#25 認識汚染領域〜シンクロスフィア〜
補章 いいえそうじゃない
親の都合で5年生になって転校した。
ずっと東京に住んでいたのに、なんでこんな田舎にいかないといけないんだろう。
仲の良かった友達とも離れ離れ。
だからわたしはその頃、多分いつも怒っていた。
きれいなビルもなければ、おしゃれなお店もない。
電車ですらなんか赤くてダサい地方。
その挙句に知らない教室。
知らない名前。
知らない空気。
授業は遅れているくせに、私だけが知らない約束事は、みんなが当たり前みたいに知っている。
だから、間違える前に強く出た。笑われる前に言い返した。近づかれる前に、少しだけ怖い顔をした。
そうしていれば、傷つかなくて済むと思っていた。
「あの子って、すぐ怒るよね」
放課後、誰かがそう言ってるのが聞こえた。
「あんなにかわいいのにもったいないよね」
悪口というほどではなかったのかもしれない。
ただの感想だったのかもしれない。
でも、その言葉は思ったより深く刺さった。
不機嫌なのは確かだけど、私だって理由なく怒っているわけじゃない。
ただ、ちゃんとしていたかっただけだ。変に見られたくなかっただけだ。知らない場所で、舐められないようにしていただけだ。
その日の帰り道、彼と並んで歩いた。
母たちが仲良くなったせいで、彼と接点ができた。
家の方向が同じだからか、彼は私を見つけるといっしょに帰ろうと言ってくる。
やだ!って言って歩き出すと、慌てて追いかけてきて。
知ってる? そういうの東京だとストーカーっていうんだよ。
こんなにじゃけんにしてるのに、彼は私を避けなかった。
なんて鈍感なんだろう。そのクセ何を話しかけてくるわけでもなく隣を歩いているだけ。
だから、私は母に連れられて行った近所の公園で彼と遊ばされた時、言ってやった。
「ねえ」
「ん?」
彼は、買ってもらったばかりのアイスを片手に、間の抜けた顔でこちらを見た。
「なんで私に構うの?」
「え?」
「こんな怒ってばっかりの子より他の子と遊んだほうが楽しいでしょ」
転校してきたばかりの頃はよく話しかけてきた男子たちも、今はすっかり近寄って来ない。
彼だけが空気を読まずに話しかけて来る。
私の言葉に、彼は少しだけ考えこむそぶりを見せた。
どうせあれでしょ。
そんなことないよ、とか、気にしなくていいよ、とか。そうやって機嫌を取るんでしょ。
でも、彼の返答は。
「確かにいつも怒ってるよな」
私は足を止めた。
「……最低」
「え、なんで」
「普通、そこは否定するでしょ」
勝手なものだ。
心にもないこと答えたらそれを理由に距離を置いてやるなんて思っていたのに、いざ本当のことを言われたら少し傷ついている。
彼は何もわかっていない顔で再度言った。
「なんで?」
「なんでって」
言葉に詰まった。
自分でも、どう言ってほしいのかわからなかった。
だから、少しだけ意地悪な聞き方をした。
「怒ってばっかりの女の子なんて、嫌いでしょ?」
少し語尾が震えてしまった。
自分で聞いておいて、一体何を恐れているのか。
彼はまた少し考えた。
それから、なんでもないことみたいに言った。
「怒ってるのが理音だろ。嫌じゃないよ」
風が吹いた。
六月の夕方だった。
寄りかかっていたフェンスの足元には名前も知らない草が揺れていた。
遠くで誰かの自転車のベルが鳴っていた。
そんな、どうでもいいものばかりを、なぜか今でも覚えている。
「……変なの」
私はそれだけ言って、また歩き出した。
彼は隣で、溶けかけたアイスを慌てて舐めていた。
たぶん、自分が何を言ったのかなんて、少しもわかっていなかった。
「ねぇ」
「ん、何?」
「いつまであんたじゃ呼びづらいから、これからあんたのこと名前で呼ぶことにする」
あれ? 私は一体何を言おうとしているんだ?
「いいけど、今更?」
「いいじゃない! 私に名前で呼んでもらえる男の子なんてめったにいないんだからね。感謝してよね——誠司」
「うわ、これが素なら、怒ってるほうがよっぽどましかも」
そう言って、誠司は屈託なく笑った。
