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【ゲーム】「ゲームオーバー」は、本当に必要なのか?~「失敗すること」と「ゲームを終わらせること」の違い~

ゲームを遊んでいると、「GAME OVER」という言葉を一度は目にしたことがあると思います。敵に倒さたとき、あるいは制限時間がなくなったとき。

画面に「GAME OVER」と表示され、それまで続いていたゲームが一度途切れます。

近年のゲームはプレイヤーへの負担が少ないものの、レトロゲームにおいて「GAME OVER」はその世界の消滅と言えるほど、残酷なものです。
8-4まで進めても、そこで残機が尽きれば、また1-1から挑戦しなければなりません。それでも私たちは、「もう一度やろう」と再びコントローラーを握り、ゲームを再開します。

では、なぜゲームには「GAME OVER」があるのでしょう。

プレイヤーの失敗を知らせるためでしょうか。
ゲームに緊張感を持たせるためでしょうか。
それとも、もう一度挑戦したいと思わせるためでしょうか。

考えてみれば、ゲームオーバーという仕組みは不思議です。

ゲームは、私たちプレイヤーを楽しませるためのものです。それなのに、わざわざ「あなたは失敗しました」と告げて、ゲームを終わらせてしまう。

もちろん、ゲームオーバーがあるからこそ生まれる緊張感や達成感もあります。

しかし、現代のゲームを見ていると、事情は少し変わってきました。チェックポイントからすぐにやり直せたり、オートセーブによって少し前の状態から再開できたり、ゲームによっては、そもそも「GAME OVER」という言葉を見る機会がほとんどなかったりします。

では、ゲームオーバーは必要なくなったのでしょうか。

それとも、ゲームにとって本当に必要なのは「ゲームオーバー」ではなく、「失敗すること」そのものなのでしょうか。

前置きが長くなりましたが…今回は、ゲームでは当たり前の存在だった「GAME OVER」について、改めて考えてみたいと思います。



1.ゲームオーバーは何のためにあるのか

では、そもそもゲームオーバーは何のために存在しているのでしょうか。

一番分かりやすいのは、やはり「失敗を知らせるため」です。

  • 敵に倒される

  • 穴に落ちる

  • 時間切れになる

  • 残機がなくなる

@Nintendo

ゲームには上記のような「プレイヤーがこれ以上先へ進めない」状態、いわゆる「ゲームの終わり」があります。そこで「GAME OVER」と表示することで、プレイヤーにそれを伝えることができます。

しかし、それだけではないように思います。

ゲームオーバーがあることで、「失敗したくない」という気持ちも生まれるからです。

例えば、残機が残り1つしかない状態でステージを進んでいるとします。私たちと同じ人生のようなものです。
次のミスで、ゲームオーバーになってしまう。

そうなると、普段気にせずに進んでいた場所も、慎重になります。
敵の動きや周囲の状況の観察、安全な場所で立ち止まる、少しでも危険を感じると、無理せず進む。

これはゲームの中に限った話ではありません。

私たちの人生でも、きけんを感じれば、自然と慎重な行動をとるものです。

例えば、普段歩いている道に凶器を持った不審者が現れたとします。いつも通っている道とはいえ、そのまま歩き続ける人はなかなかいないでしょう。遠回りの安全な道を歩いたり、時には用もないのにお店や施設に避難したりする。

