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5年間の歩み~過去の自分を振り返る~

今回の記事はかなり長いです。
面倒でなければ、最後までおつき合いください。


今年は、2025年(令和7年)。
4月から年金暮らしになって、他人との関わりが減ってくると、人と較べるということも少なくなってくる。

まあ、それでも皆無ではない。
この歳になっても、いろんなことで他人がうらやましく思えたりする。
とかく、他人の芝生は青く見えるものだ。

ただ、他人と比較ばかりしていると、自分の進歩や成長が、はっきりと分からなくなる。

そこで、今回は自分の過去5年間を、再開したアマチュア無線とともに振り返ってみた。

まずは5年前の2020年(令和2年)。
この年の3月に小学校を定年退職した私は、4月から新規採用教員の指導担当として、3つの学校を回り、4人の初任者教員の指導サポートに当たることになった。
とにかく忙しかった。

再任用1年目は、慣れない仕事に追い回されて、アマチュア無線を再開しようなどと、これっぽっちも考えていなかった。

続いて、2021年(令和3年)。
再任用2年目。
この年、私は4月から、ある小学校で理科の専科教員になった。
4年生の算数のTT教員も兼ねていた。
当然だが、フルタイムでの勤務だ。
理科室が友だちだった。

アマチュア無線のほうは、再開してみようかなという意識が少し芽生えてきた時期だった。
5月にハンディ機を買って、移動局でコールサインをいただいた。
ただ、電波を出すことは、怖くてできなかった。
ときどきリグ(無線機)を山や街に持って行っては、ワッチ(受信)だけして、喜んでいた。

2022年(令和4年)。
この年から、私は非常勤講師として、午前中だけ勤務することとなった。
4月から赴任した小学校では、特別支援学級の副担任のような立場で、子どもたちの指導に当たった。
午前中だけの勤務ではあったが、毎日のように子どもたちに運動場に連れ出され、グラウンドを駆けずり回った。

無線のほうは、高校生の時のようにHF(短波通信)をやりたくなってきた。
家内に頼み込んで、新品のオールモード100w機を買ってもらった。
(大阪のハムショップまで買いに行きました。)
これで固定局の免許も取り、この年の7月末から、本格的にアマチュア無線の世界にカムバックした。(45年ぶりでした。)


無線機 FT991A

再開した無線の世界は、昭和の時代と大きく違っており、かなり戸惑った。
時代に乗り遅れまいと、見よう見まねで、FT8、ハムログ、hQSL、eQSL、QRZ.com等の設定も行った。
ついでに、CWのパドルも買った。(飾りになっていただけですが。)

この年の10月から、無謀にも1アマの試験勉強も始めた。

2023年(令和5年)。
非常勤教員になって2年目も、同じ学校で同じ担当だった。
子どもたちや学校に慣れてきたこともあり、午前中だけだったが勤務は楽しかった。

午後からは、毎日1時間以上1アマ試験の勉強を続けた。
そして、4月に1回目の受験に臨んだ。
しかし、1アマ試験は、私には甘いものではなかった。

4月期(試験1回目)
一通り無線工学の勉強をした上で、過去問数年分を4、5回通してやって臨んだ。
しかし、これくらいの勉強では、全く歯が立たなかった。
1アマ試験を甘く見すぎていたなと反省した。

8月期(試験2回目)
今度は計算問題を中心に、かなり勉強をやり込んだつもりだった。
ただ歳のせいか、覚えたことを1週間もたてば全て忘れてしまう。
同じことを、何度も何度も繰り返し勉強し直した。
それでも、2回目もみごと返り討ちに遭った。
(このときの試験の帰り道で知らない方に声をかけられ、「皆空の中で」という勉強サイトがあることを教えてもらった。)

12月期(試験3回目)
「皆空の中で」を中心としたネットの1アマ試験対策用HPで勉強した。
単なる丸暗記ではなく理屈が分かるようになってきた。
過去問もやり込んだ。
3回目の試験勉強はよく頑張ったと自分でも思う。
その成果が出たのか、なんとか合格できた。
しばらくの間、信じられなかった。

パソコンで合格の2文字を見たときの驚きと感動は、今でも忘れない。

合格通知書

2024年(令和6年)。
4月、私は非常勤講師のままだったが、学校をかわった。
今度は、定年退職したときの小学校に行くことになった。
かなり時間も経っていたので、私のことを知らない子どもたちがほとんどだったが、保護者の人は、結構知っている方も多かった。

ただ今回は、特別支援学級ではなく、2つの学年の普通学級で、国語を教えることになった。
それで、これまでより毎日の教材研究が忙しくなった。
若い頃に戻ったようだった。

アマチュア無線の方は、晴れて1アマ免許証をいただき、かねてから家内と約束していた、合格祝いの200Wリニアアンプを買えることになった。
ただ、リニアはすぐには家には来なかった。
時間がかかった。

リニアアンプが届いて、変更申請をして、電波防護指針も提出して、とかなんとかをしていたら、結局200wが出せたのは、10月も末になった頃だった。

これと並行して、夏ごろからCW(モールス通信)の受信練習と送信練習を、少しずつやりはじめていた。
ただ、実際の交信を聴くと、速すぎて全く何を言っているのかちんぷんかんぷんだった。
この年の12月末に1、2度CW交信を試みたが、相手の送信内容がほとんど書き取れず、また自分の送信も無茶苦茶で、私は自信をなくした。
結果、しばらくCW練習はお休みとなった。

付け足していうと、この年の夏は異常に暑かった。
一人暮らしをしている母親が、本当に危ない状態になったりもした。
私は何度も実家に足を運んだ。

夏の終わり、私は仕事を辞める決心をした。

200Wリニアアンプ

2025年(令和6年)。
3月末で、私は43年間の教員生活に別れを告げた。
4月からは、どこへも行かず、家で過ごしている。
そして、月に1回は実家通いをしている。

無線の方は、一度挫折したCWを再びやろうと考え、4月から受信練習や送信練習を再開した。
ただ、実際の交信を聴くと、全く言葉として聞き取れない。
ちんぷんかんぷんなんのは、昨年末と同じだった。

そんなとき、いつも無線でお世話になっている近所のOM(大先輩)さんから、「受信した文字は、必ず紙に書き出すこと」と教えられた。
ここから、私は受信のスピードも上げながら、腕を磨いていった。

ただ、それでも、以前のnoteにも書いたように、私はなかなかCWの世界に飛び込めずにいた。
うじうじしていた。

これではいつまでたっても状況は変わらない。と意を決して、CWでの交信を始めたのが8月末。
始めてみたら、なんとかなった。
「習うより慣れろ」というのは、本当だと思う。
(ということで、今現在の交信は、ほとんど7MHzのCWばかりです。ただし短い交信です。10月29日現在で延べ160局と交信しました。)


ここまでの自分の5年間を振り返ってみたが、自分なりに頑張ってきたんだなあと、改めて思った。
また、人生においては他人と比較することにあまり意味はないなあ、とも思った。

結局、自分で選んだ道を、前を向いて少しずつ歩んでいくのが、人生の一番良い過ごし方ではないか。
そう私は思う。


以上、私の「5年間を振り返って」でした。
最後までおつき合いいただき、有難うございました。






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