【宣言】 歴史で外へ、創作で内へ|バラバラだった私が、ひとつにつながった日
私の軸が、決まった。
「歴史で外へ、創作で内へ」
歴史で世界をひろげ、
創作で自分を取り戻す体験を届ける。
何年も悩みながら、行動していたことが、
ようやく、つながった。
点だったものが、一本の軸になったのだ。
ここからは、私の気づきや変化、そしてこれからの宣言について書いてみたいと思う。
よかったら、お付き合いください。
1、バラバラすぎた過去
少し前まで私は、バラバラだった。
歴史が好きだと知っていた。
AIクリエイティブもやり続けていた。
そのほかにもいろいろ活動してきた。
自分の強みもわかりかけていた。
…でも、つながっていなかった。
自分の発信をしよう、自分の商品を作ろう…と思っても、誰に何を届けるのか分からなかった。
それは、まるで宛名のない手紙を書いているよう。
何度も挑戦しては、心折れて、その度に、辞めてしまっていた。
2、私はだれも救えないのか?
届けたい人、救いたい人がいない。
ターゲットがわからない。
ペルソナが作れない。
ブログを始めた2020年からの積年の悩みだった。
書きたいことはある。
書けそうなテーマもある。
だけど、私は、誰に何を届けるのか?
誰の何を解決するのか?
誰のどんな悩みを、どうやって救うのか?
それが、まっっったく、分からなかった。
何年、活動しても、
何度向き合っても、
コンセプトの本を読んでも、
誰かに相談しても・・
全然出てこなかった。
ブログやWebライターを始めた数年は、自己肯定感の低さや自責グセもあり、「私なんかが一体誰を救えるというのか」という感じだった。
いま思えば、まずは自分自身を救わねばならない状態でもあった。
稼ぐ必要性もあったため、ブログや商品作りはやめて、クライアントワークに振った。
この頃は、「スキルを上げて、実績を積めば、いつか私も誰かを救えるようになるはず…」という淡い希望を抱くと同時に、
「こんな自分、役に立てているのだろうか?もっと勉強しなければ…もっと努力しなければ…」
と焦って、自信のなさを必死でカバーしようとしていた。
さすがに、何年も文章を書いていると、スキルも上がってきた。
noteでの自己開示や、素敵なコミュニティの人たちとの出会いなどから、少しずつ自己肯定感に悩まなくはなった。
だけど、問題は解決したわけではなくて。
「自分の商品を出しましょう」
そんなインフルエンサーの声を聞くたびに、焦り。
発信の軸を見直したり、プロフを変えてみたり…。
自分を掘り下げて、価値観を書き出して、過去の見たくないことにも目を向けて…。
でも、やっぱり、出てこなかった。
「…みんなはビジョンを掲げて、邁進しているのに、なんで私は、何度向き合っても、出てこないの?」
そのうちに、「私は誰も救いたくないのかもしれない。誰の役にも立ちたくないのかもしれない。悲しい人間だな・・」
なんて、悲観する始末だった。
だけど、いま思えば、この頃は、まだAIクリエイティブに出会っていない。
「創作」を思い出していないだけだった。
3、 それぞれの気づき
【外へ】歴史は世界を広げてくれる存在
私が歴史に救われて、ここまでこれたことは、すでに知っていた。
そこから考えて、考えて…2022年頃、kindleを書こうとした。
内容は「生きるのが楽になる歴史」。
だけど、構成と最初の方を書いて、お蔵入りに。
たしか、歴史に救われていた原体験も書いたはず。
だけど、私が救われた体験と読者への価値提供がリンクしていなかった。
というか、読者像も、無理やり捻り出しただけなので、書いている途中で、救う気力がなくなったというのもあるだろう。
正しく書かねばならないという呪縛もあり、構成がまるで論文のようw
リサーチする前に詰んでいたのは目に見えていた。
そういう経緯で、このテーマは封印されていたのだ。
だけど、今回、歴史と再び出会い直して、言語化し直したことで、この軸がズバッと通ることとなった。
私が歴史と出会い直したタイミングは、実は今までの人生で3回あるが、(この話はまた今度書きます)
もっとも大きく歴史に救われたのは、2020年の出会いだった。
私は、歴史系の大学院に行っていたが、進路で悩みに悩み、メンタルを崩し、そのタイミングで母親になり、中退したという過去がある。
母親になったこと、しばらく歴史はいいや、と思っていたこともあって、2020年までの約9年間、歴史を封印していた。
2020年に何があったか、というと、コロナでの一斉休校の期間に、家で鬱々としているかもしれない近所のママ友たちに向けて、地域の歴史記事を書いた。
空間を移動できないのなら、時間を移動すればいい。
ちょっとした旅行をプレゼントしたつもりだった。
その記事を書いているときに、ふと気づいたことがあった。
「歴史は教科書の中だけにあるのではない。私たちの足元にあるんだ。」
ということだ。
地域の歴史を調べると、いま私が立っている、ここに、人が暮らしていて、必死で生きていたということが、感じられたのだ。
過去とつながった瞬間だった。
だけど、記事を書きながら、歴史の知識をすっかり忘れていることに愕然とした。
それに、私は日本史の専攻だったため、世界史のことはほとんど知らない。
