小説 「黒命」 第十一話 二人の鷹
私は、もう一つ、黒のリュックを調達してした。
移動の際、防災バッグを抱えてるのでは、怪しまれる。
私は、バッグの中身を黒のそれに移し替え、背負い、完全に明るくなった町のその端を、目立つとも目立たないともとれる歩き方で、方角だけを決めて歩いた。
決めた方角とは、
<来た方と逆>
普通に考えれば、事件のあった場所から遠ざかれば遠ざかるほど、警察のバリケードは、網目が荒くなり、抜けやすくなるはずだ。
とはいえ、私は徒歩で移動している。
さほど、期待通りとはいかないとは思うが。
警察官2人、ヤクザ風の男1人、元会社の同僚4人、
いとも容易く、命を奪う事をした私だったが、プロレスラーに対しては、それをしくじり、その場から、逃げるように立ち去った。
自信が漲る私の蹴りを躱し、タックルを決め、横の男の制止がなければ、私は、完全にのされていただろう。殺されていてもおかしくはなかった。
敗北なのだ。
花山の言う、
<俺達の空手は終わりだ>
には、この一連も含まれるのだろうか・・・。
とりあえず、私は逃亡を続けるが、それは、もはや、
<殺人行脚>
のそれではない。
私が、なぜに、瞬時にして、一般人から殺人者へと変貌を遂げたのか、それは、
「花山のため?」
「潜在的な凶暴性が目を覚ましたため?」
それとも他に何かあるのだろうか・・・。
私は長い夢でも見ているのだろうか。
たかだか歩いて逃げるだけで、こんなにも、
警察というのは私を捕まえられないものなのか。
全てのパーツが頭の中で渦巻いて、一つになる気配は頑なになかった。
花山との唯一の連絡ツールであった
"携帯電話“
を失った今、現場から遠ざかるという、猿でも考えそうな浅知恵の元に、ひたすらに、コソコソと、
歩く私だが、私は私自身が、何者で、何をするがための生き物なのか、それとも、ただの物体なのか。
そんな事も、分からなく、だが、自暴自棄とはなってない。
いっそのこと、自暴自棄の方が、身も頭も楽になったかもしれない。
花山からの教えであることの、
「生きるか死ぬかの選択を迫られた時、死を選ぶのが武術家である」
が根底にはあるが、それが動き始める気配はない。
動いていれば、私は、自死したのであろうか。
私は歩く。
「じゃあ、30年前の6月、ヤクザ殺しのあった頃に、小岸常山の息子、芳郎が空手辞めて、それに合わせて、一ヶ月、如葉会は活動を止めていた・・・」
「ええ!それに、もう一つ分かったことがあるんです!!」
金田は、眉間にシワを寄せつつも、弾んだ声で続ける。
「芳郎の同級生の母親と言う人物から、さらに聞き出したんですが、<峯岸>らしい男も、道場の活動再開後、姿を見せなくなったって云うんです」
「それは確かか!!」
「ただ、息子からの伝え聞きなので、母親も確証は無いって言ってました」
「それなら、その息子に直接、聞いてみよう!」
「それが息子は現在、結婚して隣町に住んでるようで、しかも、現在、出張中らしくて・・・3日後には、戻るそうです」
「そんなには待てん!!その、出張先を聞き出せ!
分かり次第、行くぞ!!」
飛田の声が大きくなる。
「それなら、もう調べてありますよ。それに、もし、こっちが行くとなれば、母親が息子にアポも取ってくれる手筈です!!」
再び金田は声を弾ませる。
「お前・・・、なかなか動きがいいじゃないか!!」
金田はニコリと頷く。
飛田と金田は、新幹線に乗っていた。
「戸田啓 43歳。18歳で地方の大学進学のため、そこで空手を辞めています。母親の話ですと、戸田は、小学校入学と共に空手を始めたそうで、その指導は、当時、指導員だった峯岸に任せられていたそうです。小岸常山は、大人の生徒の指導がほとんどで、芳郎も含めて、今から会いに行く戸田も、峯岸の指導を受けていたそうです」
「花山は?」
「母親は、花山という人物は知らないってことなんですが、花山も24ぐらいですから、峯岸みたいに指導員でもしてたんでしょうか・・」
「でも、飛田さん、これ、わざわざ会いに行かなくても、電話でもよかったんじゃないです?
