恋愛短編小説「君が振り向くまで、あと三歩」
君が振り向くまで、あと三歩
放課後の廊下で、君の背中を見つけた。
窓から差し込む夕日が、長い影を床に伸ばしている。
「……待って」
声をかけようとして、やめた。
君までの距離は、ほんの三歩。
それなのに、その三歩が私には遠かった。
一歩目を踏み出せば、きっと何かが変わる。
二歩目まで行けば、もう引き返せない。
そして三歩目を踏み出したら――
私はきっと、「好き」と言ってしまう。
だから今日も、私は立ち止まっていた。
君はそんな私に気づくことなく、廊下の先へ歩いていく。
「……また言えなかった」
小さく呟いた。
私が君を好きになったのは、たぶん特別な出来事があったからじゃない。
朝、眠そうな顔で教室に入ってくるところ。
授業中、先生に当てられて困った顔をするところ。
友達と笑っているところ。
帰り際、誰も見ていないと思って窓の外をぼんやり眺めているところ。
そんな何気ない瞬間を、私は少しずつ好きになった。
だからこそ、怖かった。
「好き」と伝えてしまったら。
今まで当たり前だった毎日が、変わってしまう気がした。
翌朝。
教室に入ると、君が私の席の前に立っていた。
「昨日、廊下にいたよね?」
「え?」
心臓が跳ねる。
「俺のこと呼んでた?」
「……呼んでないよ」
咄嗟に嘘をついた。
君は少しだけ笑った。
「そっか」
それだけ言って、自分の席へ戻っていく。
その背中を見ながら、私は後悔した。
どうして嘘をついたんだろう。
本当は、呼びたかった。
ずっと呼びたかった。
そして放課後。
また君が廊下を歩いていた。
昨日と同じ背中。
昨日と同じ夕日。
だけど今日は、違った。
私は鞄を持って立ち上がった。
「待って!」
今度は声に出た。
君が振り返る。
目が合う。
「……どうした?」
私は何も言えなかった。
ただ、君を見つめた。
そして一歩。
君に近づく。
もう一歩。
胸の鼓動がうるさい。
あと一歩。
たった三歩だった距離が、今はもう一歩になっていた。
君が不思議そうに首を傾げる。
「昨日も今日も、俺のこと呼びたそうにしてたよね」
「……見てたの?」
「うん」
「じゃあ……なんで何も言わなかったの?」
君は少し考えてから、照れくさそうに笑った。
「だって、俺から三歩近づいたら、君が逃げそうだったから」
「……え?」
君が一歩、私に近づく。
距離が縮まる。
「だから待ってた」
もう一歩。
「君が自分から来てくれるのを」
そして最後の一歩。
君は私の目を見て言った。
「君が振り向くまで待つつもりだった」
私は泣きそうになりながら笑った。
「……遅いよ」
「ごめん」
「ずっと待ってたんだから」
「俺も」
夕日の中で、君が笑う。
その笑顔を見た瞬間、私は思った。
ああ。
三歩って、こんなに長いんだ。
でも。
その三歩を越えた先には、
ずっと欲しかった君の隣があった。
「ねえ」
「ん?」
「明日からは……私が三歩じゃなくて、もっと近くにいてもいい?」
君は少し照れながら頷いた。
「もちろん」
その日から私は、
君の背中を追いかけなくなった。
歩く速度を合わせて、
君の隣を歩くようになった。
そして帰り道。
君がふいに私の手を握った。
「……これも、三歩くらい勇気いる?」
「うん」
「じゃあ、俺がやる」
握られた手が温かい。
私は笑った。
今度はもう、
振り向く必要なんてなかった。
