『不条理な休息』
激しい咳が肺を内側から叩き、鉛を溶かしたような怠さが四肢の奥に沈殿している。
疑いようもなく、私は病んでいる。
昨夜の猛烈な発熱は、身体の内部で繰り広げられた総力戦の痕跡であり、今の私は、その焼け跡に立ち尽くしている。
「具合が悪い」――あまりに簡素で、それ以上でも以下でもない真実が、苦味を帯びて喉の奥に貼り付いている。
厄介なのは、私になまじの体力があることだった。
本当に身体が崩壊する瞬間は、驚くほど短い。
数時間も経てば、あれほどの苦痛が嘘だったかのように引いてしまう。
そのわずかな「動けてしまう」空白が、周囲の目には詐病や仮病として映るらしい。
痛みの頂点を過ぎたあとに残されるのは、病人という役割を与えられながら、それを全うできない、宙ぶらりんな私だけだ。
かつて、病床の暇は退屈の同義語だった。
だが現代において、私たちは容易には孤独になれない。
指先一つで、古今東西の映画が網羅された銀幕へと接続される。
光を流し込むだけで、記憶の彼方の名作が網膜に浮かび上がる。
その時間は、病の最中にあってさえ、一種の贅沢に見える。
――だが、本当にこれでいいのだろうか。
医学的な正解は明白だ。
問答無用で「睡眠」。
意識を断ち、あらゆる資源を治癒に振り向けること。
それこそが病人の務めである。
しかし、人間は機械のように都合よく眠り続けることができない。
微熱に温められた意識は、完全には沈まず、覚醒と昏睡の境目で、所在なく漂い続ける。
目覚めたままの空白は、どうしても何かを求めてしまう。
この暇を、少しでも「無駄ではないもの」に変えようと足掻くこと。
それは病人にあるまじき怠惰なのか。
あるいは、生き延びようとする本能が、形を変えて現れた、ささやかな抵抗なのだろうか。
今、私は病院の待合室にいる。
消毒液の匂いが鼻腔を刺し、誰かの微かな咳払いが、空調の音に紛れて消えていく。
プラスチックの椅子は体温を奪い、身体の芯に残る熱だけが、まだ私をこちら側に繋ぎ止めている。
ぼんやりとした思考の断片を、私はスマートフォンの画面へ落としていく。
高熱が見せる夢は、いつだって支離滅裂で、無秩序だ。
ならば、熱に浮かされた頭が捻り出したこの文章も、平熱に戻った私が読み返したとき、意味よりも先に、得体の知れない「質感」だけを残す標本になっているのかもしれない。
名前を呼ばれるまでの、このひどく曖昧な時間。
私はまだ、病の淵からこちら側――
玻璃のように脆く、しかし確かに温度を持った平熱の世界を、静かに眺めている。
