なぜ学校は“寝ている一人”に合わせるのか|全体指導というシステムへの違和感|教育|学校|先生|社会問題|
皆さん、こんにちは。
HSP×アンチ東大主義の、@おはようございますです。
今日は、僕が学校というシステムに対して
ずっと抱いている違和感を一つ書きます。
■ なぜ「寝ている人」に合わせるのか
授業中に寝ている生徒がいる。
先生は言います。
「起きろ」
「やる気がないなら帰れ」
時には嫌味も混じる。
そして空気が張りつめる。
でも、僕はいつも疑問でした。
なぜ、その“寝ている一人”に合わせて
教室全体の空気が決まるのだろう。
■ 集中している人は無視される
クラスの中には、
真面目に聞いている人もいる。
ノートを取り、考え、理解しようとしている人もいる。
僕はどちらかといえば、そちら側でした。
なのに、
指導の基準は常に
「一番態度が悪い人」に合わせられる。
底に合わせる構造。
そのたびに、教室の雰囲気は悪くなる。
怒鳴り声。
皮肉。
緊張。
こちらまで叱られているような感覚になる。
■ 集団管理の論理
後になって思うのは、
学校は「教育機関」であると同時に
「管理システム」でもあるということ。
一人の乱れは、全体の乱れにつながる。
だから最も目立つ“逸脱”に
エネルギーが注がれる。
でも、その結果
・集中している人のリズムが壊れる
・学びたい人の時間が削られる
・教室全体が緊張状態になる
という副作用が生まれる。
■ HSPにはきつい空間
特にHSP気質の人にとって、
怒声や皮肉はダイレクトに刺さります。
「ちゃんと聞いているのに」
「自分は何も悪くないのに」
それでも、空気の悪さを丸ごと受け取ってしまう。
授業内容よりも、
空気の振動のほうが記憶に残る。
これが、僕が学校という全体指導の雰囲気を
好きになれなかった理由です。
■ 底に合わせるのか、上に合わせるのか
僕は今でも思います。
なぜ教育は、
上に合わせる発想をしないのだろう。
集中している人を基準にすれば、
「今、考えている人の邪魔をしないでくれ」
という空気ができるかもしれない。
学びたい人が守られる空間。
それは理想論かもしれません。
でも、
底に合わせる構造が
学びの質を下げている場面もあるのではないか。
学校は、多数を管理するシステム。
だからこそ、繊細な人には
息苦しい場所になることがある。
あの教室の重たい空気を思い出すたびに、
僕はそう感じます。
皆さんはどう思いますか。
「全体指導」という仕組み。
それは本当に、全体のためになっているのでしょうか。コメント・スキ・フォロー宜しくお願いします。
@おはようございますでした。
