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「重力は事実上無視しうる」という言葉の危うさ――原子・分子と相対論のあいだで

皆さん、こんにちは。
HSP×アンチ東大主義の、@おはようございますです。

今日は、物理の教科書にしばしば登場する
ある決まり文句について考えてみたいと思います。

それは、

「物質の世界では、重力は事実上無視しうる」

という表現です。


教科書に書かれていること

元ネタは『新・物理入門』です。
そこでは、重力(万有引力)とクーロン力の大きさを
水素原子を例にして比較しています。要旨のみ記します。

  • 陽子の質量
     $${M_p = 1.7 \times 10^{-27} \,\mathrm{kg}}$$

  • 電子の質量
     $${M_e = 9.1 \times 10^{-31} \,\mathrm{kg}}$$

  • 電気素量
     $${e = 1.6 \times 10^{-19} \,\mathrm{C}}$$

このとき、

  • クーロン力 $${F_C}$$

  • 重力 $${F_G}$$​

の比を取ると、

$${\frac{|F_G|}{|F_C|} \sim 4.5 \times 10^{-40}}$$

となり、圧倒的にクーロン力が勝っている

この結果を受けて、教科書はこう結論づけます。

「原子や分子の世界では、重力は事実上無視しうる」

同書22頁

ここに、僕は引っかかった

数値としては、確かにそうです。
原子・分子の結合構造を決める力として、
重力はまったく寄与しない。

これは疑いようがない。

でも、ここでふと疑問が湧きました。

本当に「無視しうる」と言い切ってしまっていいのだろうか?


構造の話と、運動の話は別ではないか

教科書の議論は、よく読むと
「原子の内部構造」の話です。

  • 電子がどこに束縛されるか

  • 原子半径がどれくらいか

  • エネルギー準位がどうなるか

これらを決める上で、重力が効かないのは事実です。

しかし一方で、

  • 原子や分子が空間を移動する

  • 高速で運動する

  • 重力場の中を落下・飛行する

こうした 「重心運動」の問題まで含めて
「無視しうる」と言ってしまってよいのでしょうか。


相対論が入ると、話はさらにややこしくなる

さらに厄介なのは、
光速に近い速度で原子や分子が運動する場合です。

このとき、

  • 特殊相対論的な補正

  • エネルギーと質量の等価性

  • 時間の遅れ・長さ収縮

といった効果を考える必要が出てきます。

ここでよくある説明が、

「相対論的効果は考えるが、
重力は依然として無視できる」

というもの。

しかし、論理的に考えると少し変です。

  • 高速で運動する
    → エネルギーが増える
    → 重力源としての寄与はむしろ大きくなる

相対論的だから重力を無視できる
という必然的な理由は、どこにもありません。


実際、重力を無視していない例はたくさんある

現実の物理では、

  • 原子干渉計

  • 中性子干渉計

  • 宇宙線

  • GPS(相対論+重力ポテンシャル)

など、量子的・相対論的な対象に重力を入れる研究は普通に行われています。

つまり、

「原子・分子の世界では重力は無視しうる」

という言葉は、
かなり限定された文脈でのみ正しい


本当は、こう言うべきだったのではないか

僕が思うに、
教科書の一文は、こう書き換えるのが一番誠実です。

原子・分子の内部構造や結合を決める上では、
重力は電磁力に比べて極端に小さいため無視できる。
ただし、原子・分子の運動や重力場中での振る舞いまで含めると、
その限りではない。

「無視しうる」という言葉は便利ですが、
何を捨象しているのかを隠してしまう。

そこに違和感を覚えることは、
物理を理解する上で、むしろ健全だと思うのです。


おわりに

この話は、
「教科書が間違っている」という主張ではありません。

むしろ、

  • どのスケールの話か

  • 何を考えて、何を捨てているのか

そこを問い直すこと自体が、
物理の思考そのものなのだと思います。

「重力は無視できる」

その一言の裏にある前提を、
一度立ち止まって考えてみる。

それだけで、
物理はずっと立体的に見えてくる気がします。

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