夏にはいない君へ
昔、こんなことを呟いたことがある
春に死ぬのは少年少女、もしくは若い娘か坊主。 夏に死ぬのは青年。隣の家のお兄さん。若い頃の同級生。 秋に死ぬのは誰でもないが、しいて言うなら晩秋に死ぬのが老人。 冬に死ぬのが赤子。 ってイメージ。
なんだか、その通りになったな、と思った。
彼は夏に死ぬ。5月が夏なのか、と問われると微妙なところだが、まあ夏だろう。最近の気候は暑いのだ。少なくとも初夏ではある。青年と少年との見た目を使い分ける彼にはちょうどいい季節だろう。
そこまで書いて、卒業を死と捉えるのならば、やはりこれはあんまり健全な趣味ではないな、と思った。
なんの話かと言えば、先日卒業の発表されたファルガー・オーヴィドの話である。
それなりに追っていた。創作物もまあまあ読んでいた。全部ではないけれど、多くを触れていた。
そんな彼が卒業するという。
さみしいと言うよりは、ああ君も私を置いて死んでいくのか、と思った。私は、遠い人が、小さいころから見ていた俳優さんやアーティストさんたちがぼちぼち死を迎える年齢なのだが、その感覚に似ている。
だけれども、実際はもう少しエモーショナルで深い感覚だ。
そうか、あの人もいなくなってしまうのだね。さみしいね。
それよりもっと強烈に死のにおいがする。死というよりは殺しの匂いだ。だって、誰かが意志を持ってそのキャラクターを立ち去らせるのだから、それは殺しに近いだろう。
とは言え彼はVtuberだ。
転生先もあると言うか、もともと持っていたそれに戻るらしい。それを追いかけていく人もいるだろう。
けれど、私はそこまでは追うまい。
何と言うか、やっぱりキャラクターなのだな、と思う。
あくまでキャラクター。
人格、性格、見た目。作られた生き物。
そしてその死を嘆くこと。
健全ではないな、と、やはり思うのだ。
