【短編小説】赤とんぼと小さな宝物|#虹色創作部
秋晴れの土曜日、アキちゃんは虫かごだけを持って、川のほとりにやってきました。
「ぜったいに、ピカピカの一番おおきい赤とんぼを、つかまえるんだ!」
アキちゃんは七歳、小学一年生。きのう、お兄ちゃんの長い網を借りようとしたら、重くてふらふらしてしまいました。そのとき、お兄ちゃんが言ったのです。
「アキ、あみなんか使わないで、手でつかまえたら?」
「どうせ、ちっちゃいからむりだって、バカにしてるんでしょ」
心の中でそうつぶやいて、アキちゃんは草むらの中を歩きだしました。お兄ちゃんを見返してやるんだ、と固く心に決めて。
川のせせらぎが、キラキラと光っています。秋風が頬をなでて、草の匂いがふわりと鼻をくすぐりました。そして、赤とんぼ。たくさんの赤とんぼが、夕日に照らされて宝石みたいに輝きながら、空を舞っています。
「あ! あれだ!」
アキちゃんの目が、一匹の大きな赤とんぼをとらえました。ほかの赤とんぼより、ひとまわりも大きくて、翅がキラキラ光っています。
「まってー!」
アキちゃんは走りだしました。でも、赤とんぼはすばしっこくて、手をのばすたびにスルリと逃げていきます。右に左に、上に下に。アキちゃんは必死に追いかけましたが、足が草にからまって、ころんでしまいました。
「いたたた……」
膝をすりむいて、目がウルウルしてきました。でも、泣いたら負けです。アキちゃんは涙をこらえて、もう一度立ち上がりました。
そのとき、足元に小さなカタツムリがいることに気づきました。殻をせおって、ゆっくり、ゆっくり草の間を進んでいます。
「のろまだなあ」
アキちゃんは気にもとめずに、また赤とんぼを探しはじめました。
何度も何度も挑戦しましたが、赤とんぼはいつも逃げていきます。膝は痛いし、息は切れるし、もうあきらめようかな、と思ったそのときでした。
さっきの大きな赤とんぼが、ふわりと草の葉っぱに止まりました。でも、その葉っぱは、アキちゃんの背よりも高いところ。手をのばしても、せのびをしても、ジャンプをしても、ぜんぜんとどきません。
「あとすこしなのに……」
アキちゃんは、そっと近づいて、手をのばしてみました。でも、やっぱりとどかない。指先と赤とんぼの間には、まだ大きな空間があります。
「どうしよう……」
絶好のチャンスなのに。アキちゃんは、くやしくて泣きそうになりました。
そのとき、ふと目に入ったものがありました。
さっきのカタツムリです。ゆっくり、ゆっくりと、赤とんぼが止まっている葉っぱの茎を、下から登りはじめているではありませんか。小さな体で、一歩、また一歩。あきらめずに、のぼっていきます。
アキちゃんは、息をひそめて見守りました。
カタツムリがのぼるにつれて、葉っぱが、ほんの少しずつ、ゆっくりと、しなりはじめました。赤とんぼは、その静かな動きに気づいていないのか、じっと止まったままです。
もう少し。
あと、もう少し。
カタツムリの小さな重みで、葉っぱは少しずつ、少しずつ下がっていきます。赤とんぼも、葉っぱといっしょに、ゆっくりと、ゆっくりと、アキちゃんの手のとどくところへ――
「あ...…」
アキちゃんは、息をのみました。
「ゆっくりでもすごいことが、できるんだ」
カタツムリの小さくても、あきらめない姿。その小さな力がしてくれたこと。アキちゃんの胸に、あたたかいものがこみ上げてきました。
「ありがとう」
アキちゃんは小さな声でつぶやいて、そっと、そっと手をのばしました。赤とんぼは、まるでアキちゃんを待っていたかのように、じっとしたまま。アキちゃんの指先が、赤とんぼの翅にそっとふれました。
虫かごに入れた赤とんぼは、キラキラと美しく輝いています。手で捕まえられた。アキちゃんは、しばらくじっと見つめていました。そして――
パチン。
虫かごのフタを開けると、赤とんぼは空へと飛んでいきました。
「またね!」
アキちゃんは、赤とんぼに手を振りました。そして、葉っぱのカタツムリにも、小さく手を振りました。
家に帰ると、お兄ちゃんが玄関で待っていました。
「どうだった? つかまえられた?」
「……。」
アキちゃんは、だまって空っぽの虫かごを見せます。本当は、つかまえなかっただけなんですけどね。「やっぱりね」という顔をしているお兄ちゃんに向かって、アキちゃんはニコッと笑って続けました。
「でもね、すっごくちいさい、おともだちができたんだよ! それでね、それでね……」
アキちゃんは、カタツムリと赤とんぼのお話を、うれしそうに話しはじめました。
お兄ちゃんは、うなずきながら聞いていました。そして、アキちゃんが話し終えると言いました。
「兄ちゃんの網はさ、もう少し大きくなったらな。アキにはまだ長くて重いでしょ。だから、きっと手でつかまえたほうが、つかまえやすいよ。明日はつかまえられるといいな」
「え...…?」
アキちゃんは、ハッとしました。お兄ちゃんは、バカにしていたんじゃなかったんだ。
ひとりですごいことをすることだけが、すごいんじゃない。小さな誰かの力を借りることも、素敵なこと。そして、誰かの言葉を、ちゃんと聞くことも。
アキちゃんの心に、小さな宝物が増えた秋の日のお話でした。
(おわり)
