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#7 認識汚染領域〜シンクロスフィア〜

第3章 Locus Works(前編)

その夜、久しぶりにゲームを起動した。
それほど気乗りしているわけではない。
ただ何かにしていないと、延々と事件について調べ続けてしまう。
動画でもSNSでもなく、もっと反射で触れるものがほしかった。
それにもしかするとーー。

ログインすると、見慣れたロビー画面が開く。
派手なエフェクト、どこか間抜けなBGM、たくさんのイベント告知。
触れた瞬間、懐かしさを感じた。

フレンド欄を開くと、の上の方に、見覚えのある名前が光っていた。

キョウ ONLINE

いてくれた。俺は通話申請を送った。数秒で繋がる。

『お、モク。久しぶりやん』

ボイスチャットの向こうから低めの、少し眠そうな声。けれど眠そうに聞こえるだけで、実際は察しのいいタイプの人だ。

「悪い。今いい?」
『その言い方、だいたいあんまり良くない話のやつやな。ええで』

瀬良匡平。
ゲームの中ではキョウ。俺より一回りくらい年上で、三十前後。
俺がもっとも仲のいいゲーム友達だ。
なんでも彼は個人で出したアプリを当てて、投資でも成功して、だいぶ早い段階で“人生上がり”に近いところまで行ったらしい。
らしい、というのは、本人があまりその話をしないからだ。
しかし俺がいつログインしてもたいていオンラインになっているあたり、少なくとも時間があるのは本当だろう。
初めて知り合ったとき、もちろん俺はそんなこと知らなかった。
ただ、結構上手いのにずっと野良だったのが気になって俺から声をかけた。
あとからキョウに「普通のプレイヤーとして話しかけてきたのお前くらいやった」と笑われたことがある。

本名を知っているのは、小春に会いに関西に行くとき、その帰りに数回会ったことがあるからだ。
本物の彼はすらっとした背丈の気のいいあんちゃんといった感じで、その時のイメージからすると、成功した人物であるというのは信じられた。

『で、何。恋愛か金か就活か、どれや』
「その三択なのかよ」
『男の相談なんて、だいたいそのへんやろ』

「もっとしんどいやつ」
通話の向こうで、キョウが少し黙る。
それから、声の温度だけがわずかに下がった。

『聞こか』

俺は椅子に座り直して、机の上のスマホを見た。CLOVERのアイコンが、淡い緑で視界の端にある。

「Locus Worksって会社、知ってる?」
『……知っとるで。九条君の会社やろ?』

即答だった。

「有名なの?」
『こっちの業界では。まあ俺ほどではないけどな」

キョウはそう言ってと小さく笑った。

「学生起業家はこの界隈だとそれなりにいるけど、九条君はその中でもかなり目立っとるんよ。普通は難しい学校系、特に大学にかなり食い込んどるから」
「大学向けの……何ていうんだっけ、知識共有と対話支援?」
『せやな。ざっくり言えばBtoBの学生向けSaaSや。もっとも有名なのがCLOVER』
「……知ってる。キョウはCLOVERに触ったことある?」
「いんや。あれ招待制やろ? 友達少ないんよ、俺。モクは?」
「あんまり。こっちだと大学が推奨してないし」
「そっか。モクは中部だもんな」
「やっぱり、その九条さんが鹿鳴館だから、関西では流行ってるのかな」
「んん、せやな。単純に九条君だけの力ってわけでもないやろうけど」
「ほかになんかあるの?」
「親父さんがな。結構有名な大学教授やねん。大志社の」
「コネがあるってこと?」
「せやな。そうでなければあんな若い人間のプロダクト、ものがよくても学校には導入されんわ」
「そういうもんなんだね」

これでCLOVERがこちらでは普及していない理由がわかった。
関西に基盤のある、関西発のプロダクトということだ。
大学が協力的なものコネだけでなく、関西の学生起業家というのも大きいのだろう。

『――そんでモク、Locus Worksがどうしたんや?』

キョウの問いかけに、俺は短く息を吐いた。
どこまで話すか少し迷ったが、ここでぼかすならキョウと話す意味がない気がした。
俺は言葉を選びながら小春の事件のことを話した。
俺に彼女がいる話はしていたので小春の名前は出したが、葬儀のことや理音のことは必要最低限に留めた。死んだ元恋人のアカウント。
事件のあとに更新された共有設定。届いた招待。中に残っていた記録。ヨツハへの違和感。
話している途中、キョウは一度も割り込まなかった。
全部聞き終わってから、しばらく黙る。

『そりゃ大変やったなぁ、モク』

しみじみと優しく声色のキョウの言葉に少し涙腺が緩んだ。
「うん……」
『とはいえ俺に話したということは、単に慰めが欲しいわけじゃないやろ。とりあえず、今の時点で俺が言えることは二つやな』
「何?」
『一個目。Locus Works自体は、少なくとも表向きには珍しくも違法っぽくもない。せやから、そこだけ見ても何も出ん可能性は高い』
「うん」
『二個目。そういう会社ほど、“何を改善しようとしているか”を見ると、思想が出る』
改善、という言葉が少し引っかかった。
「思想?」
『そ。プロダクトって、だいたい“何を問題とみなしているか”が中身やねん。課題解決を掲げる。それにそった製品を作る。そこに、作ってる人間の世界観が出る』
世界観か……。
CLOVERの世界観。

