理想を追うということ
はじめに
初めまして、こんにちは。
50代になり、これまでの人生をゆっくりと振り返る時間が増えてきました。
若い頃に信じてきたこと、無我夢中で追いかけてきた理想、そして今感じている静かな気持ち——
これからnoteでは、そんな「心の移ろい」を自分なりの言葉で綴っていけたらと思っています。
初回は、「理想」という言葉について、今あらためて思うことを書いてみました。
「理想を追うということ」
50歳を過ぎてからというもの、最近は年齢のせいか、物事に対してあまり熱くなることがなくなった。
それどころか、これまで大切にしてきた“こだわり”のようなものも、少しずつ薄れてきて、「まあ、大体でいいか」と思えることが増えてきた。
すると不思議なもので、日々の中からストレスも自然と減ってきたような気がしている。
そんな中で、ふと疑問に感じるようになったことがある。
「理想を追うというのは、そんなに大切なことなんだろうか?」
若い頃から本を読み漁り、人生を成功させた人たちが口を揃えて言っていたのは、「夢や理想をとことん追いかけることが大切だ」ということだった。
僕もそんな言葉に憧れて、自分をストイックに追い込み、高い理想を掲げながら生きてきた。
その過程で、いくつかの大きな夢を実際に叶えることもできた。
次の夢へ、さらにその次の夢へと、チャレンジを重ねていくことこそが、人生を充実させる道だと、疑いもせずに信じていた。
でも今、振り返って思うのは——
そのあいだ、ずっと心の中は不安定だったということ。
ハイになったり落ち込んだりを繰り返し、ときには心が折れて、どん底でもがき苦しんだ。
大切な人たちに対してきつく当たったり、心を閉ざしてしまったりして、たくさんの迷惑もかけてきた。
僕にとって「夢や理想を追うこと」のリアルは、まさにそのような日々だった。
そして今、「まあ、食べていければそれでいい」と思えるようになった。
理想を追うことをやめると、不思議と心の波が静かになった。
気持ちが大きく上がることもなければ、深く落ち込むこともない。
退屈といえば退屈かもしれない。
でも、暇な時間に絵を描いてみたり、英語を学んでみたりして、ささやかな時間を埋めている。
何か特別なものがあるわけじゃないし、心は少し孤独と言えるのかもしれない。
それでも、納得のいく絵が描けたときや、英語の意味が少し分かるようになったとき、ふと心が満たされる。
——夢や理想を追い、叶えていくことで得られる幸福がある。
——でも、追わないことで初めて手に入れられる幸福もある。
この相反するふたつの幸せに、僕はいまだに折り合いをつけられずにいる。
そんなことが、今日も頭の中を漂っている。
だからこそ今、これまでの失敗や間違いも含めて、僕自身が感じてきたことを、少しずつ言葉にして、誰かに届けていけたらと思っている。
終わりに
読んでくださって、ありがとうございました。
もし少しでも共感いただけたなら、また次回も覗いていただけたら嬉しいです。
