がしています。
僕がベトナムでやっていたのは、日本の法律や制度を教えることではありません。
日本法を輸出してベトナムに受け入れさせることでもありません。そもそも日本法が絶対的に良質とも限らないのに…。
僕は、検事として法務省からベトナム法整備支援プロジェクトに派遣されていたので、ベトナムでも刑事マターに関わることが多く、主にSPP(Supreme People’s Procuracy、最高人民検察院)の研修やセミナーに出席して、関連する日本法の知見と経験をお話しすることが多かったです。
例えば、「取調べ」。日本では検察官が取調べをするというのは刑事訴訟法上認められており、実際の刑事実務でも当然のように行われていますが、僕が派遣されていた当時は、2015年に全面改正されたベトナム刑事訴訟法によって、検察官による取調べの範囲が大幅に拡充されたという時期でした。
取調べというのは、当然のことながら、被疑者・参考人が知っていることを言語化、外在化して証拠として形のあるものにするために行われます。そのやり方は、当然、日本の刑事訴訟法における証拠法規定の取扱いがベースにあるわけです。たとえば、警察官が録取した調書と検察官が録取した調書は、証拠法上取り扱いが異なることを前提に行われるわけです。
詳細説明は別機会に譲りますが、ベトナムの刑事訴訟法上、作成された調書が公判段階でどのような取り扱いになるのか、条文を読んだだけでは明確ではありませんでした。調書からどのように法律実務家たちが心証をとっているのかについても、その実態は全然わかりませんでした。
そうすると、日本の刑事実務の感覚で、いくら丁寧に日本の検察官の取調べのポイントを説明しても、話が普通にかみ合いません。
そこで、当たり前のことながら、相手の前提を疑うというか、このトピックについて「相手が前提にしていること」を探ろうとするわけです。相手がわかってくれないということを嘆いたり、詰問したりしても全然意味がありません。そして、時間が無限にあるわけではなく、不完全な情報の中でその「仮説」を探り、相手に日本の知見や経験のどんな部分をどのように伝えるかを判断しなくてはなりません。
要するに、僕がベトナムでやっていたのは、日本の制度や経験を一方的に説明することではなく、「相手がどのような前提で物事を見ているのかを探りながら、その前提の上で何が共有できるのか」を考えることでした。
そして、ベトナムで学んだのは、「ちゃんと説明したのに伝わらない」ということが普通に起きる、ということでした。
そもそも日本にそんな法律ありません!という法律について知見を求められるなかなかのムチャブリもあります(日本にない制度について、日本の知見・経験をどう共有するのか――知見・経験の切り出し|#008 参照)。
これは、企業防衛やコンプライアンス業務が自分のテリトリーとなった今でも活かせる経験だと思っています。
不正も、トラブルも、正確な事実を認識するのが困難なケースは多いですが、不完全な情報の中でも仮説を構築しても物事を前に進めなくてはいけません(まさしくそれを企業の刑事事件対応で書いているのが、「見通しのきく企業防衛」シリーズです)。
そして、その時に大事になるのは、「俺は日本の検事だぞ」「俺は弁護士だぞ」という権威のようなものではなく、対象の前提を疑い、丁寧にときほぐし、相手と共通理解が得られるように努める地道な心構えなのかもしれません。