自身の命を守るために、普段とは違う行動を選ぶはずです。

ゲームでも、似たようなことが起こります。

ゲームオーバーという「終わり」があることで、ゲームの中にも現実と同じような「危険」が生まれます。

そして、もう一つ重要なのが「再挑戦」です。

ゲームオーバーになったとき、そこでゲームをやめる人もいるでしょう。
しかし、多くの人は

「もう一回やろう」

と思い、再びゲームを始めます。倒せなかった敵を倒す、ステージをより先に進む、失敗した場所を突破する。
こうした経験を繰り返して、少しずつ上達していく。

そう考えると、ゲームオーバーは単にプレイヤーをゲームから追い出す仕組みではありません。

「失敗した」という事実をはっきり示し、次の挑戦へつなげる役割を持っているのです。

現実なら、一度失敗すると取り返しがつかないこともあります。しかし、ゲームなら、ゲームオーバーになっても、もう一度挑戦ができます。

むしろ、ゲームオーバーがあるからこそ、

次はもっとこうしよう

と思えるのかもしれません。


しかし、ここで一つ疑問が浮かびます。

「失敗すること」と「ゲームオーバーになること」は、本当に同じなのでしょうか。

初めにも話した通り、最近のゲームでは、ミスをしてもチェックポイントから再開できます。

だとすれば、ゲームに必要なのは「ゲームオーバー」ではなく、
失敗しても、もう一度挑戦できること」なのかもしれません。

次の章では、ゲームにおける「失敗」と「ゲームオーバー」の違いについて考えてみたいと思います。



2.「失敗」と「ゲームオーバー」は同じなのか?

ここまで、ゲームオーバーには「失敗を知らせること」や「緊張感を生み出すこと」、そして「再挑戦を促すこと」といった役割があるのではないか、と考えてきました。

しかし、ここで一つ気になることがあります。

「失敗すること」と「ゲームオーバーになること」は本当に同じなのでしょうか。

例えば、現在のゲームでは、敵に倒されても、その場でゲームが終わるとは限りません。直前のチェックポイントから再開できたり、倒される直前の状態に戻れたりします。

「失敗した」という結果がプレイヤー自身に残っていても、ゲームは続いてくわけです。これは、レトロゲームとは少し異なります。

レトロゲームは、失敗が一定数積み重なる、つまり残機が全てなくなると、「GAME OVER」という明確な終わりが待っていました。

しかし現在では、

失敗=ゲームの終了

ではなく、

失敗=もう一度挑戦するきっかけ

として扱われることが増えたように思います。

例えば、アクションゲームでボスに負けたとしても、すぐ近くから再挑戦できるため、「ゲームオーバーになった」というよりも、

「次はこの攻撃をしてみよう」

「相手はこの動きが多いから…」
と考え、分析します。

そこには、確かに「失敗」はあります。
しかし、「ゲームオーバー」という大きな区切りではありません。ここには、ゲームにおける失敗の面白いところがあります。

失敗そのものは、必ずしもプレイヤーを遠ざけるものではない。
むしろ、次の挑戦へのきっかけ作りをしています。

そして、これはゲームの大きな特徴でもあります。現実では失敗したことをなかったことにはできません。やり直すことはできるものの、必ず自身とその周囲に影響を与えます。

しかし、ゲームの失敗は違います。キャラクターが倒れてしまっても、プレイヤーが「また挑戦しよう」と思えば、簡単に再開できます。

だからこそ、ゲームにおける「失敗」は現実とは違う意味を持っていると思います。

このように考えると「ゲームオーバー」という言葉の見方も変わってきます。

ゲームオーバーとは、本当に「失敗」という意味なのでしょうか。

それとも、

「今回の挑戦は終わった。でも、もう一度挑戦できる」

という区切りに過ぎないのでしょうか。


3.ゲームオーバーがなくても、ゲームは面白い

ここまで考えてくると、さらに疑問が浮かびます。

ゲームオーバーがなければ、ゲームは面白くないのでしょうか。

実際にそんなことはありません。

例えば、「あつまれ どうぶつの森」のようなスローライフ系には、一般的な意味でのゲームオーバーはありません。
住民との生活を楽しみ、島を発展させ、魚・虫・道具を収集する…
何かに失敗したからといって、「GAME OVER」と表示はされません。

