2025芥川賞の鈴木結生さんの「ゲーテがすべてを言った」を読んで
2025年6月4日、昨日に続き、月刊文芸春秋で今年の芥川賞2作を読みましたので、その2作目のお話です。
2作目は、鈴木結生さんの「ゲーテはすべてを言った」です。
この作品は、主人公のゲーテの専門家である学者の大学教授と妻が結婚記念日(銀婚)に長女と3人でイタリアンレストランでの夕食の最後に、たまたま紅茶のティーバッグに書いてあった名言「Love does not confuse everything, but mixed」というゲーテが書いたという記載に対して、その根拠となる出典が何かというメインテーマに添って展開されます。
でもこの小説のストーリーより、私はこの作者の鈴木結生さんが、まだ大学院生(23歳で受賞の由)にもかかわらず、どれだけの本を読んだのかと思いましたね。「博覧強記」としか言いようがないのです。
また小説の中にも「博覧強記」の偉人たちがいっぱい出てきます。それぞれの人やその人の著作をしっかり読み込んでいなければ書けないですし、この小説も成り立たないのです。頭の中はいったいどうなっているのでしょうね。
著者自身も文学に近いところで研究しているのでしょうが、この読書量は半端じゃないですね。文芸春秋のインタビューでは、お父さんが牧師で小さい頃から聖書を読んでいたとあります。どうすればこれだけの知識がインプットされるのかと思いました。文学の研究者というのは、この程度の読書量が当たり前なのでしょうかね。そういう意味では、常に「出典」を頭の中でサーチしているのでしょうね。
この小説のテーマのもうひとつは、我々は普段あまり意識しないで、その本当の出どころ、出典を気にせずに「refer」していることです。意外にも本当の出典でなかったり、あいまいなのですね。この本で知りました。これからのAIの時代は真贋を見抜けるのでしょうかね。
また、この小説にでてくる学者一家のことですが、皆さん教養あふれる穏やかな家庭なのですが、こんな家庭ってあるのですかね。日常であまり「あほなこと」が言えないですね。私または私の家庭からは程遠い家庭ですので、びっくりです・・
ところで、「博覧強記で有名な日本人」とネットで調べると、まず「南方熊楠」がでてきます。
私は、幕末から明治にかけての人たちの歴史小説が好きです。吉村昭さんの小説はほぼ読みましたし、ジョン万次郎の小説も結構読みました。津本陽さんの「椿と花水木—万次郎の生涯」、山本一力さんの「『ジョン・マン」などですが、この「南方熊楠」はよく出てきます。私は和歌山の白浜にある「南方熊楠記念館」にも行きましたし、これがきっかけで中浜の「ジョン万次郎館」にも行きました。「南方熊楠」が働いていたという「大英博物館」にもです。私にとっては色々な「きっかけ」をつくってくれた人です。
ネットではこのようにでます。
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「南方熊楠」は博覧強記の人として知られている。 何か国語も操り、海外の雑誌にも論文をいくつも掲載された研究者である。 知の巨人というイメージは明治時代からあり、「海外から高く評価されている日本の学者」というのが世間一般での理解であったようだ。 博覧強記ということは、つまり「知識のインプット」に対して異様な熱量を持っていたということである。
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