父の誕生日に始めたnote。病と死生観が教えてくれた、次世代へ「会社」を繋ぐという最後の仕事
「人が辞めない会社を作る」という目標を掲げ、会社を存続させてきた株式会社アールアールジェイ(RRJ)の連載も、いよいよ第11回を迎えました。
ここまで、起業当初の暮らしから、カルチャーへの恩返し、そして「好きを仕事にする良さ」についてお話ししてきました。しかし、連載を進める中で、私という人間とこの会社を語る上で、どうしても触れておかなければならないテーマが一つ残っていることに気がつきました。
それは、**「会社の終わり」と「自分の引き際」、そして「死生観」**についてです。
中小企業の社長にとって、事業を成長させることと同じくらい、あるいはそれ以上に重要な仕事があります。それは、会社を次の世代へと無事に引き継ぎ、自分が綺麗に身を引くことです。 今回は、私が創業時からどのように会社を「死後も続くもの」として設計してきたのか。そして、病の気配の中で気づいた、次世代へバトンを繋ぐという「最後の仕事」についてお話ししたいと思います。
■ 1. 父の誕生日に始めたnoteと、突然訪れた「経過観察」
そもそも、私がこのnoteでの発信を始めたのは、亡き父の誕生日でした。 父が亡くなってから随分と時間が経ちましたが、私が会社を経営する上で、父が残してくれた言葉や価値観は今も私の土台になっています。そんな父の誕生日に、ふと思い立って自らの会社のことを書き残してみようと思ったのが、この連載の始まりでした。
私は創業以来、休むことなく働き続けてきました。しかし、ある時期に体調不良が重なり、精密検査を受けることになりました。 検査の結果は、すぐにどうこうというものではなく「経過観察」。このまま何もないかもしれませんし、これから数年かけてどうなるかが定まっていくという状態でした。
人はいつか必ず死を迎えます。それは頭では理解していましたが、自分の命が予定よりも少し前倒しで終わるかもしれないと実感したとき、私の心に浮かんだのは意外な感情でした。 **「自分の人生に、何の悔いもないな」**と、素直にそう思えたのです。
そして次に思ったのは、**「自分が一番最初で良かった。会社を好きでいてくれる人たちの先行きを守る準備ができるから」**ということでした。 従業員はもちろん、お世話になっているお取引先様も含め、創業社長という存在は非常に特殊な立ち位置にあります。自分がいなくなった途端に会社が傾くようなことがあっては、今まで積み上げてきた信頼もすべて水の泡になってしまいます。
■ 2. 創業時から決めていた「死後も続く会社」と、自省の定理
大前提として、私は起業した当初から、この会社を**「自分が死んだ後も、100年、200年と続いていくもの」**として進めてきました。 だからこそ、自分の退き際も決めていました。「55歳になったら社長を引退し、最終的には平取締役になって、自分で自分をリストラして終わりたい」ということです。
RRJには、「自主・自立・自律」という3つの行動指針があります。しかし、役員会など限られた場でしか言っていない“裏メニュー”のような言葉が一つだけプラスされています。 それが、**「自省」**です。
自分を律するだけでなく、自分の行動を顧みて、反省や評価を自分自身で行うこと。自分が無能になったり、時代に合わなくなった時は、自分で身を引くという発想が根底にあるからです。
55歳といえば、世間的にはまだまだ最前線で働ける年齢です。しかし、これ以上居座り続けると、周囲が私に忖度をし始め、会社の改革ができなくなる恐れがあります。上の年代がポジションに居座り続け、組織を硬直化させていく姿を少なからず見かけます。中小企業でこれを許してしまえば、会社はあっという間に立ち行かなくなってしまいます。
いつか私の知らない未来で、会社に無能な人間が居座り続けようとしたとき、「創業者が55歳で引退したのだから」という事実が、会社を守るための処方箋になればいい。自分の終わりを想定できない人間に、経営を担う資格はないと私は思っています。
■ 3. トップの考えが見えなくなるリスクを取ってでも、次世代へ委ねる
私がいなくても会社が成り立つように、現場の判断を尊重し、様々な決定をスタッフたちに委ねる「自分を消していく」作業をここ数年、粛々と進めてきました。
しかし、権限を周囲に委ねていく過程で、必ず生じる問題があります。それは**「トップが今、何を考えているのか見えにくくなる」**ということです。 実際に、私があえて口を出さずに見守っていると、「本当は裏で橋満さんが何か考えているんじゃないか」と忖度されたり、会社の方向性が見えなくて不安になったりするスタッフが出てくるのも事実です。トップの意志が見えないことで、組織内にモヤモヤとした空気が漂うこともありました。
それでも、私はそのリスクを取ってでも、未来にバトンを繋ぎたいのです。 トップの顔色をうかがって動く組織のままでは、いずれ限界が来ます。自分たちで課題を見つけ、自分たちで決断する組織にならなければ、私が死んだ後に会社が生き残っていくことはできません。トップの考えが見えなくなることによる一時的な混乱やリスクは、次世代が自立して会社を運営していくための「産みの苦しみ」として、必ず通らなければならない道だと思っています。
■ 4. 変化する市況の中で「会社の向かう先」を自分たちで描く幹部会議
少し前のことになりますが、幹部たちを集めて「5年後のRRJをどうするか」という会議を開いたことがあります。
会社が20年という節目を迎え、「会社がこれからどの方向に向かいたいのか」といった課題が出てくるのは、組織として当然の時期だと考えています。リモートワークの定着によるコミュニケーションの課題や、一部の役員への業務集中など、「このままモヤがかかった状態で、ぬるりと5年が過ぎてしまうのではないか」という率直な意見も出ました。
私はあえて、トップダウンで「こうしろ」と答えを押し付けることはしませんでした。中間管理職と呼ばれる人たちが自ら考え、情報を集め、自分たちの手で未来を描いていくことが何よりも重要だからです。
もちろん、仮にここで方向性を決めたとしても、テクノロジーの進化や市況の変化によって大きな影響を受け、前提が覆ることも事実でしょう。 それでも、自分たちで悩み、方針を定めて荒波に立ち向かっていく経験こそが、彼らを真の経営者やリーダーにしていくのです。会議を通じて少しずつ意識を合わせていく幹部たちの姿に、私は頼もしさを感じていました。
そして2024年5月7日。私は代表取締役会長となり、創業から共に歩んできた小川淳平が新社長に就任しました。彼は能力が高く、人格者であり、2代目の社長としてふさわしい人物です。こうして信頼する仲間にバトンを渡せたことは、経営者としてこの上ない喜びです。
■ 5. 永遠はないからこそ、今をどう生きるか
病の気配を感じた時、そして両親や愛犬・一歩を見送った時に痛感したのは、**「どんな命にも必ず終わりがある」**という当たり前の事実でした。永遠に続くものなど、この世には一つもないのです。
だからこそ、残された時間を誰とどう過ごすか。そして、何を残していくかが重要になります。 私が残したいのは、個人の名声や莫大な財産ではありません。**会社を好きでいてくれる人たちが、お互いに感謝し合いながら、安心して働き続けられる「仕組み」と「制度」**です。
会社は永遠には続きません。しかし、私たちが築き上げた文化や、作品を通じて世の中に届けたものは、誰かの記憶の中で生き続けていくはずです。 私の引き際までは、もう少しだけ時間があります。その日が来るまで、私はこれからも気負わず、飾らず、大好きな仲間たちと共に、この旅を普通に歩み続けていきたいと思います。