まったりスローライフ

それでも、多くの人が長時間プレイし、ついには社会現象にもなりました。

むしろ、このゲームには「失敗しないこと」そのものが、年齢問わずに引き寄せる、ゲームの魅力になているようにも思います。

自分の好きなように島を作る。住民と話をする。何もせずに、歩き回る。
そこには「敵を倒す」「制限時間内にクリアする」といった明確な終わりはありません。

それでも、プレイヤーは「今日は何をしようか」と考え、自身で目的を設計します。

つまり、ゲームを楽しむうえで、必ずしも「失敗」と「成功」の明確な協会が必要なわけでは無いのです。

このように考えると、ゲームには大きく分けて二つの方向性があると考えます。

一つは、「失敗を繰り返しながらも、成功を目指すゲーム

もう一つは、「失敗のない、自分なりの楽しみ方を探していくゲーム

どちらが優れているというワケではありません。
どちらも、特有の魅力があり、それがゲームを面白くしています。

では、ゲームオーバーにはどんな意味が残っているのでしょうか。

次は、昔と現代のゲームを比べながら、ゲームオーバーがどう変化したのかを考えていきたいと思います。


4.ゲームオーバーは、どのように変わったのか

昔と現在のゲームを比べたときに、ゲームオーバーにはどのような変化があったのでしょうか。

昔のゲーム(レトロゲーム)では、ゲームオーバーになることは決して珍しい事ではありませんでした。残機がなくなれば初めからやり直し。セーブ機能が無ければ、それまでのプレイ時間が全て失われてしまうということもあります。

ラスボス!!
ゲームオーバーだ…(˙꒳˙  )
初めから……?

では、現在のゲームはどうでしょうか。

もちろん、難しいゲームはたくさんあります。

しかし、ゲームによっては、細かいチェックポイントやオートセーブといったプレイヤーへのサポートが充実しています。

1つのワールド・コース事にセーブ可能
クリアしたら次のワールドへ

さらに、操作性や見やすさもレトロゲームより高く、よりリアルな描写も近年のゲームの大きな特徴です。

充実したサポート機能によって、ゲームオーバーになっても、以前ほど大きな損失を感じないように作られています。

これは、単純に「簡単になった」ということなのでしょうか。
私は、少し違うと思います。

ゲームを遊ぶ層が広がったことが、理由の一つではないでしょうか。

どう森のようなスローライフ系からゲームをやり始めた人、ゲームを遊んだことが無い人にとって、いきなりアクションゲームは難しく、さらに3Dとなるとクリアも厳しいでしょう。

そして逆に、子供のころからゲームを遊んできた人が、そのまま大人になってもゲームを続けることも多くなっています。

そんな中、ゲーム制作者側にとって、

一部の上手なプレイヤーだけが最後まで遊べるゲーム」よりも、

できるだけ多くの人が最後まで楽しめるゲーム
を作ることに、大きな意味があります。

だからこそ、現在のゲームには、プレイヤーを途中で辞めさせない・諦めさせないための仕組みやサポートが増えているのかもしれません。

難易度を下げることができる、失敗してもすぐやり直せる。

ゲーム側がプレイヤーに合わせることで、以前ならゲームの難しさに苦しみ、あきらめていた人でも、最後まで遊べるようになっています。

そう考えると、ゲームオーバーの変化は、単にゲームが「簡単になった」という話ではありません。

ゲームをクリアできる人やファンを増やす
という考えが、ゲーム設計に少しずつ取り入れられるようになった結果ではないでしょうか。



5.それでも、ゲームオーバーが必要なゲーム

ここまで見てきたように、現在のゲームでは、ゲームオーバーになってもすぐに再挑戦できたり、そもそもゲームオーバーという概念が存在しなかったりする作品も増えています。

そう考えると、ゲームオーバーは少しずつ必要とされなくなっているようにも思えます。

しかし、本当にそうでしょうか。

私は、そうとも言い切れないと思います。

なぜなら、ゲームオーバーがあるからこそ面白いゲームも、確かに存在するからです。

例えば、高い難易度を特徴とするアクションゲーム。

敵の攻撃を一度受けただけで大きなダメージを受けたり、何度も挑戦しなければ突破できないような難しいステージが用意されていたりします。
当然、何度も失敗します。

「またダメだった」

と思いながら、ゲームオーバーの画面を見る。
それでも、もう一度コントローラーを握る。

なぜでしょうか。

それは、自分の力で突破したいと思うからではないでしょうか。
最初は敵の攻撃を避けることすらできなかった。何度も失敗するうちに、敵の動きが分かってくる。攻撃するタイミングも分かってくる。そして、あるとき突然、それまで苦戦していた敵を倒せるようになる。

この瞬間の喜びは、何度も失敗したからこそ生まれるものです。

もし、どれだけ失敗しても何の緊張感もなく、いつでも簡単にやり直せるのであれば、同じ達成感を得られるでしょうか。

もちろん、人によって感じ方は違いますが、「失敗したら終わってしまうかもしれない」という緊張感があるからこそ、一つ一つの行動に意味が生まれるゲームもあるのです。

これは、ローグライクやローグライトと呼ばれるジャンルにも当てはまります。

ゲームによって細かな仕組みは違いますが、基本的には、プレイヤーが倒されると、それまでの冒険が一区切りとなり、また最初から挑戦することになります。せっかく手に入れたものを失ってしまうこともあります…