俺も、一応、出張先、抑えてはいましたけど・・・」
「あのなあ、金田。お前、この戸田の母親からいろいろ話聞き出せたんだろ?
最初っから、こんなにペラペラ、喋ってくれたのか?」
「あ・・そういえば・・、息子のことなんかは、後から出てきましたね。峯岸のことも、最初は全く知らないって言ってたんですけど・・」
「だろ?人間ってのは、そういうもんだ。面倒なことにはなるべく巻き込まれたくない。
でもなあ、直接会って、お前の目を見て、お前の捜査に対する気持ちってもんを汲んでくれたんだよ。
確かに今は、いろいろ便利にはなったけどなあ。でも、最後には、やっぱり、人・・人なんだよ。
だからなあ、刑事ってやつは、人の裏ばっかり見る仕事だろ。いつしか、自分もよぉ、うらぶれた、へ〜んな顔になっちまうんだ。そんなやつに、誰も何もしゃべっちゃくれないよ。だからなあ、いつも、常に、刑事ってやつは、誠実を失っちゃいかん。いかんぞ」
「はい」
確かに、普段は温厚で何を言っても怒らなさそうな飛田が、事件の前に立つときは、仁王の様になる。
そんな風に、金田はいつも思っていた。
以前、未成年を使って詐欺を働くヤクザを引っ張ったときがあった。
その時、その男に対しての飛田の取り調べの時の表情が、金田は忘れることができなかった。
取調室で、飛田の斜め後ろに立っていた金田は、
その斜角からしか見えない飛田の顔が、それは恐ろしく、飛田と対面に座るヤクザの顔も恐怖で引きつっていた。
来年、定年を迎える飛田ではあったが、その肝の座り方は、長年の刑事という仕事だけで培われたものではなかった。柔道の腕前である。飛田のそれは、オリンピック選手に選考されるほどのものだった。
怪我さえなければ、今頃、飛田は刑事なぞ、やっていなかったかもしれない。
警察柔道部の全国警察官柔道大会でも、全試合、オール一本勝ちを果たし、あまりに強すぎるので、翌年からは出場を辞退させられたほどだった。
二人は、新幹線を降りるとタクシーに乗り、戸田啓から指定された出張先の事業所の近くの喫茶に向かう。
その道中、車内から金田は、戸田に電話をした。
途中、道路工事のため、少々、渋滞にはまったが、予定の10分遅れで喫茶に到着した。
遅れそうだということも、金田は、飛田の指示でその旨を戸田に伝えていた。これも、飛田からの指示だった。刑事は、誠実でないといけない。
喫茶に入り、見渡すと、一人の小太りの作業ジャンパーを着て、下はスラックスの男性が、席を立ち上がり、こちらに向かい、頭を下げる。
「戸田さんでいらっしゃいますか?」
金田が声をかけると、
「あ、はい、戸田です」
と頭を下げた。
3人は、あらかじめ、戸田が居た4人がけのテーブル席につく。
「あ、おねえさ〜ん、注文、おねがいねぇ〜」
戸田が、店員に手を挙げる。
言い方は悪いが、お調子者に見て取れた。
飛田は、<しめた!!>
そう考えていた。こういうタイプの扱いは、言い方は良くないが簡単なのだ。
「今日は、お仕事中に、どうもすみませんでした。
私、牧一宮署の捜査課の飛田と申します。
こっちが、同じく捜査課の金田です」
「どうも、金田です」
「改めまして、戸田啓です、いや〜緊張するなぁ。こんなの、ドラマでしか見たことありませんからぁ」
大きな声で戸田が言うので、周りを気にした金田が辺りをキョロキョロと見渡す。
「早速ですが、まず、お母様から伺ったのですが、戸田さん、6歳から、如葉会で空手をされていたと言うことですが・・・」
飛田が言うと、
「ええ、本当は、ずーっとやりたかったですけどね。大学、田舎に下宿だったもので」
と言って、戸田は少し笑ってみせる。
こういう何気ない意味を持たない話題も、無視をしてはいけない。
飛田も、
「ハハハッ。そうでしたか」
と、きっちりと返す。
「それで、中学の時に、一緒に空手してた、小岸先生の息子さんが突然、空手辞めたと・・・?」
