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評価はなぜ外れるのか|小説を書くという「予測不能な作業」について|小説論|創作論|文学|文章術|書くこと|評価と創作|文学と現代|

皆さん、こんにちは。
HSP×アンチ東大主義の、
@おはようございますです。

 

小説を書いていると、
必ず迷う瞬間があります。

 

この書き方でいいのか。

内面を深く掘るべきか。

それとも、
現代的な技法を重視するべきか。

 

気づけば自分の中に、
いくつもの「正しさ」が並びます。

そして、どれを選んでも
どこか間違っているように思えてくる。

 

最近、その迷いをさらに複雑にしたのが、
評価というものの不確かさでした。

 

ある作品について、
高い評価が与えられることがあります。

 

けれど、
高く評価されたからといって、
結果が伴うとは限りません。

 

実際、評価と結果のあいだには、
しばしば大きなずれがあります。

 

このとき、

「評価とは何だろう」

と考えさせられました。

 

高く評価されたのに、
結果は違った。

 

そこには、
単純な「当たり外れ」では片づけられない
何かがあるように思えたのです。

 

たぶん、
評価とは未来を当てるものではありません。

 

むしろ、
別の視点を与えるものなのだと思います。

 

選考委員の評価も
編集者の評価も、
批評も同じです。

 

それは「予測」ではなく、
ひとつの読み方です。

 

だから、
当たったか外れたかだけで見ると、
かえって混乱してしまう。

 

そもそも小説は、
予測どおりにいかないものだからです。

 

内面を深く描く方法もあれば、
行動や描写で見せる方法もある。

 

どちらが正しいか、
という話ではありません。

 

大切なのは、
どの方法をどう使うかです。

 

語ることでしか届かないものがあり、
見せることでしか伝わらないものもある。

 

小説は、
そのあいだを行き来しながら
形になっていきます。

 

だからこそ、
「誰の評価を信じるか」を
決めすぎないほうがいい。

 

評価は答えではありません。

 

あくまで
判断材料のひとつです。

 

本当に必要なのは、
評価を集めることではなく、

その評価を通して
自分の判断軸を育てることなのだと思います。

 

小説には、
明確な正解がありません。

 

だから迷うのは自然です。

 

むしろ迷いながら書くことが、
創作そのものなのかもしれません。

 

どんな技法を選んでもいい。

どんな書き方でもいい。

 

ただ、
ひとつの正しさだけを
絶対視しないこと。

 

正しさは、
外から与えられるものではなく、

書き続ける中で
少しずつ見えてくるものだからです。

 

そしてその不確かさこそが、
小説を書くということの
中心にあるのだと思います。


どうでしょうか。よろしければ、
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@おはようございますでした。


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