――こうあれを押し付けられているだけ。

あのときの陽芽の一言に、ふと昼の講義で教授が言っていた単語が重なった。
講義の時、一瞬だけ引っかかったその言葉。

――共同認知モデル。

そうだ。共同認知モデルだ!
その瞬間、昨日見た小春の記事一覧が頭の奥でつながった。
あった。
確かにあった。
俺はCLOVERを立ち上げるとヨツハに小春の共有記事一覧を表示させる。
あのときの小春の読書メモ、アンナ・カレーニナの2つ上の記事。

――共同認知モデルについて

小春の記事を見る。メモ書き的に共同認知モデルについて書かれていた。
小春の記事は、共同認知モデルを自分なりに噛み砕いたものだった。
人はひとりで考えているつもりでも、検索候補や返信候補、誰かの反応に、考え方を少しずつ変えられている。生成AIの答えを受け入れるときも同じで、出力された整った一般解を正解として受け取った瞬間、自分が最初に何に引っかかっていたのかが、少しだけ見えにくくなる。
小春はそれを悪いことだとは書いていなかった。むしろ、うまく言えない言葉を整えてもらえることは助かる、と書いていた。
ただ、一文だけ妙に残った。
整えられた言葉は、正しいから否定しにくい。
やさしいから、捨てにくい。

「……なんで小春がこれを知ってるんだ?」
「どうしたら、モク?」

突然黙りこんだ俺にキョウが疑問の声を投げかけた。

「ごめん、何でもない。それであとなんかあったっけ?」
『せやな、あとは……Locus Worksみたいなベンチャーは、単体で見るより、周辺も見てたほうがええ』
「周辺?」
『ああいう新規のプロダクトや会社ってな。いろんなイベントに出て宣伝するねん。その時一緒に登壇してる連中。大学の学部。支援団体。財団。若者支援系のイベント。その辺やな』
「んんー、ああ、スポンサーか! でもそれで何か分かるもんなの? ただのビジネスじゃ――」
『ベンチャーの立ち上げの時期はな、当然ビジネスだけどそれだけじゃないねん。企業理念とかあるやろ? ああいうの馬鹿にならんのや』

確かに、テレビのバラエティ番組で見たけど、若い経営者が資金を募るのに、事業計画だけじゃなくて、理想や想いを熱く語っていたな。

「……わかった。ありがと。すごく参考になった」

俺はキョウに感謝した。
こういう時にキョウの経歴はでまかせでないなと感じる。

『さて、ややこしい話はやめや、やめ。久しぶりに一戦しよか』
「――わかった。やろう!」

俺はキョウとチームを組み、久しぶりにゲームに興じた。
ほんの一瞬だけ、小春のこともCLOVERのことも忘れて。


翌日、理音と会ったのは、大学近くの小さな喫茶店だった。
学食だと耳が多いし、図書館裏だと寒い。そういう消極的な理由で選んだ店だったが、昼前の時間帯は人が少なくて都合がよかった。
理音はすでに席に着いていた。黒でも白でもない、曖昧な色のブラウス。相変わらず、気合いの入っていない服装なのに目立つ。
今どきの大学生には珍しい黒のロングヘアのせいかもしれない。

「――遅い」
「たったの五分だろ」
「わたしを待たせるなんて誠司くらいだし」

その調子に、少しだけ安心する。
だいぶ理音らしさが戻ってきている。
向かいに座ると理音がノートを開いた。
きれいで整った筆跡。
自分で読み返す気にならない俺のノートとはまるで違う。

「昨日、キョウにLocus Worksのこと聞いてみたんだけどさ」
「ええっと、ゲーム友達だっけ?」
「そうそう」
「なんかわかった?」
「新進気鋭のベンチャー企業で、むしろ由緒はしっかりしてそうだった」

俺はキョウから聞いた九条恒一とその父親について理音に話した。

「大学を中心に使われてるならそりゃしっかりしてるか」

理音が小さく頷く。

「そうなんだよな。今んとこ怪しいところとかない」

朝起きてからネットで調べてみたけれど、特に悪い話は見つからなかった。
ニュース記事がいくつかあるくらいで、そもそも情報の絶対量が少ない。

「どうするの、誠司」
「どうしような……」

向こうはまだ大学院生とはいえ会社経営者。
こちらは普通の大学生で彼とは縁もゆかりもない。
仮に直接コンタクトをとれたところで何を話すのか。
経緯を話したら、対処しますと言われて、アカウントを止められるだけだ。

