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【短編小説】砦を出たら

砦を出たら
 
 
 五月の明るい日差しが、昨日の雨を照らしている。すがすがしい朝だ。

「いいなあー」
「かっけえー」
「亮太、ちょっとさわらしてよ」
「だめだってば。これめちゃくちゃセンサイなんだからな」
「てかスマホじゃだめなん? なんでカメラ?」
「ばーか」

 おれはデジタルカメラを持った手を高く掲げて、さっさと先を歩く。父さんが買ってくれたカメラ。山田も内山も田口も、くさすようなことを言った池内も、うらやましそうについてくるから。ふ、鼻で笑っちまう。

「スマホなんてどんどん新しいのが出てきてきりがないだろ? でもカメラは古くなっても使えんだよ。スマホよりかっこいいし」

 なんて、父さんが言っていたことだけど。

「おお、さすが亮太」
「で、何とるの?」
「んー、ま、これから考えるよ」
「あ、あれ? 見ろよ」

 内山が急に声をひそめた。指さした先は校門。隣のクラスのムラセンが立っていて、ひとりの男子に何か注意している。

「うわ、今日持ち物検査かよ」
「まじだる」
「カメラ見つからない?」
「へーきへーき」

 おれはカメラを、ランドセルの中の教科書の、さらに下にかくした。

「いや、ねえ見ろってば」

 内山だけが声をひそめたまま、同じことを言った。

「あれ、沢木じゃね?」
「沢木?」

 目をこらす。ひょろっと背の高い、猫背の後ろ姿。ランドセルがおもちゃみたいだ。中学生みたいなジャージに身を包んで、両手をポケットにつっこんで、ムラセンと向かい合っている。あ、手を出した。ポケットから、じゃらり。かたい小さなものがいくつも、いくつもこぼれていく。

 石だ。

「おお、あんなに持ってんのかよ」
 山田が大げさに身震いした。
「あいつも災難だな」
「たまに来たと思ったら持ち物検査とか、な」
 田口と内山が半笑いで言いあうが、顔はひきつっていた。おれも同じような顔をしていたと思う。

 沢木宗助。六年二組きっての曲者だ。学校にはほとんど姿を見せず、来たと思っても宿題はやってないし、授業中も寝てばかり。誰かとしゃべってるところも、笑ってるところも見たことがない。背ばっかり高くて、そのくせ運動はだめ。勉強もたぶん良くない。でもまわりにいっさい怯まないところが、底知れないのだ。おまけにあの、石。

「あれ、ほんとに投げんのかな」
 池内がつぶやいた。

「ランドセルの中も石だっていうぜ」
「教科書持ってこないもんな」
「でも投げてるところは見たことねえな」
「そりゃあいつが来ねえんだもん」
 内山、田口が混ざって口々に言う。

 そうこうしているうちに、おれたちも持ち物検査をされた。カメラは見つからずに済んだ。検査をされながら、そうだ、と思う。あいつ、沢木のあとをつけて、決定的瞬間をおさえよう。このカメラで。
 
 
 沢木は真っ先に教室を出る。だからおれも、急ぎの用事があるとかいって、さっさと出ればいい。沢木がランドセルを重たそうに持ちあげている。本当に石が入っているかもしれない。おれはつかず離れずの距離で、廊下を進んだ。問題はここから。

「沢木」

 やっぱり。どっかのクラスの先生が沢木を呼び止める。

「どうだ、調子は」
「まずまずです」
「そうか。授業、ついていけてるか」
「はい」

 うそつけ! 今日だって、分数の足し算で間違えてたし。
 でも先生は突っ込まず、あっさりと沢木に手を振った。

 こんなことが何回かあって、校舎を出るまでは大変だった。沢木はいろんなクラスの先生に覚えられているらしい。

 校舎を出て、まっすぐに帰っていくやつ、じぐざぐに帰っていくやつ、クラブ活動の準備に入るやつ。校庭はいろんな声であふれかえっている。沢木はやたら背が高いから、そう簡単には見逃さなかった。校門を出たところで、教科書の下に仕込んでいたカメラを取り出す。起動。小さな機械音が、手のひらに伝わる。いつでもシャッターを切れるようにピントを合わせる。その間も、沢木はポケットに手を突っ込んで、だるそうに先を歩いていた。

