「変わったのは、友達じゃなかった」
高校の友達とは、今でも週末に電話をする。
数か月前は、その時間が楽しみだった。
くだらない話をする。
ゲームの話をする。
何時間も話して笑う。
そんなふうにして過ごしてた。
でも、最近少し違和感を覚えるようになった。
話していても、前ほど楽しくない。
「もう通話はしなくていいかな。」
通話が終わった後、そんなことを思った。
楽しかったはずの時間を、「もうなくていいかな」と思った理由を考えてみた。
それは、友達が変わったからだと思った。
話す内容が合わなくなった。
興味が違ってきた。
でも、少し考えて気づいた。
変わったのは、友達じゃなかった。
自分だった。
高校時代の自分は、友達と話す時間が結構あった。
普通に会話をしたり、
ご飯を食べに行ったり、
くだらないことで笑っていた。
いつしか当たり前の日々になっていた。
でも、大学に入ってから少しずつ自分が変わっていった。
自分の時間の使い方が変わった。
資格勉強をもっとやりたい。
大学のテストで結果を出したい。
noteを書きたい。
将来、自分が作りたい居場所について考えたい。
昔なら、一緒に遊んで、くだらないことを話していた時間。
今は、自分の未来について考える時間になった。
もちろん、友達の過ごし方が間違っているとも思わない。
人には、それぞれが大切にしている時間がある。
自分が見ているものが変わった。
それだけだった。
ただ、高校時代を美化したいわけではない。
あの時間だって、すべてが楽しかったわけではなかった。
過去に自分を苦しめた人と同じクラスになった。
学校に行くことだけで、精一杯だった時間もあった。
周りから見れば当たり前のことが、簡単ではなかった。
それでも、その中で笑った時間があった。
だから、高校生活は、
「楽しかった」、「苦しかった」そのどちらかで表せるものではなかった。
最近通話をしているとき、
確かに、昔みたいに笑うこともある。
でも、以前とは違うときのほうが多い。
通話をしながら、別のことを考えたり、別の作業をしている自分がいる。
「今日の資格勉強のできはこうだから、明日はこうしよう。」
「次のnoteの記事はどうしよう、この時間で下書きするか。」
「居場所どんなのつくりたいんだろう。ちょっと検索してみるか。」
そんなことを考えたり、作業したり。
その時、思った。
「ああ、自分は変わったんだな。」
高校時代の自分が今の自分を見たら、どう思うのだろう。
「つまらなくなったな。」
そう思うかもしれない。
でも、自分ではわかっている。
外から見れば、昔より面白くない人間に見えるかもしれない。
でも、自分の内側では今のほうがずっと面白い。
知らなかったことを知れて、
できなかったことにも挑戦できて、
言葉にできなかったことが書けるようになる。
自分の未来を考える。
そんな時間が増えた。
ただ、自分は変われたことで、すべてを手に入れたわけじゃない。
失ったものもあると思う。
何も考えずに笑っていた時間。
くだらない話で盛り上がっていた時間。
将来なんて考えず、その瞬間だけを楽しんでいた時間。
あの時間は、もう戻ってこない。
戻りたいわけじゃない。
ただ、あの時間が少し遠くに見えるだけ。
そして時々思う。
自分は、少し残酷な人間なのかもしれない。
大切だったはずの時間を、自分から遠ざけようとしているように見えてしまうから。
夏休みに帰省する。
その時、高校時代の友達と会うのかもわからない。
夏休みの通話にも参加しないつもりだ。
夏休みが終わった後、また参加するのかもわからない。
そして、このまま少しずつ距離ができていくのかもしれない。
でも、それを悪いことだとは思わない。
友達の誰かを嫌いになったわけじゃない。
誰かが間違っているわけでもない。
ただ人は変わっていく。
昔の関係が続くとは限らない。
進む方向が変われば、過ごす時間も、一緒にいる人も変わっていく。
それは自然なことなのかもしれない。
でも、あの頃の時間がウソになるわけじゃない。
楽しかったことも。
笑ったことも。
苦しかったことも。
全部、本物だった。
変わるということは、何かを得ることだけじゃない。
何かを置いていくことでもある。
少し寂しいかもしれない。
でも、それでもいい。
自分は、自分の進みたい方向へ進む。
あの頃の自分を否定するわけでもない。
今の自分が正解だとも思わない。
でも、今日も、
自分は進みたい方向へ進んでいく。