「ええ、芳郎は、私と違って、学校の勉強も良くできたし、空手も強かったですからね。中学入学してすぐの頃、上級生の不良グループにあいつ呼び出されたんです。空手道場の息子ってことで、不良たちにちょっかい出されたんですよ」
「教室から連れて行かれる芳郎を僕らも見てたんですけど、なにせ、中学1年なんてこないだまで小学生ですよ。そこいくと、3年生なんてオトナに見える。それも、短ランやらボンタンやら履いた不良たちですよ。僕も、空手こそやってましたけど、怖くて、助け舟なんか出せませんでした」
「おもしろそうな話ですねぇ。それで?」
楽しそうに話を聞く金田を飛田が小さく叱る。
「あ、いやいや、いいですよ、別に(笑)本当に愉快な話ですから」
そう云うと、ちょうど、注文した、戸田のコーラと飛田と金田のコーヒーが届く。
戸田は、ストローも使わずに、コップを鷲掴むと、
ゴクゴクとコーラを飲み干して、
「おねえさ〜ん、クリームソーダひとつ追加ね〜」
と、言って、
「あ、ちゃんと、私の飲んだ分は、お支払いしますんですんません、喉乾いちゃって」
といって、また笑う。
「あ〜、それでですねえ、15分ぐらいしたら、芳郎が戻ってきて、
<やっぱ、3年生ともなると結構強いなぁ。>
って言うんです。
みると、ちょっと、口元に赤いものが見えて、制服も、汚れてました」
「え?!芳郎さんはやられたってことですか?」
金田が言うと、
「いえいえ、全員、今頃気絶してるよ・・・って、あっさりと芳郎は言ってました。
ケンカは中庭でやったみたいなんですけど、二階の渡り廊下でたまたま見ていたクラスメイトが居て、
芳郎含めて5人がもみくちゃになってたらしいんですが、そのうち、1人、2人、3人って、お腹やら顔を押さえて倒れ込んでいったって・・・」
その時、追加注文のクリームソーダが、届いた。
「ふ〜ん、芳郎さんも、相当強かったんですね」
「ええ、そうです。それで、あいつのおかげで、うちのクラス・・っていうか、私たちの学年は、不良たちからも少しだけ特別扱いっていうか、一目置かれるっていうか・・、だから、中学3年間は、楽しく過ごせましたね」
と云いながら、戸田は、クリームソーダのアイスクリームを、スプーンですくって食べた。
「そんなに強かった芳郎さんが、なんで空手辞めちゃったんでしょう?」
飛田が問う。
「それは、私にもわかりません。理由聞いても、勉強のためだとか何とか言ってましたけど、その話になると、芳郎は、はぐらかすんです・・・」
「はぐらかす・・?」
「ええ、何かを隠してるっていうか、・・なんていうか・・そのぉ・・空手辞めた理由が、他にあるんじゃないか・・って、そんな風に思えました。あ、でも、芳郎が何かやらかしたとか、そんなんじゃないと思います。あいつ、真面目だし、いい奴だし」
「じゃあ、その・・芳郎さんが空手辞めた時、ちょうど、それぐらいの時、道場の稽古が一ヶ月ほど休講になったとか、聞きましたが・・・」
飛田が、言う。
「ああ、そう、そうですね。忘れてましたが、たしか、そんな事ありました。私は、練習休みでちょっと嬉しかったんですけどね(笑)、それで、
道場の隣が、先生と芳郎の自宅だったんですけど、先生も奥さんも、あ、芳郎も、自宅からもしばらくいなくなったんですよ。
芳郎も、一ヶ月ぐらい学校も、休んでて」
「え?!中学生が一ヶ月も休んだ?・・んですか」
「ええ、それで、担任に聞いたんです、芳郎のこと」
「担任の先生は何と?」
「家の事情で、しばらく、先生・・あのぉ、芳郎のお父さんですけど・・その、先生の生まれ故郷の九州に帰ってると、聞きました」
「九州・・?」
「ええ、たしか、福岡だか、熊本だか、そこら辺はちょっと忘れちゃいました、すいません・・・」
「いやいや、ありがとうございます。」
飛田は礼をいう。
金田は熱心に手帳を書く。
「あと、もう一つお伺いしたいのが・・・」
飛田が言うと、すかさず、