 まわりを歩くやつが減っていく。坂を下ると、川に沿う道に出た。沢木は川の流れと逆方向に進んでいく。あれ? ここ、いざという時に隠れる場所が全くないじゃん。

 もし振り向かれたら、植木の陰で小さくなろう。

 なんて考えていたら、つま先に小石がぶつかった。

 小石はカツーンと飛んで、はねて、川に沿うフェンスにぶつかって、けっこうな音を立てた。

 やばい。

 沢木が振り向く。おれはあわてて、橋を渡るふりをして向きを変えた。
 沢木はしばらく振り向いていたが、すぐにまた歩き出した。

 冷や汗がたれた。あいつ、さてはわざと小石を置いていたのか。

 よく見ていると、沢木はポケットに入れた石を時々落として歩いている。おれを転ばせるか、さっきみたいに音を立てさせるかを狙っているんだろう。

 歩いていくと、フェンスがふっとなくなった。

 そこだけ広くなった土手は、草が刈られ、ピクニックができそうな広場になっている。おまけに誰でも水辺に降りられるようになっていた。

 沢木が水辺へまっすぐ向かっていく。明らかに寄り道だ。
 おれはそばにあったベンチの影にかくれて、沢木を観察する。
 草を踏み、土を踏み、石を踏んで、水が流れる方へ進んでいく……。

 止まった。靴と靴下を脱いでいる。それから水に入った。しばらく水の中を歩きながら、沢木はずっと下を向いて、何かを探しているみたいだった。

 あ……わかった。石を探してるんだ。ほら、今拾った。服のすそで拭いて、ポケットに詰め込んでいく。

 おれはカメラをかまえて、レンズ越しにズームアップして沢木を見た。
 間違いない。石を拾って集めてる。シャッターを切った。決定的瞬間、かどうかはわからないけど、誰が見てもわかる写真だ。

 しばらくそうしていた沢木は、やがて水から出て靴を履いた。そして、今度は水の方を向いてしゃがみこんだ。

 何やってんだろう。ただ水を見ているようにしか見えなくて、わからない。とりあえず写真を撮ってみる。もう一枚。

 振り向かれた。

 心臓がどくんと跳ね上がる。レンズ越しに、沢木と目が合った気がした。
 少しでも動けば見つかっちまう。
 沢木が立ち上がり、大股でこっちへ向かってくる。おれは息を止めた。やばいやばいやばい。そもそも、沢木っておれのこと知ってんのかな。知らないかも。だとしても見つかったら怪しすぎるし、ダサすぎる。

 だけど沢木は、おれの方を見向きもしない。ぜったい気づいたと思うのに、そのまま歩きすぎて、さっきの道の続きを歩き始めた。

 おれは動けないまま、遠ざかっていく沢木をぼんやりと見ている……。

 って、いけねえ。こんなところで座ってる場合じゃない。
 追いかけようか。

 立ち上がった時、視線がすうっと水辺の方に向いた。沢木がしゃがみこんでいたあたりで、何かがおれを呼んでいるみたいに、一瞬だけ光った。

 大きな岩の上に、何かある。

 足はそっちに向いた。近づいていくと、積み重なった石だとわかった。

 しゃがみこんで、顔を近づける。

 丸い石、でこぼこの石、細い石、平たい石、小さい石、でかい石。つるつるしてる、ざらざらしてる、ごつごつしてる、黒っぽいの、赤っぽいの、白っぽいの、黄色っぽいの。ものすごいバランスで、ひとつずつ積み重なっている。ちょっとつついたら崩れそうな感じだ。ただの小石なのに、まるでラスボスのいる王城みたいだ。

 沢木が作ったんだろうか。絶対にそうだ。でも、これは何? 何のために?