そこで、世界史も日本史も地球誕生から勉強し直すことにした。
世界史を学ぶにつれて、自分の世界がどんどん広がっていくように感じた。
いろんな国にいろんな人がいるけれど、もともとは同じだった。同じ人類だ。と気づいた。
みんなが仲間になった。
戦争や飢え、病気や事故…
生と死の繰り返し。
そんな中で、受け継がれてきた命があるから、今の自分がいると気づいた。
奇跡だと思った。生まれてきたことに、感謝した。
日常で辛いことがあっても、歴史の本をひらけば、どの時代のどの場所にも、行けた。
呼吸がラクになった。
歴史は、私の世界を広げてくれた。
【内へ】創作は自分を取り戻してくれた存在
創作が戻ってきたのは、2025年の6月頃のこと。そして、それが確信に変わったのは、12月頃だった。
2025年6月、音楽生成AIのSunoに出会った。
自分で作った音楽を聴く。
……なんだこれは!!
めちゃめちゃテンションが上がったのを覚えている。
好きな言葉を、好きな曲調、楽器に乗せて歌える。
気がつけば、毎日Sunoを触っていた。
何曲か作ると、今度は、曲に映像をつけてみたくなった。
今まで映像を作ったことはなく、動画もYouTubeも初挑戦だった。
最初の数本(ショート)は、大苦戦の上、どう見ても上手いとは言い難い出来だった。だけど、この時の挑戦があったから、今がある。
8月には、フルMVにも挑戦し、その後も作り続けた。
次第に、自分のこだわりやこうしたい、こう表現したい…!というものが、脳内イメージで出てくるようになった。
楽しい。
そして、思い出した。
私は、子どもの頃から、作るのが好きだったと。
そう。私は、気づけば何かを作っている子どもだった。
工作に手芸、漫画や絵本作り…
カセットテープでラジオ番組、ゴジラのラジコンで特撮映画、劇のシナリオ書き…
などなど。
表現するのが楽しかったし、アイデアは次々湧いてきた。
学校では場面緘黙などもあり、自分をうまく外に出せなかったため、
きっと創作が自己表現であり、救いになっていたんだと思う。
だけど、中学生以降、部活などで忙しくなるにつれて、創作の時間は相対的に減っていった。
それよりも大きかったのは、自分の「やりたい」ではなく「必要性」や「周囲に変に思われないか」に適応していった結果、自分を表現することや、自分の声を聴くことを忘れてしまったことだった。
こうして、創作は私の奥に埋まり、埃を被ったまま眠っていたのだった。
長い月日が経ち、2025年6月。
AIクリエイティブが、眠りを覚ました。
……私は、表現したかったんだ。
長い間、周囲に適応して、自分の感覚に嘘をついて生きてきたけれど、もう嘘はつけなくなった。
そして、もともと強かったけれど、生きづらさのため鈍らせていた感受性を呼び戻すと決めた。
さらに、創作で、内へ戻ることで、自分の感覚がわかるようになった。
作品を作る際に、「ここはどう表現する?」「どんな感覚がする?」と自問自答を繰り返すことで、さらに自分の感覚が研ぎ澄まされていく。
これは好き、これはなんか嫌だ。
これはやりたい。これはやりたくない。
今まで言えなかった、そんな簡単なことが、言えるようになっていった。
4、歴史で外へ、創作で内へ。そして…
ここまで、私は、歴史と創作に救われたと書いた。
歴史は、自分の世界を外へ広げてくれる。
創作は、自分の内に戻り、自分の感覚や感情を取り戻す≒自分自身を取り戻させてくれた。
創作を取り戻した私は、作ることに夢中になった。
MV、歌、アニメ、デザイン…
作る過程で、自分の内に潜る、それからまた出てきて、作品にして外へ出す。
こんなことを繰り返しているうちに、とあることに気づいた。
【再び外へ】創作は私を外に出す翼
小学生の時から日記を書き、2020年からnoteやSNSなどを続けてきたので、「書く」ことでの表現はしてきたつもりだ。
だけど、私には、書くだけでは足りなかったらしい。
映像作品は、書くこと(台本・ストーリー)はもちろんだが、視覚情報(画像、映像)、音(音楽・効果音)といった、総合格闘技的なものだ。
たくさんの情報を駆使して、表現する。
時々、文章を書いていて、叫びたくなる。
そういう時は、歌を作る。
美しさや畏怖、言葉にできない雰囲気は、映像がいい。
ここで、気づいたことがある。
私は、自分が見てきて、感じてきた物事を、いったん自分の内に取り込んで、それを創作によって、再び外へ出せるようになった。
私なりに再解釈して、プレゼントに包み直して、外の世界へ届けられるようになった、ということではないか?と。
つまり、歴史を見ることで、自分の世界を広げる。
それから、自分の中に潜り、私が感動したこと、心が動いたことを、再び外の世界へ手渡す。
それが、誰かの手に渡り、心に小さな灯りをともす。
それはまるで、旅をして帰ってきた人が、周りの人にその話を伝え、素敵な気分にさせることに近いのかもしれない。
好奇心を満たしたり、ワクワクさせたり、多様性に気づくことで、自分を認められたり。
あっちの世界には、あんな広い世界があって、こんなおもしろいことがあって、こんな生き物が住んでいて…
現代の歌川広重みたいな感じだろうか?
