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ChatGPT・AIに書きたい心を乱されて。これからの文章との付き合い方を考える

ご存知のようにChatGPTおよびAIの進化が止まらない。
ブログ記事作成はもちろん、

  • エッセイ

  • ポエム

  • 小説

  • 論文

  • 作詞

などをそれなりのクオリティで、命令1つであっさり完成させてしまう。

人類史における大革命の1つになるのは間違いないだろう。

僕もはじめは、これだけ便利で面白いツールを好奇心をもって情報を集め使用していた。
ChatGPTの有料プランも課金。
GPT-4が作る文章を、ブログ記事として自分のブログに10本ほどアップした。
これまで外注ライターさんにそれなりの報酬で書いてもらっていた記事を、何本でも吐き出してくれる。もちろん情報の正確さは確認が必要だし、文法がおかしいところはあるので手動で調整が必要だ。

それでも今後外注ライターさんに依頼する機会はないだろう。個人ブロガーの僕にとって手動調整の手間を補って余りあるコスパのよさだ。

◾便利さは増加しても、文章を書く楽しさは低下している

しかし、これだけ優秀なソフトを利用できる環境になったのに、モヤモヤしていた。本心で楽しめていない、これでいいのだろうかと引っ掛る何かが僕の頭にある。

文章を書くのが好きだ。
文章の勉強も大好きだ。

なんとも奥が深いし、上達して記事に反響があれば達成感がこの上ない。
読む人を動かせるほどになれば、有料noteやアフィリエイトなどで大金を稼げる可能性もある。
書く力を鍛えると相乗効果で、考える力もつくし、対面でのコミュニケーション力も上がる。

僕にとって、これほど探求しがいのあるスキルは他にはない。

だがChatGPTをはじめとするAIツールの目覚ましい技術革新を聞く度に、文章を書く・勉強する気力が削がれていることに気づいた。

それはやはり
「文章力をつけても未来では、役に立たなくなるのではないか?」
という不安が常に頭によぎるからだ。

AI技術の発展によって、

  • プロ顔負けの複雑な画像作成ができるようになった

  • 動画も簡単な命令で作れてしまう

  • Twitterと連携させて自動ツイート作成・投稿までできてしまう

など、毎日のようにAIツールの新技術発表は祭りのようだ。TwitterでもYou Tubeでも連日動画がアップされ、多くの視聴回数がついている。
僕も情報を見つけては、You Tubeなどで使い方を調べて、こんなことも出来るのかと興奮していた。

確かにどのAI技術も、以前では考えられないほど有益で、上手に利用できればとても便利だ。

しかし、なんだか白けてしまった。冷めてしまった。
飲み会で友人が自分の成功体験をハイテンションで語るけど、周りは引いていくような感じに近い。

今はほとんどAIに関する最新情報を追っていない。見るのがだんだん嫌になってきた。

この憂鬱さを一言でいえば近頃何度も耳にする「AIに仕事が奪われる恐怖」になる。
僕は副業で文章関係の取り組んでいるので、本業のライターさんよりも危機感は薄い。別に生活に困ることはない。

でも
「文章力で自己表現・副業で稼ぐ」
という未来を影らされてしまって、気分が落ち込んでいる。
これまで記事を書いて、書籍などで文章の勉強してきたことが無駄にされそうでモヤモヤする。

SNSなどで一部の発信者は「AIツールを上手く活用して、生き残ればいい」とはいうけど、今はそんな気になれない。

AIツールが文章作成で苦手と言われている、「感情表現」「五感表現」「メッセージ性」のある文章をかけたらいいけど、今の僕の力量では簡単じゃない。

AIの文章がポンポン作成されてネットにアップされるのも虚しい。
プロのクリエイターが賢明に作っていた画像・動画が簡単にできてしまうのも寂しい。

でも本当は、AIツールに負けない文章力が無い自分が悔しい、負け惜しみなだけかもしれない。

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