 わからないまま、おれはカメラをかまえていた。
 小さなシャッター音で、石の塔が崩れるんじゃないかとひやひやした。が、それはけっこう上手に作られていて、風が吹いても倒れなかった。
 
 


「あ、なんか撮ったの? 見せろし」
「うわ」

 写真を見返していたら池内が後ろからのぞきこんできて、とっさに隠してしまった。

「え、何、見せてくんないの?」
「練習中だから」
「えー、何だよー」

 見ていたのは、昨日沢木が積んだ石だった。あの沢木が作ったとは思えないほれぼれするような出来で、いくら見ても飽きない。あのあと沢木を追いかけることはできなかったけど、決定的瞬間なら十分撮れた。帰ったあとも、石の写真をずっと眺めていた。
 なんて、知られたら、沢木に負けたみたいでむかつくな。

「なーちょっとだけ触らして」
「だめ」
「じゃーさ、練習ってことで、おれのこと撮ってよ」
「はあ?」
「山田―、内山、田口、サッカーしようぜ。亮太はカメラマンな」
「おい待てよ」

 いつものメンバーでぞろぞろと教室を出ながら、ちらっと空席を見る。今日は、沢木は来ていない。
 
 
「悪かったって。機嫌なおせよ」

 後ろから池内の声が聞こえてくるけど、無視。

「明日みんなで返してもらえるよう頼みにいこうぜ。な、俺も行くからさ」
 山田もそう言う。「そうだよ」と内山。

 こいつら、他人事だと思って。

 休み時間に校庭でカメラを出していたら、あっという間にムラセンに見つかって、で、没収。おれの抗議なんて聞かず、ムラセンはカメラを職員室までもっていってしまった。

 せっかくのカメラを失ったことは、そりゃ悔しい。
 でも、おれの中には、別の理由で空いた穴がぽっかりと口を開けて、冷たい風がひゅうひゅう吹き込んでいた。

 石の塔。どうせもう崩れてるだろうな。写真がなければ、二度と見られない。

 そんなことを考えて歩いていたら、かかとに何かぶつかった。
 見下ろすと、小石だった。池内が蹴飛ばしたものが当たったんだ。
 振り向くと、池内も、山田も、内山も、田口も、冷たい顔をしていた。

「な、なんだよ」

 思わず足を止めたら、みんなも足を止めた。

「いや、ずっと謝ってんじゃん。無視つづけるのださいぜ」
 池内は、ふ、と鼻で笑った。

「だいたいさ、亮太って前からえらそうだよな」
 そう言ったのは内山。

「カメラひとつで浮かれてさ。没収されたら不貞腐れて、なんかむかつく」
 山田も。

「ゲーム買ってもらったとか、時計買ってもらったとか、亮太ってそんなんばっかだよな」
 田口も。

「言えてる」
「で? 今何持ってんの?」
「おまえ何もすごくないからな、言っとくけど」

 は? 何? どういうこと?

 おれは頭が回らなかった。

 お前ら、昨日までおれに、さすがだとか、いいなあとか言ってたじゃん。カメラだってうらやましがって、べたべたしてたじゃん。それがなんだよ。ていうか誰のせいでこうなったと思ってんだよ。

 言いたいことがぐるぐるまざって、こんがらがって、何も出てこない。
 だから余計にむしゃくしゃして、小石を力任せに蹴った。

 ……空ぶった。

 転びこそしなかったけど、三人はおれを見てげらげら笑って、逃げるように走っていった。

 追いかける気力も湧かず、通学路に立ち尽くす。
 下校中のやつらが何人も通り過ぎていく。おれは、おれに蹴られずに済んだ石をじっと見つめた。細長くて尖った形をした、白い石だった。
 なんでか知らないけど、おれはそれを拾ってポケットに入れた。
 それから、思い切り走った。
 
 
 おれは息を切らしながら、昨日の水辺にたどり着いた。
 そこに沢木がいたことに、おれは驚かなかった。
 だけど、沢木がおれに驚かなかったことには、ちょっと驚いた。

「よ、木原」

 しかも、名前を呼ばれた。同級生の誰よりも低い声だった。
 おれは息を整えながら、沢木を正面から見る。

 ちょっと伸びた髪。沢木、と名前の入ったジャージ。ジャージに似合わないくたびれたランドセル。靴を脱いで、はだしで水に入っている。にやっとうすく笑う口が気味悪くて、おれは目をそらした。

「……知ってんだ、おれの名前」
「何言ってんの、同じクラスじゃん」
「いや、でも……」
「これ」

 沢木が足元を指す。岩の上で、石の塔が、昨日と同じ形でそこにあった。
「見に来たんでしょ?」

 丸い石、でこぼこの石、細い石、平たい石……。全力疾走したから、まだ胸がどきどきしている。でも、石の塔は落ち着いていた。ぬれていたところが乾いた以外は、昨日とひとつも変わらなかった。見ていると、どきどき鳴っていた胸もぐらぐらしていた景色も、普通になっていく。

