禁呪の封印を解け! 禁じられた『あなたは』の活用法
文章術の世界には、いくつかの禁呪があります。
そのひとつが「あなたは」です。
読者に向かって「あなたは」と書くと、責められているように感じさせてしまう。
上から目線になる。
説教臭くなり、読者が離れる。
だから避けましょう。
確かにとても正しいです。
実際、いきなり見知らぬ人から「あなたは間違っています」と言われたら、大半の人は心を閉じます。
文章を読みに来たのに、急に先生に教室の前に立たされて説教されたような気分になるからです。
だから多くの文章術では、「あなたは」ではなく「私たちは」を使いましょう、と言われます。
「私たちは、つい先送りしてしまいます」
「私たちは、読まれないと不安になります」
「私たちは、成長したいと思いながら動けない日があります」
これは大変読者にやさしく、角が立たません。
読者と書き手が同じ場所に立っている感じがします。
とても良い言葉です。
ですが、ここでひとつ問題があります。
「私たちは」は、やさしすぎるのです。
「私たちは」は逃げ道を作る
「私たちは」と書くと、読者は安心します。
ああ、自分だけではないんだ。
みんなそうなんだ。
人間ってそういうものだよね。
その安心には価値があります。
慰めが必要な文章なら、それでいい。
読者を励ましたいなら、それでいい。
傷ついている人の隣に座りたいなら、それでいい。
でも、文章には別の役割もあります。
読者が見ないふりをしていた事実を、そっと目の前に置く文章です。
そのとき、「私たちは」は少し弱い。
なぜなら、責任が薄まるからです。
「私たちは、つい努力した気になってしまいます」
そう書かれると、読者はこう思えます。
まあ、みんなそうだよね。
人間って弱いよね。
仕方ないよね。
そして、何も変わらないままページを閉じることができます。やさしい文章は、時々、読者に最高の逃げ道を与えてしまいます。
「あなたは」は照準である
そこで、禁呪の出番です。
「あなたは」です。
「あなたは、今日何を変えましたか」
「あなたは、読まれない理由を見ましたか」
「あなたは、書かないまま成長した気になっていませんか」
急に空気が変わります。
それまで一般論だった話が、読者の目の前に来る。
「人間は」でもない。
「私たちは」でもない。
「誰か」でもない。
あなた。
この一語には、逃げ道を塞ぐ力があります。
だから危険です。
だから嫌われます。
だから文章術では避けろと言われます。
でも、危険だからこそ使い道があります。
包丁が危ないから料理に使えないわけではありません。
火が危ないから調理に使えないわけではありません。
「あなたは」も同じです。
振り回せば読者を傷つける。
けれど、正しく使えば、読者の中に眠っていた違和感を切り開くことができます。
いきなり使うな
ただし、禁呪には条件があります。
まず、いきなり使ってはいけません。
冒頭から、
「あなたはだから読まれないのです」
「あなたは努力が足りません」
「あなたは勘違いしています」
こんなことを書けば、ただの嫌な人です。
読者はあなたの生徒ではありません。
部下でもありません。
信者でもありません。
いきなり説教される筋合いはないのです。
だから「あなたは」は、最初に振るう言葉ではありません。
先に世界を見せる。
先に構造を説明する。
先に欲望を肯定する。
先に「そうなるのもわかる」と認める。
そのうえで、最後に問う。
あなたは、それでも続けますか。
あなたは、それを成長と呼びますか。
あなたは、今日も同じ場所で安心しますか。
この順番が必要です。
「あなたは」は、冒頭で振り下ろす棍棒ではありません。
最後に抜く短刀です。
欲望を否定してから使うな
もうひとつ大事な条件があります。
読者の欲望を否定してから「あなたは」を使うと、ただの道徳になります。
たとえば、SNSを見てしまう人に向かって、
「あなたは怠惰です」
「あなたは時間を無駄にしています」
「あなたは本気ではありません」
こう言っても、たぶん届きません。
なぜなら、人は自分の欲望を全否定されると、防御するからです。
SNSを見るのは楽しい。
ノウハウ記事を読むのは気持ちいい。
誰かに褒められるのは嬉しい。
成長した気分になるのは、かなり快適です。
そこを否定する必要は無いのです。
おやつはおいしい。
スナック菓子は止まらない。
楽な方へ流れるのは人間として自然です。
問題は、そこではありません。
おやつを食べることが問題なのではない。
おやつを食べているだけなのに、筋トレしたつもりになることが問題なのです。
だから「あなたは」を使う前に、欲望そのものは認めた方がいい。
楽しいですよね。
気持ちいいですよね。
わかります。
人間はそういうものです。
そのうえで伝えます。
では、あなたはそれを何と呼びますか。
ここで初めて「あなたは」が刺さります。
ただし、自分を棚に上げるな
とはいえ禁呪だけあって 、「あなたは」は危険です。
一番やってはいけないのは、自分を安全圏に置いて使うことです。
「あなたはダメです」
「あなたは間違っています」
「あなたは努力していません」
これを高い場所から言うと、ただの説教です。
読者はすぐに気づきます。
この人、自分は傷つかない場所から言っているな、と。
だから「あなたは」を使うなら、自分も攻撃対象に含めている必要があります。
そのうえで言うなら、「あなたは」は少しだけ許されます。
なぜなら、それは裁きではなく、経験から来る警告になるからです。
禁呪は、禁じられているから強い
多くの文章術は、読者を不快にしない方法を教えてくれます。
それは大切です。
読者を無駄に傷つける必要はありません。
不快にするだけの文章は、ただ嫌なだけ文章です。
でも、不快をすべて避けると、届かないものがあります。
「大丈夫です」
「あなたのままでいい」
「一緒に頑張りましょう」
「私たちはみんな不完全です」
それらは優しい。
本当に必要な時もある。
けれど、ときには別の言葉も必要です。
あなたは、どうしますか。
こう言われると、時に読んだものが頭の中に残ります。
禁呪とは、制御できなければ自分を滅ぼしますが、使いこなせば強力なものです。
(アルテマはミンウが命をかけたわりに弱いですが)
だからこそ、使い方を知る必要があります。
封印を解くとき
「あなたは」を使うと、読者は少し身構えます。
それでいいのです。
すべての文章が、読者をリラックスさせる必要はありません。
時には、背筋を伸ばさせる文章があってもいい。
スマホを持つ指を止めさせる文章があってもいい。
読み終わったあと、少しだけ嫌な気持ちを残す文章があってもいい。
もちろん、乱用してはいけません。
ずっと「あなたは」と言い続ける文章は、暑苦しいです。
だから、ここぞという場所で使うようにしましょう。
読者が他人事として逃げそうなところ。
「みんなそうだよね」で終わらせそうなところ。
自分の問題を社会の問題にすり替えそうなところ。
そこで問いかけましょう。
あなたは?
それだけで、文章の温度は変わります。
禁呪は、つねに封印しておく必要はありません。
ただし、使うときは覚悟して唱える必要があります。
その言葉は、読者に向かいます。
そして同時に、書き手にも返ってきます。
あなたは、カオスフレームの低下を覚悟してこの禁呪を使う覚悟はありますか?
