美味しいカルビクッパが食べたい。
「美味しいものが食べたい」という気持ちは、多くの人に共通する感情だろうけど、その意志の強弱にはだいぶムラがあるように思う。
たとえば私は、この思いが希薄なタイプだ。
もちろんお腹はすくし満たしたい。しかしまぁ、そのときに食べるものが美味しければまぁ助かるな、という程度なのだ。
しかしいま私は思う。
猛烈に、焦がれるほど、美味しいカルビクッパが食べたい。
先日のことだ。
その日は急に気温があがり暑かった。日中、夫と子どもとで町の祭りに
繰り出したが、あまりの暑さに私は早々にやられた。日陰で休みながらその日の夕食のことを考える。
冷麺だ。
そのとき私の頭のなかはそう決意していた。ほてりすぎた身体には冷たいものがいい。さっぱりと酸味のきいた味も、つるりと滑る麺の喉ごしも、いまには最適だ。
やがて遊び終えてやってきた夫に私は告げ
た。
「晩御飯は冷麺がいい」
夫は即座に承諾した。
「それがいい」
普段冷麺などには興味を示さない息子が、それに続く。
「俺も、冷麺食べたいかも」
すごい。季節外れの暑さは、知らない間に家族の心をひとつにしていた。
料理の気力も失せていた私たち一家は、冷麺まっしぐら!と言わんばかりの勢いで、開店と同時に近所の焼肉屋に駆け込んだ。
そこで意気揚々とメニューを見た瞬間、まさかの事態がおこった。
あれ……? カルビラーメンが、食べたい。
冷麺が食べたくてこの場にいるはずなのに、メニューのなかの赤くて具だくさんのラーメンから目が離せなくなったのだ。
ちなみに本当のメニュー名は違うのだが、ここでは便宜上カルビラーメンとしておく。カルビクッパのスープに中華麺が入ったものだと想像してもらえればいい。
私はここのカルビラーメンをもちろん食べたことがある。
迷った。
私は心から冷麺が食べたかったはずだ。冷たくてさっぱりしたものを求めてきたのに、熱くてこってりしたものを食べるなんて正気だろうか。でもどうしてか、私はカルビラーメンから目を離せない。ゴクリと喉が鳴る。
決断の時は迫っている。
「……私、カルビラーメンにしようかな」
もはや冷麺は私の心の隅においやられていた。中心にはカルビラーメンがある。
言い出しっぺの華麗な手のひら返しにも、夫はたいして意見はなさそうだった。そうして冷麺二つとカルビラーメンを頼んで、私たちは待った。
待つ間も、私は心のなかで頭を抱えていた。
本当にカルビラーメンでよかったのか。こんなに暑いのに。それにカルビラーメンは、前回来た時も食べたはずなのに。
と思ってハッとした。
そうだ、私は前回もカルビラーメンを食べた。
それどころか、前々回来たときもカルビラーメンを食べたんじゃなかったか。
その前はどうだ? そのもっと前は、どうだった?
愕然とした。思い出す限りずっと、私はここに来るたびにカルビラーメンを頼んでいた。
カルビラーメンが食べたくてここに通っている、ということなら特に問題はないのだ。しかし問題なのは、私はいまはじめてその事実に気づいたということだ。
つまり私は毎回、「あくまで今日の気分はカルビラーメン」という感覚でいた。数あるメニューからたまたまカルビラーメンを選んでいるつもりだった。しかし実際は私にあったのは個々の選択じゃなく、カルビラーメンの連続だったのだ。中華そばや、塩ラーメンもずっと私の選択肢にあがっていたようで、そんな日はこなかったのだ。
私は知らず、カルビラーメンに囚われていた。
一体、いつから。いつから私はこんなにもカルビラーメンのことを。
そうこう思っているうちに、ドン、とカルビラーメンは私の目の前に運ばれた。
たっぷり盛られた具が、油の浮いた赤いスープからその頂を覗かせている。その山を箸で崩してスープにじゃぶりとつけてから口に運ぶ。
その瞬間、舌のすべてが歓喜した。
……うまい!
うまいうまいうまい! うますぎる!!
辛味甘味塩味が絶妙なバランスで駆け抜ける。勢いのまま麺もすくってすする。
うまい!!!! 最高に、うまい!!
舌の喜びは胃に伝わり、胃の喜びは全身に伝わった。いまや私は頭から足の先までどっぷりとこの赤いスープに浸されている。
本来、私は少食な人間だ。
腹の限界というものが、恐ろしく鋭利な感覚で私にはわかる。「あ」と思った瞬間、満腹感は私の身体を拘束し、導火線の短い爆弾にスッと火を近づけられたようになる。
しかしこのとき私の腹には限界がこなかった。
あり得ない話である。
お腹がいっぱいだなーと思いながらも、麺をすする手が止められない。スープをまた一口飲んでしまう。
繰り返すが、あり得ない話なのである。私にとっては。
食欲はすでに満たされているはずなのに、味覚が、口が、喉が、カルビラーメンを求めていた。食事の前線にたつ彼らが、もっと味わいたいと求めているのだ。
私の身体の絶対的な支配者であったはずの胃腸が、彼らの貪欲さに負けている。
これは驚きであり、喜びであった。
この日以来、私は寝ても覚めてもカルビラーメンを想っている。
夜に布団にはいって目をつむれば、赤いスープがまぶたに浮かぶ。赤子が無意識に母の乳を吸う動作を見せるように、私の喉は勝手に架空のカルビラーメンの喉ごしを味わう。
あの甘いのか辛いのかわからない魅惑のスープが飲みたい。
ラーメンでも、クッパでも構わない。
なぜここまで私を虜にするのかわからない。しかし私は焦がれるほどに食べたい。
そうしてふと思う。世の中にはあらゆる食事にたいして常にこのような熱量をもっている人がいるのだろうな、と。
この枯渇するような想いと腹を常に抱えて生きるのは苦痛だろ
うか。はたまた生きる糧なのか。わからない。わからないが、私はいまその末端に触れている。
私には知り得なかった深淵を、カルビラーメンは見せてくれていた。
ちなみに、この記事のタイトルは「美味しいカルビクッパが食べたい。」だが、この文章を私自身が校正すると違和感が出る。
そもそも私が本当に欲しているのはカルビラーメンだ。しかしカルビクッパに比べてカルビラーメンというのは知名度に劣る気がする。パッと見て何かわからないものをタイトルに持ってこなくても、という思惑があってタイトルではカルビクッパと書いている。(実際カルビクッパも食べたいから問題ない)
しかりより大きな問題は、私にとって美味しくないカルビクッパは存在しないという点にある。どこで食べるカルビクッパもカルビラーメンも味の違いこそあれ、皆、美味しいのだ。なんなら自分で作ったカルビクッパでさえも美味しい。
だから私のなかでカルビラーメンもしくはカルビクッパという単語はすでに「美味しい」という意味を有している。つまり「美味しいカルビクッパ」は「頭痛が痛い」と同じような誤用になるのである。
私とカルビラーメンの出会いはけして早かったとは言えない。だが時期など問題ではないのだ。
出会えたことが、大事なのだから。