「峯岸さんの事です!!」
と金田が身を乗り出す。
「ああ・・・峯岸先生は、その、道場が一ヶ月お休みして、その後、姿を見なくなりました・・」
「辞めた・・ということでしょうか・・・?」
「う〜ん・・でも、そんなことは何も言ってませんでしたし・・それで・・まだ、子供だった僕ですから、少し、躊躇したんですけど、小岸先生に、聞いたんです。峯岸先生は辞めたのか・・って」
「そうしましたら・・?」
「小岸先生が言うには、峯岸先生は、仕事の都合でしばらくお休みする・・みたいなこと言ってましたが、僕はその後、5年ぐらい・・18まで道場通いましたが、峯岸先生は戻ってきませんでした」
「そうですか・・・、何があったんですかね・・・」
飛田はそう云うと、
「因みに、峯岸さん・・峯岸先生は、どんな先生でしたか?」
と、尋ねる。
「峯岸先生は、小学生から高校生ぐらいまでを、教えてましたけど、大人の指導もしてました。僕らは21:00に稽古終わって帰るんですけど、その後、大人・・特に上級者の稽古が夜中まであるんです」
「夜中というと、何時頃まで?」
「一般部の人が話してるの聞いたことありますけど、
<昨晩は2:00過ぎてたよなあ>
とか、聞いたことあるんで、多分、時間は特に決まってなくて、納得するまでやる感じっすかね」
「うわ〜〜キツそう・・、自分には無理ですね・・」
「いや、多分、ほとんどの人が無理だと思いますよ。黒帯の上級者の人たちも、21:00以降の稽古に残る人、決まってましたから・・」
「あ、黒帯だからといって、全員が・・そのぉ・・居残りっていうか、21:00以降の稽古に出るわけではないんですね?」
「そうです」
「その深夜までの稽古に、花山は参加してましたか?」
そう云うと、先ほどまでにこやかに話していた戸田の表情が曇る。
「あのぉ〜、本当に、花山先生が、小岸先生の奥さん、殺したんでしょうか・・・」
「今のところ、状況証拠だけですが、その線で警察は捜査してます」
「そうですか・・・、どうしても、信じられなくて」
「花山がそんな事するはずない!・・そうお考えですか?」
「ええ、花山先生は、とにかく優しくて。誰にでもです。確か、峯岸先生より、少し若いのかな・・?
花山先生は峯岸先生の事を先輩って呼んでました」
「峯岸さんと花山は親しかったですか?」
「練習終わりの雑談で、花山先生はこう言ってました。
<僕の空手は小岸宗家と峯岸先輩が作ってくれたんだよ>
って」
金田が口を挟む。
「峯岸さんと花山は、どっちが強かったんですか?!」
すると、戸田は、腕を組んで少し考える。
「う〜ん・・そうですねえ・・、どっちが強いっていうか・・なんていうか・・、空手のタイプが違いますねぇ」
「タイプ?」
「ええ、目指してるところが違うというか・・」
「でも、花山は峯岸さんに空手教えてもらった・・というような事を言ってたんですよねえ?」
「ええ、でも、私なんかが云うのも烏滸がましいですけど、空手家っていうのは、その、なんていうか、戦い方のスタイルってのは、自ずと自分に合ったものが生まれてくるものなんです。
うちの道場は、試合を禁止されてましたから、本来は、フルコンタクトの組手のテクニックみたいなものは、必要ないのかもしれません。あ、フルコンタクトって分かります?」
「ええ、詳しくはありませんが・・、なあ!」
飛田が横に座る金田に声をかける。
「自分は、結構、格闘技マニアみたいなところあるんで、そこそこ詳しいっすよ」
と金田。
「ええ、それで、話戻りますけど、峯岸先生の空手・・特に組手に関しては、凄く、そのぉ・・理論的ッていうか、上手いんですよ。とにかく。
それに、パワーも半端なかったし。
そこいくと、花山先生の組手は、<一撃必殺>に徹底的に拘ってました。防御に対する考え方も、二人は違ってたと思います。
