ラ王一杯から考える、生活レベルの話
皆さん、こんにちは。
HSP×アンチ東大主義の、@おはようございますです。
今日は「生活レベルを落とすことの難しさ」について、ちょっとした実感から考えてみたいと思います。
この話題でよく知られているのが、ひろゆきさんの持論です。
「生活レベルは、一度上がると下げるのが難しい」
私も、これはかなり本質を突いていると思っています。
なぜそう思うのかというと——きっかけは、実にささやかなものです。
私は、インスタントラーメンの「ラ王」が好きなんですよね。
一度ラ王を食べてしまうと、他のインスタントラーメンが、なんだか物足りなく感じてしまう。
「別にまずいわけじゃない。でも、手が伸びない」
そんな感じです。
これがもし、1000円くらいするラーメン屋さんの一杯だったらどうでしょう。
きっと私は、「やっぱりあれがいい」と、そこにこだわり続けると思うんです。
人って、一度「おいしい」「満たされた」と感じた基準を、なかなか手放せない。
私は食事に関して、特にそれを強く感じます。おいしいと思ったものがあると、ついそれを繰り返し選んでしまう。
考えてみると、食生活ほど「生活水準」を実感しやすい分野は、あまりないのかもしれません。
毎日、確実に体に入るものですし、感覚的な満足度も高い。
だからこそ、子どもの頃から比較的裕福な家庭で育ち、外食やおいしいものが当たり前だった人が、もし途中で経済的に大きくつまずいたとしたら——その落差は、相当きついものになるのではないかと思います。
財力が続いているうちはいい。
でも、事業の失敗や環境の変化で、一気に生活が暗転したとき、
「以前は普通にできていたこと」が、もうできない現実に直面する。
そのショックは、数字以上に、感覚の部分で襲ってくる気がします。
たった一杯のラーメンの話かもしれません。
でも私は、そこから人生の「苦」と「楽」について、いろいろ考えてしまいました。
人は、贅沢に慣れるのではなく、
「基準」に慣れてしまう生き物なのかもしれません。
皆さんは、どうでしょうか。
