にゃるらと草子 心を込めて建てた家
今は昔、ノートリアスの国に、三匹の羊ありけり。
三匹はいずれも心優しく、困っている者を見れば放っておけぬ、たいへん善良な羊でした。
ある年、ノートリアスには住む家を持たぬ者が増えました。
雨露をしのぐ屋根もなく、夜になると公園のベンチや橋の下で体を丸めて眠る者たちを見て、三匹の羊は深く胸を痛めました。
「かわいそうです」
一匹目の羊が言います。
「誰もが安心して眠れる、あたたかな居場所を作りましょう」
「賛成です」
二匹目の羊も頷きました。
「効率や利益ではなく、心のこもった家を作りたいですね」
三匹目の羊だけは、少し考えてから尋ねました。
「このあたりの地盤は調べましたか」
二匹の羊は顔を見合わせました。
「困っている人が目の前にいるのに、そんな話をするのですか」
「まず手を動かすことが大切です。考えてばかりでは、誰も救えません」
そう言われた三匹目の羊は黙りました。
かくして、三匹の羊はそれぞれ家を建てることになりました。
一匹目の羊は、藁で家を建てました。
藁は柔らかく、手に入りやすく、何より見た目が温かそうでした。
羊は一本一本の藁を撫でながら言いました。
「冷たい石や鉄では、人の心まで冷えてしまいます。この家には、私の優しさが詰まっています」
完成した家の壁には、羊の手書きでこう記されていました。
――あなたは、ここにいていい。
その言葉を見た住民たちは涙を流しました。
「こんなに温かい家は初めてです」
「建ててくれた羊さんの気持ちが伝わります」
感想を聞いた羊も涙を流しました。
二匹目の羊は、木の枝で家を建てました。
森へ入り、形の違う枝を一本ずつ拾い集め、それらを紐で丁寧に結びます。
曲がった枝も、細い枝も、決して捨てませんでした。
「同じ形の枝だけを選ぶなんて、枝に失礼です」
羊は言います。
「一本一本に個性があります。みんな違って、みんな家を支えているのです」
完成した家は少し傾いていたが、見る角度によっては芸術的でもありました。
壁には色とりどりの紙が貼られ、住民たちの夢や好きな言葉が記されました。
――頑張れない日があってもいい。
――あなたのままで美しい。
――正しさより、優しさを。
この家もまた、たいへん評判になりました。
最後の羊は、煉瓦で家を建てました。
まず地面を掘って地質を確かめ、過去の地震について調べました。役所から建築基準の資料を借り、狼の建築士にも相談しました。
柱の太さを何度も計算し、壁の中には補強材を入れました。
そのため、家はなかなか完成しません。
ほかの二匹の家が住民たちの笑顔で満ちているあいだも、煉瓦の羊は図面の前で首をひねっています。
「まだできないのですか」
人々は呆れました。
「困っている人を待たせて平気なのでしょうか」
「完璧主義は、ときに人を傷つけます」
「自分に能力があるからといって、できない羊を見下しているのではありませんか」
煉瓦の羊は反論せず、黙って煉瓦を積みました。
やがて家が完成しました。
飾り気のない、四角く地味な家でした。
壁に優しい言葉はなく、入口には避難経路と非常時の行動が記されているだけです。
人々はそれを見て言いました。
「なんだか冷たい家ですね」
「住む人の気持ちを考えていません」
「藁の羊さんや枝の羊さんを見習ってほしいです」
煉瓦の羊は、それでも何も言いませんでした。
その年の秋、ノートリアスを大きな地震が襲いました。
地面は激しく揺れ、棚から物が落ち、道には大きな亀裂が走りました。
藁の家は、最初の揺れで屋根が崩れました。
木の枝の家は、二度目の揺れで柱が折れました。
中に住んでいた者たちは瓦礫の下敷きになりました。
腕を折った者。
頭から血を流した者。
逃げ遅れ、足を挟まれた者もいました。
煉瓦の家だけは崩れませんでした。
煉瓦の羊は扉を開け、怪我人を中へ運び込みました。
そこへ、建築士の狼が駆けつけました。
狼は崩れた家を見て、藁の羊と枝の羊に尋ねます。
「なぜ、人を住まわせる家をこんな作りで建てた」