峯岸先生は、顔面に来る攻撃以外は、身体で受け止めて、そこから、間合いを潰して一気に叩き返す!って感じなんですけど、花山先生のそれは、相手に触れさせもしない。柳の木の枝に風が当たって揺れてる・・。まさに、暖簾に・・ええ・なんでしたっけ・・」
「腕押し」
「そうそう、そうです。暖簾に腕押し」
「峯岸さんが<剛>
花山が<柔>
という事ですね」
と、飛田が云うと、
「いや、そうでもないですよ。花山先生の一撃は、そりゃあ、強烈でしたから」
「ほう、そんなに」
「私が空手辞める18ぐらいのときは、結構
世の中、格闘技ブームでしたけど、特に打撃系の格闘技なら、どんな世界チャンピオン来ても、花山先生なら勝てたんじゃないかな?いや、これ、大袈裟でも何でもないですよ。本当に、すごかったんですから」
「峯岸さんは、花山より少し劣る・・・?」
「いや、劣ることはないと思います。でも・・、あんなに実力者の二人が本気でやりあったら、必ず、無傷で終わるはずもないし、必ず決着はつけるだろうし。だから、二人が組手をするときは、お互いがお互いを思って、技の出し合いをするというか、そんなに真剣に倒し合いをするような感じではありませんでした」
「そのあたりは、私も下手くそながら柔道やってたので分かります・・」
飛田がそう云うと、
「この飛田さん、すごいんですよ。もと、オリンピックなんです。全国警察官柔道大会チャンピオンだし!」
「こら!余計なことを・・!」
「オリンピック?!すごいですね!!」
「いや、オリンピックには出てませんよ。直前に、バイクで事故して、太ももの骨、折っちゃったんです・・いやあ、恥ずかしいお話で・・」
「いやあ、それにしてもすごいですね。警察官の方って、みんな柔道とか、やるんですよねえ?その中で、全国チャンピオンって、すごいですね」
それを聞いて、またもや金田が、
「大腿骨骨折してから柔道やめてて、警官になってからろくに練習もせずに大会出て、オール一本勝ちだったんですよ、このじいさんが!!」
調子に乗る金田を飛田が、睨む。
「まあ、峯岸さんと花山は、お互いに気を使っていた。お互いを大事な存在に考えていたんでしょうな・・」
「だと思います。子供だった私がそう感じるぐらいでしたから」
「峯岸さんがいなくなったあと、戸田さんは、花山から、教えてもらってたんですか?」
「まあ、主にはそうですね。小岸宗家も熱心に教えてくれました・・・でも・・・」
「でも?」
「道場の雰囲気がそれまでとは変りましたね・・、峯岸先生が居なくなったからなのか、なんなのかはよくわからないですけど・・」
「雰囲気が、暗くなったとか、そんなことですか?」
「もともと、稽古時間は、緊張の糸をピーンと張ったような感じでしたけど、稽古が一段落したり終わったときなんかは、談笑したり、あと、夏には、道場出たとこでバーベキューしたりとか、それで、大人たちは酒を呑むからいいんですけど、子供っていうか未成年の道場生には、宗家の奥さんが、おにぎり作ってくれたり、スイカ切ってくれたり、本当にたのしかったなあ。そんな事もあったんですけど、峯岸先生がいなくなってから、というか、あの一ヶ月のあとというか・・・」
「稽古が一ヶ月休みになった後ですか?」
「ええ、芳郎もやめてしまったあの一ヶ月です、その後は、そういうイベントもやらなくなりました」
そう話している時の戸田は、なんだか寂しそうに飛田の目には移った。
その後も、峯岸、花山、小岸常山とその妻で殺された妙子の事など、事細かく聞き出した、飛田と金田は、戸田に礼を言い、クリームソーダの代金は払うという戸田の申し出を丁寧に断り、三人そろって店を出て、別れた。
帰りの新幹線。
飛田は、ほとんど無言で車窓から流れる、夕刻の街並みを眺めていた。
おしゃべりの金田も、ほとんど口を開かない。
如葉会に大きな変化が起きた、30年前のその一ヶ月という時間。
ここに、何かが潜み、そして、ここに真実が詰まっている。
飛田も金田も、同じ事を考えていた。