「東海道五十三次」のように、各地の様子を描いて、見た人に「楽しそうだな」、「寒そうだな」、「あぁ、わかる」「行ってみたい」「綺麗だな」など、いろんな気持ちを呼び起こす。
おもしろいことに、彼は描いた全ての場所を自分で歩いたわけではないらしい。
私も同じ。実際に訪れた場所もあるけれど、行ったことがない場所ばかり。しかも歴史ってそもそも過去だから、行けるわけがない。
浮世絵は、絵画的な美しさもあれば、人の生き生きとした生命感もある。季節感もある。明暗もある。
もしかしたら私は、歴史を旅して、工房へ戻り、浮世絵を作って、皆に届ける。みんなが顔を輝かせて見ている様を見て、嬉しい!みたいな。そんな人間なのかもしれない。
もうひとつ、創作で自由になったことがある。
自分の内面や想い、感情を作品に乗せて出すことが初めてできるようになっただけでなく、
創作だから、間違いなどない、自由に表現していいという解放だ。
今までは、正しいことを言わなきゃ、間違えちゃいけない、しっかり説明しなきゃいけないと思っていた。
でも、創作なら?
思う存分、表現できる。間違いとかない。
感情も出せる。
暗いことも、汚い感情も、怒りも、悲しみも…作品、芸術に昇華する世界。
今までは、暗い人は嫌われる…と思い込んで、
無理に明るく振る舞い、頑張って…疲弊していた。
でも、「HEY !HEY !HISTORY」(MV)で明るさに振り切ってみたことで、逆に腹が決まった。
明るさだけでは、さほど人には響かないと知ったから。
それなら…と、闇のパワーを解放することにした。
私はもともと、闇の住人。そっちの方が得意だ。
闇を混ぜ込むことで、作品にも深みが出るようになった。
嘘のない感情を歌詞に、演出に込められるようになった。
無理に明るくなくていいと知った。
感受性の強さやメンタルの弱さも、創作の世界では、ちゃんと意味を持つ。
だから、しんどさを抱えている人にも、届くものが作れるのだと思う。
5、次は、私の番
私は、歴史から、創作から、たくさんのギフトをもらった。
今も、毎日もらっている。
今度は、私が返す番だ。
ずっと、もらってばかりだったけれど、ようやく、私の番がきた。
だからといって、歴史や創作そのものにお返しするわけではない。
贈与は巡る。
これからは、私が救われてきた分を、誰かに届けたい。
それは、例えば、5年前の私のような人。
5年前の私は、ほぼワンオペで子育てし、自分のことは全部後回し。
本当は好奇心旺盛なのに、家からなかなか出られない。
勉強する暇もない。
毎日、鬱々として、でも子どもの前では明るくしなきゃ…と思いながら、
できない自分を責めて…そんなループに陥っていた。
自分を後回しに、後回しにしてきた結果、自分が何が好きだったか、分からなくなった。
自己肯定感も下がり、自分には何もない、何もできないなんて、思い込んでいた。
そんな人。
そんな人を、歴史と創作で、少しだけ外に連れ出したい。
広い世界を見せてあげたい。
世界には、いろんな人がいて、
いろんな価値観で生きている。
あなたは、大丈夫だ、と、伝えたい。
私は、そのために、
これからも作り続ける。