「ここまで来たのに……」と思うこともあるでしょう。

それでも、また挑戦する。

そして今度は、前回より少し先まで進める。
その繰り返しの中で、プレイヤー自身が上達していきます。

ここでは、ゲームオーバーは単なる「失敗のお知らせ」ではありません。

ゲームの構造そのものを作っているのです。

ゲームオーバーになる。

それまでの挑戦を振り返る。

「次はこうしてみよう」と考える。

もう一度挑戦する。

少しだけ先へ進める。

この繰り返しが、ゲームそのものの面白さになっています。

そう考えると、ゲームオーバーには二つの顔があるのかもしれません。

一つは、プレイヤーをゲームから遠ざけてしまう「壁」としてのゲームオーバー。

もう一つは、「次こそは」と思わせるための目標としてのゲームオーバーです。

前者だけを考えれば、ゲームオーバーはできるだけ減らした方がいいでしょう。しかし、後者の場合はどうでしょうか。

ゲームオーバーがあるからこそ、慎重になる。

ゲームオーバーがあるからこそ、緊張する。

ゲームオーバーがあるからこそ、成功したときに嬉しい。

そう考えると、ゲームオーバーを単純に「古い仕組み」や「プレイヤーに厳しい仕組み」と片付けることはできません。

ゲームオーバーそのものが、ゲームの面白さを生み出している場合もあるのです。
では、結局のところ、ゲームオーバーは必要なのでしょうか。

ゲームオーバーがなくても楽しめるゲームがある。
一方で、ゲームオーバーがあるからこそ楽しめるゲームもある。

どうやら、この問いには簡単な答えを出すことができないようです。
だからこそ、最後にもう一度、最初の問いに戻ってみたいと思います。

ゲームオーバーは、本当に必要なのか?


6.ゲームオーバーは、本当に必要なのか?

ここまで、ゲームオーバーについて考えてきました。

ゲームオーバーがあるからこそ面白いゲームもあれば、、ゲームオーバーがなくても楽しめる作品があります。

では、ゲームオーバーは必要でしょうか。

私は、必ずしも必要ではないと思います。

ゲームオーバーがあるからこそ面白いゲームもあれば、なくても面白いゲームもある。

大切なのは、ゲームオーバーそのものではなく、「失敗しても、もう一度挑戦したい」と思えることではないでしょうか。

レトロゲームでは、それを「GAME OVER」という形で示していました。

現在は、チェックポイントやオートセーブなどの機能によりゲームオーバーを見る機会が多くはありません。

かたちはかわっても、

もう一度やってみよう

という気持ちは変わりません。

そう考えると、「GAME OVER」は本当の意味でゲームを終わらせる言葉ではないのかもしれません。

よって私はゲームオーバーを、以下のように意味づけます。

ゲームオーバーは、ゲームの終わりではない。
もう一度遊び始めるための、一つの区切りである。



あとがき

最後までお読みいただきありがとうございました。
今回は、普段の記事よりも長くなってしまいましたが、「ゲームオーバー」について深く考えることができたと思います。

なかなか皆さんも「ゲームオーバー」というゲームの1つのシステムについて、ここまで深く考えたことは無いと思います。それほど当たり前なシステムということです。

しかし近年、ゲームのあり方も変化し、それに伴ってシステム一つ一つも変化しています。

今回取り上げた「ゲームオーバー」はその一つで、レトロゲームから意味が大きく変化し、今のゲームに必要ない?というところまで来ていると思います。

ゲームの内容だけでなく、こういったゲームを構築している細かいシステムにも目を向けてみると、よりゲームを深く楽しめまると思います。

今後も、このようなゲームに関する記事を投稿していきますので、興味がある方は是非、スキ・フォローをよろしくお願いします!

最後までお読みいただきありがとうございました!

それでは、また~

※本記事に掲載している画像、ゲーム名の著作権は各権利者に帰属します
(Nintendo HAL Laboratoryほか)
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