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『火の鳥 望郷編』を読んで考えたこと:手塚治虫が描く故郷と人類の未来


火の鳥 望郷編

先日「火の鳥展」に足を運んで以来、触発され、手塚治虫先生の原作『火の鳥 望郷編』を20年以上ぶりに手に取りました。この望郷編は、他のシリーズに比べて比較的人気が薄いと聞きますが、私にとっては十分すぎるほどの読み応えがありました。

物語は、地球を飛び出した主人公ロミと恋人ジョージが無人惑星に到達するところから始まります。ガイドから聞いていた話とは裏腹に、そこが生命の住める星ではないと知った時、私はまるで映画『オデッセイ』のようなシンプルな生還劇を想像しました。しかし、手塚先生はそんな予定調和な展開を描くような方ではありませんでした。


常識を覆す展開と手塚治虫の眼差し

恋人を事故で失ったロミは、ジョージの子を身ごもっており、この惑星で生き抜くために、まさかの近親相姦で子孫を築くという強烈な選択をします。この発想だけでも度肝を抜かれるのに、生まれた息子たちが呆気なく死んでしまう展開には、手塚先生の容赦ない視点を感じずにはいられませんでした。

これまでの「火の鳥」シリーズでは、火の鳥があまり直接的に手を差し伸べない印象が強かったのですが、本作ではムーピーと人間の混血をムーピー族に促すなど、珍しく支援役として登場します。その意図は未だに私の中で解明できていませんが、この異色の介入が物語に新たな深みを与えていることは間違いありません。


銀河鉄道999を思わせる旅路と人類の本質

混血によって誕生したコム一族は、視力を持たず、見た目で人を判断しないという特徴を持っています。やがてロミは地球への帰還を強く願望し、コムを連れて星々を旅することになります。この部分は、まるで**『銀河鉄道999』を彷彿とさせる、各惑星での様々な生命体との交流が描かれます。そこで展開される、こちらの常識がまるで通用しない一面には、手塚先生の頭の中に広がる想像力の壮大さ、そしてある種の畏怖の念**すら覚えました。

意思を持つ無機物に襲われたり、帯電した地面に生命を奪われたりするロミ。そんな中、若返りの治療と称して詐欺を働くズダーバンが登場します。このズダーバンが語る「文明国として必要なのは悪徳である」というセリフは、人間の本質、ひいては文明の本質を鋭く突いており、私の目を覚まさせました。善意の塊であるコム一族を欲望の海に沈めていくズダーバンの存在は、手塚先生が現実社会の暗部を深く見つめていたことを物語っています。


故郷への渇望と、私たち人類への問い

若返りの副作用で残り一日となったロミが地球にたどり着き、森林と湖の向こうから昇る太陽を見て「これこそ地球よ!」と叫ぶ場面は、映画『ゼロ・グラビティ』のラストシーンを思い出させ、胸に迫るものがありました。そして、ラストシーン。牧村がロミの遺体に『星の王子さま』の詩を読み上げ、地中でロミとジョージが永遠に還っていく場面で物語は幕を閉じます。

個人的には、故郷にここまで強い思いを抱ける感覚があまりありません。おそらく、今の日本国内にいる限り、故郷というにはあまりにも近すぎるのかもしれません。距離も文化も生活も、そして民度も。

手塚先生がこの作品に込めた、人類の想像の範囲外から物事を俯瞰するような視点、その壮大なメッセージに深く感銘を受けました。最近では火星移住を唱える動きもありますが、私たち人類の成長は、そこまでの価値に見合うものなのでしょうか。

「火の鳥」を読破した後は、いつも決まって気が滅入るのですが、それでもそこから得られる気づきは、何かしらのプラスとマイナスで相殺されているような、不思議な気分にさせられます。


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