自分の好きなことをはじめたら、他者の役に立ちたくなってきた話
楽しい。
歴史、音楽、絵画、詩…
自分の好きなものが合わさって、なにか作品になっていくこと。
ただの自己満かもしれない。
でも、それでもいい。否定しない。
ひとまず自分で自分を否定しないことを試してみる。
そんな感じで1ヶ月走ってみた。
否定しないだけで世界が変わる
否定しないだけで、こんなにも物事がサクサク進むなんて…!
まずは驚きの連続だった。
物事が、水のように流れた。
いつもなら田んぼの泥を押しているような感覚が、さらさらの小川のように流れる。
とはいえ、今までの思考のクセをひっくり返すのは、たぶん容易ではない。
「否定しない」と言い切っても、反抗心や抵抗が生まれる感覚もある。
だから、「ひとまず夏まで。ひとまずお試し1ヶ月で、やってみよう」という軽い感覚に変換して、自分を少し騙したわけ。
やってることは同じでも、気持ちや感情の抵抗感を減らすことは有効だと感じた。
また、私の場合、以下のセルフトークも効いた。
今まで、同じようにしてきて、長い間、上手くいってないだろ?だったら、同じことを繰り返したって、何も変わらないよ。
こうして、自分を否定せずにいたら、歩みを進めることができている。
それでもやはり、毎日何度も、耳元で悪魔のささやきは響いた。
「こんなことしていていいのかな?」
「ただの自己満。だれも聞いてやくれないさ」
「お金稼がなくていいの?」などなど、波のように押し寄せてくる悪魔のささやき。
でも今回は、耳を貸さないことにした。
ヘッドホンをして悪魔のささやきの音量を下げてみた。
スルーして、取り組んでみてよかった。
波は、ほっとけば引いていくものだ。
自己中の氷が、内側から溶け始める

自分で言うのもなんだが、私は自己中な人間だ。
昔から他者にあわせたり、他者を優先したりしてきたのは、自分が嫌われないように、変に思われないようにという気持ちが強かったからだった。
32歳ころからかな?自分の頭で考えて自分の人生を歩こうと決めてからも、だからこそ余計に、自分の軸や考えが、他者のハンマーで崩れないように、必死だった。
自分の道を生きることに慣れてきてからも「どうしたら他者の役に立ちたくなるのか?」と悩んでいた。
自分の器が小さいのだ。
すぐにあふれてしまう。余力がない。
子どもが5人いることも、おちょこが砂漠化するのを早めていると思っていた。つねにおちょこはカラっからな気がしていた。
そんな状態で、一体どこから「他者のためになにかしたい」という気持ちが湧いてくるのか?
だけど、ビジネスは他者の役に立ってなんぼ。
役に立ちたいと心から思えない、自分が一番の役立たずだと、落ち込むこともあった。
いまやらせていただいているお仕事は、どれも楽しくさせていただいている。こんなに有難い状態なのに、なにかが満たされていない感覚というか、これでいいのか?感がずっとあった。
その空隙を埋めた最後のピースが、今回の創作活動だったのかもしれない。
よく「他者を満たすのは、自分を満たしてから」という言葉をきく。
まぁ、そうだよね、と理解していたつもりだった。
だけど、感覚として感じたのは、最近がはじめてだ。
作品をつくっているときのワクワク、できたときの嬉しさ、あとから並べて眺めるときの満足感。幼少期に工作やお絵かき、裁縫などしていた頃の感覚と同じ。没頭して時間が過ぎても「ま、いっか。」心は満たされている。
そんなことを自分に許していたら、あれあれ不思議・・・
人の役に立ちたくなってきた。
仕事もそう。「自分のスキルで助かる人は、どこにいるんだ?」と考えるようになった。もっとできることがあるはず。と。
子どもたちに対しても、今までなら「余計な面倒を持ち込まないでくれ」「たのむから時間を奪わないで」と思って、邪険にしていた。
最低限のことはするけど、最低限で済ませたい気持ちがあった。
だけど、そうじゃない。別の見方、考え方がないか?とまずは考えるようになった。
そうしたら、「うるさいな」→「楽しそうだな」に変換できたり、この子は何を考えてるんだろう?といつもよりも考えたりしたくなった。
・・よかった。私は冷徹な自己中極悪人ではなかった。
料理や家事もそうだけど、なにか工夫しようとか、一歩考えを進めようという気持ちが生まれた。
40歳の雷鳴

変化の原因はたぶん、もうひとつある。
先月、誕生日を迎え、40歳になったことだ。
なかなかに受け入れがたい。
なぜか?まだ甘えていたかったのか?いや、
自分はまだまだ人生の前半だと思っていたのに、急に死が近づいていることを実感したのかもしれない。
別に超健康だし、身体も丈夫な方だから、もちろん死ぬ予定はしばらくない。100歳くらいまで元気でいるつもりだ。
ただ、なぜかものすごく気持ちが引き締まるのを感じたのだ。
そして思った。
全うに生きたい・・・
いつ死んでもいいように、家の中もお金も整理しておきたいし、なにより、しっかり生きている背中を子どもたちに見せねばと思った。いや、違う。自分が納得したいだけかもしれない。
言い訳ばかりして何もしない。悪態をついたり、他者のせいにしたりして逃げる。今は〇〇だからと後回しにする。ちょっとしたことで怒ったり、キツイ言葉をかける。
・・・全部イヤだなと思った。
いままでがどうではなくて、これから残りの人生、どう生きたいか、どんな自分で生きたいか。
いずれ死んでしまうんだ。後回しにせず、今日、なりたい自分になればいい。
お金がないとかスキルがないとかではなくて、そういう言い訳もいいから、どんなふうに生きたいか考えて、そんなふうに生きてみる。
そういう思考ができるようになってきた。
まだまだ、長年染み付いた思考様式、行動様式は意識して変えないと!のフェーズだけれど、新しい服もいずれ身体に馴染むだろう。
