「重力は事実上無視しうる」という言葉の危うさ――原子・分子と相対論のあいだで
皆さん、こんにちは。
HSP×アンチ東大主義の、@おはようございますです。
今日は、物理の教科書にしばしば登場する
ある決まり文句について考えてみたいと思います。
それは、
「物質の世界では、重力は事実上無視しうる」
という表現です。
教科書に書かれていること
元ネタは『新・物理入門』です。
そこでは、重力(万有引力)とクーロン力の大きさを
水素原子を例にして比較しています。要旨のみ記します。
陽子の質量
$${M_p = 1.7 \times 10^{-27} \,\mathrm{kg}}$$電子の質量
$${M_e = 9.1 \times 10^{-31} \,\mathrm{kg}}$$電気素量
$${e = 1.6 \times 10^{-19} \,\mathrm{C}}$$
このとき、
クーロン力 $${F_C}$$
重力 $${F_G}$$
の比を取ると、
$${\frac{|F_G|}{|F_C|} \sim 4.5 \times 10^{-40}}$$
となり、圧倒的にクーロン力が勝っている。
この結果を受けて、教科書はこう結論づけます。
「原子や分子の世界では、重力は事実上無視しうる」
ここに、僕は引っかかった
数値としては、確かにそうです。
原子・分子の結合構造を決める力として、
重力はまったく寄与しない。
これは疑いようがない。
でも、ここでふと疑問が湧きました。
本当に「無視しうる」と言い切ってしまっていいのだろうか?
構造の話と、運動の話は別ではないか
教科書の議論は、よく読むと
「原子の内部構造」の話です。
電子がどこに束縛されるか
原子半径がどれくらいか
エネルギー準位がどうなるか
これらを決める上で、重力が効かないのは事実です。
しかし一方で、
原子や分子が空間を移動する
高速で運動する
重力場の中を落下・飛行する
こうした 「重心運動」の問題まで含めて
「無視しうる」と言ってしまってよいのでしょうか。
相対論が入ると、話はさらにややこしくなる
さらに厄介なのは、
光速に近い速度で原子や分子が運動する場合です。
このとき、
特殊相対論的な補正
エネルギーと質量の等価性
時間の遅れ・長さ収縮
といった効果を考える必要が出てきます。
ここでよくある説明が、
「相対論的効果は考えるが、
重力は依然として無視できる」
というもの。
しかし、論理的に考えると少し変です。
高速で運動する
→ エネルギーが増える
→ 重力源としての寄与はむしろ大きくなる
相対論的だから重力を無視できる
という必然的な理由は、どこにもありません。
実際、重力を無視していない例はたくさんある
現実の物理では、
原子干渉計
中性子干渉計
宇宙線
GPS(相対論+重力ポテンシャル)
など、量子的・相対論的な対象に重力を入れる研究は普通に行われています。
つまり、
「原子・分子の世界では重力は無視しうる」
という言葉は、
かなり限定された文脈でのみ正しい。
本当は、こう言うべきだったのではないか
僕が思うに、
教科書の一文は、こう書き換えるのが一番誠実です。
原子・分子の内部構造や結合を決める上では、
重力は電磁力に比べて極端に小さいため無視できる。
ただし、原子・分子の運動や重力場中での振る舞いまで含めると、
その限りではない。
「無視しうる」という言葉は便利ですが、
何を捨象しているのかを隠してしまう。
そこに違和感を覚えることは、
物理を理解する上で、むしろ健全だと思うのです。
おわりに
この話は、
「教科書が間違っている」という主張ではありません。
むしろ、
どのスケールの話か
何を考えて、何を捨てているのか
そこを問い直すこと自体が、
物理の思考そのものなのだと思います。
「重力は無視できる」
その一言の裏にある前提を、
一度立ち止まって考えてみる。
それだけで、
物理はずっと立体的に見えてくる気がします。