藁の羊は目を見開きました。
「そんな言い方をしなくてもいいじゃないですか」
「怪我人が出ている」
「私だって、一生懸命考えたんです」
藁の羊の目から、大粒の涙がこぼれました。
「困っている人を助けたかっただけなのに。結果だけを見て責めるなんて、ひどいです」
枝の羊も震える声で言いました。
「誰にだって失敗はあります」
「これは失敗で済む話ではない。住民が中にいたんだぞ」
「悪気がなければ何をしてもいいとは言っていません!」
枝の羊は強く言い返します。
「ですが、今その言葉を言う必要がありますか。私たちも傷ついているんです」
狼は瓦礫のそばに横たわる住民を指差しました。
「傷ついたのは、あの者たちだ」
すると周囲に集まった羊たちが、一斉に狼を責め始めました。
「比較するのはよくありません」
「傷の深さは他人が決めることではありません」
「藁の羊さんも枝の羊さんも、自分を責めて苦しんでいます」
「正論で追い詰めるのは暴力です」
「まずは寄り添うことが大切なのではないでしょうか」
煉瓦の羊は怪我人の傷に布を巻きながら言いました。
「倒壊した原因を調べないと、また同じことが起きます」
羊たちは悲しそうに首を振りました。
「こんなときに原因追及ですか」
「あなたは自分の家が無事だったから、そんな冷たいことが言えるのです」
「正しい家を建てられた人には、建てられなかった羊の苦しみは分かりません」
翌日、狼は逮捕されました。
容疑は羊保護法違反です。
法廷で、裁判官の羊は狼に尋ねました。
「あなたは藁の羊さんに、『なぜこんな家を建てた』と言いましたね」
「言った」
「その発言により、藁の羊さんは一晩眠れず、朝食も喉を通らなかったそうです」
「家の下敷きになった住民は、今も病院にいる」
裁判官は木槌を鳴らしました。
「今は被害羊の心の話をしています。論点をずらさないでください」
「家が崩れた話をしているんだ」
「事実であれば、どのような言葉を投げつけてもよいとお考えですか」
狼はしばらく黙りました。
藁の羊と枝の羊については、不起訴となりました。
二匹には住民を傷つける意図がなく、むしろ善意から家を建てたことが認められたからです。
裁判官は二匹に優しく語りかけます。
「今回のことは、誰にでも起こりうる悲しいすれ違いです。どうか、ご自分を責めないでください」
法廷の後ろでは、家の下敷きになった住民が、包帯を巻いたまま座っていました。
翌朝、ノートリアス新聞の一面には、大きな見出しが躍りました。
――正論という名の暴力。善良な羊を泣かせた狼。
藁の家と木の枝の家が崩れたことは、記事の最後に二行記されていただけでした。
狼は三十日間の反省房に入れられました。
房の壁には、羊たちから贈られた言葉が貼られていました。
――相手の気持ちを想像しましょう。
――正しさよりも大切なものがあります。
――優しい言葉を選べるあなたになろう。
三十日後、狼は釈放されました。
翌年、三匹の羊は再び家を建てることになりました。
藁の羊と枝の羊は、今度は紙で家を建てました。
紙には一枚ずつ、心を込めた言葉が書かれています。
――あなたは悪くない。
――失敗しても大丈夫。
――ありのままのあなたでいい。
狼は何も言いませんでした。
紙の家は完成から七日後、雨で崩れました。
住民たちは濡れた家具を運び出し、泥の中で震えていました。
狼は黙って瓦礫を片付けました。
すると藁の羊が泣き始めました。
「どうして何も言ってくれないのですか」
枝の羊も唇を噛みました。
「失敗した私たちを無視するなんて、あまりにも冷たいです」
狼は瓦礫を持ったまま、空を見上げました。
言えば罰せられ、黙れば責められる。
ならば、もはやこの国で自分にできることは、黙って壊れたものを片付けることだけでした。
その年、ノートリアスでは、狼による言葉の加害が一件も報告されませんでした。
狼がもう、何も言わなくなったからです。
羊たちはそれを、優しい世界が実現した証拠だと喜びました。
崩れた家の下では、まだ誰かが助けを呼んでいました。