「うーん」

理音が悩みながらスマホを触り始める。

「ん? 誠司、これいいかも」

そういって理音が見せたのは、Locus Worksのウェビナーのアーカイブだった。

「まずこれを見る。そしてキーワード拾って問い合わせメールを送る。そしてWEBミーティングをお願いする」
「そんな簡単にいけるか?」
「相手は大学向けプロダクトの人間だよ。研究とか学生支援とかを掲げてるなら、質問してくる学生を無視しないでしょ」

そういわれてみればそうかもしれない。
Locus Worksのサイトは外部接触のための導線が多かった。
問い合わせフォーム、研究連携の案内、登壇動画、導入相談、学内実証への協力募集。
設立間もないベンチャーだけあって接点を確保しようとしてるのかもしれない。
理音は、一覧の中にあった動画アーカイブをタップした。

「――はい」

理音がワイヤレスイヤホンの片方を差し出す。
俺は一瞬だけ躊躇したが喫茶店の中である。
俺がイヤホンを右耳に差し込むの見た理音が動画を再生した。
大学のホールらしい、よくあるシンポジウムの映像だった。
倍速で流し見にする。前半は司会と大学教員の挨拶。後半で、九条恒一が登壇した。

「イケメンだね」

理音がポツリと呟く。

「俺とどっちがイケてる?」
「――そりゃ一般的には九条さんでしょ」
「そーですか……」

さすが理音は客観評価にシビアだ。
確かに九条恒一の話す姿は堂々と落ち着いていて、歳が2、3歳しか離れていないとは信じたくないくらい洗練されていた。

『僕たちがやりたいのは、人の会話を機械的に置き換えることじゃありません』

画面の中の恒一は、穏やかに笑った。

『むしろ逆で、会話の前段にある“言えなさ”や“詰まり”を少し軽くしたいんです。
考えきる前に話さないといけない場面や、相手を傷つけたくなくて言い換え続けること、そういうコミュニケーションのつかえを解決できればと』

俺と理音は無言で画面を見ていた。

『SNSや連絡ツールの普及で若い世代ほど、実は文章によるコミュニケーションが増えています、言葉の失敗が関係性の失敗に直結しやすい。
にもかかわらず、言語表現での発信の訓練は受けていない。だったら、“言葉を代行する機能”は支援になるはずです』
「……支援、か」

言ってること自体は、理解できた。
相手を傷つけないよう言い換えること。
優しく共感的な表現で話すこと。
SNSでの中傷が話題になり、また本人が思いがけない形で炎上する時代。
発言前にワンクッション置く、もしくはきつくなりすぎないように言葉を整えてくれるというのは、確かに安心できるし、需要があるのかもしれない。
CLOVERの理念や方向性の話が終わると少し技術的な話に入った。アーキテクチャがどうだのコーディングがどうだのいまいちよく分からない。
完全に聞き流しモードになったその時だった。

『整流層の調整は共同認知モデルに基づき――』

「理音」 
「うん、今共同認知モデルって言ってたね」
「気づいてたのか?」
「小春の共有記事一覧メモしてたから。教授の講義に出てきたのと同じだなって。で、今また出てきた」
「もうこの調査お前1人でいいんじゃないかな……」

語って聞かせようと思ってたのに……。
仕方ない、説明する手間が省けたとしておこう。

動画の後半は質疑応答だった。
ある学生が、「便利にしすぎると、自分の言葉がなくなりませんか」と質問する。

恒一は一拍だけ間を置いた。
その間の取り方が妙にうまいと感じた。質問を軽く扱っていないように見せて、なおかつ相手を構えさせすぎない。

『すごく大事な懸念だと思います』

そう前置きしてから、彼は続けた。

『でも僕は、“補助があること”と“自分の言葉がなくなること”はイコールじゃないと思っています。
言葉の候補があることは、言葉を奪うことじゃなくて、むしろ選び直せる余地を増やすことでもある。
もちろん使い方の設計次第で危うくなる部分はあるので、そこは慎重に見ています』

動画が終わったあとも、すぐには画面を閉じられなかった。

「どうする」

俺が聞くと、理音はもう問い合わせフォームを開いていた。

「送る」

理音がスマホに素早く文字を入力する。

「件名、これでいいかな」
俺は向かいから身を乗り出した。
画面には短い文が表示されていた。
『登壇内容についてお聞きしたいことがあります』

「シンプルだな」
「そのほうがいいの」
「もっとこう、ゼミで使いますとか、研究の参考にとか、盛らなくていいのか」
「盛ると逆に変になる。大学生が企業に連絡するときって、ちゃんとしてるけど、ちゃんとしすぎないほうが自然」
「そういうもんなのか?」
「そうだよ。誠司だってそろそろ慣れてかないと。もうすぐ就活だよ」
「考えたくない」
「考えてよ。無職なんていやだからね」
「なんでさ」

俺の問いかけに理音は一瞬言い淀んだあと、きっぱりと告げた。

「――そりゃ友達としてさ」
「確かに立場に差ができると会いづらくなるかも」
「――でしょ?」

話しながらも理音の指は止まらない。
あっという間に本文を完成させると俺に見せた。


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