 これを見に来たんだ、おれは。

「いやー、我ながらうまく積めたわ、最高傑作かも」

 沢木が水から上がる。足の指からしずくが落ちて土をぬらす。ジャージのポケットから、じゃら、と音が聞こえた。

「また、石拾ったの?」
 おれはやっと、それだけ絞り出した。

「うん」
「何で?」
「きのう、見てたでしょ? これのため」

 やっぱりばれてたんだ。うすうすわかってたけど、顔が一気に熱くなる。沢木の余裕そうな表情を、まっすぐ見られない。

「……っだから、これが、何」

 ついさっきは、石の塔を見て心が落ち着いてくる気がしたのに、そうじゃなくなってきた。石の塔は、ちっぽけなのに堂々としていて、おれのことを見下しているみたいだ。

 池内も、内山も、山田も、田口も。あいつらがおれを見る目を思い出す。
 おれ、ずっと見下されていたんだな。
 ちくしょう。

 積まれた石をぶっ壊したいと思った。そうしてやろうと思った。石も、沢木も、むかつくから。

 だけどおれがつかみかかるより早く、沢木の足が、石の塔を蹴飛ばした。

「……は?」

 空気の抜けたみたいな声が出た。
 丸い石、でこぼこの石、細い石……。ばらばらと地面に落ちていく。いくつかは転がって、弾かれて、水に落ちた。

 ぼちゃん。

 何も言えないおれと、何も言わない沢木のあいだに、川の音が流れていた。

「え、なんで……」
 せっかく上手く積まれていたのに。

「また作る」
 沢木はにっと笑うと、ポケットからじゃらじゃらと石を出した。昨日みたいに岩の前にしゃがみこんで、取り出した石をひとつひとつ、手のひらに乗せて形を見ている。

「積むの?」
「うん」

 なんで?

 聞きたいけど、沢木は石に向き合い出すとおれなんていないみたいに集中していて、聞けなかった。

 沢木の手が平たい石を置いて、その上に、そおっと四角い石を乗せる。
 乗った。おれはつい息を止めて見入っていた。
 その上に、細長い棒みたいな石。その上に、緑がかった丸っこい石。その上に、また平たい石。

 沢木の手つきは、慎重だけど迷いがない。研ぎ澄まされている。

 気づいたらおれもそばでしゃがみこんで、石が積まれていくところを見ていた。積まれた石は、最初からそこに位置づけられる運命だったみたいに凛としている。ぜんぜん、びくともしない。

 すげえ。

 石を六個積むと、沢木は手を止めておれに言った。
「次、木原の番」
「え?」
「やってみて」
「いや……無理無理、こんなんできねえよ」
「二つ」

 沢木がおれに石を差し出した。平たい、安定感のありそうな四角い石だった。

「二つだけでも積めば、砦になる」
「え……何?」
「砦」
「トリデ?」
「そう。自分だけの安全な城。砦を立てて、おれはここにいるぞって石に教え込むんだよ。別に崩れたっていいんだよ。石はおれがここにいたこと、わかってるから」
「よく、わかんない」

 けど、受け取ってしまった。平たい石を、沢木が作った塔、いや、トリデ? の、隣に置いてみる。

 それから考えるより先に、手がポケットに伸びた。かたいものに当たって、あ、と思う。つかんで取り出す。細長くて尖った、白い石。
 まるでおれの手の動きもそう仕組まれているみたいに、自然と、それを平たい石の上に置いていた。ちゃんと乗った。沢木の塔に比べたら簡単で、つまらないトリデだ。だけど、石と石は重なって、びくとも動かなかった。

 おれはここにいる……。

 沢木の言うことはよくわかんなかったけど、なんとなく、わかったような気持ちで言葉を繰り返す。おれはここにいる。つまり、おれはここにいるってこと……。

「写真撮らないの?」 
「……うるせえ」
「昨日は撮ってたじゃん」

 そんなとこまで見てたのかよ。また顔が熱くなる。本当はおれだって写真を撮りたかった。ここにカメラがあれば……。

「沢木、お前、なんか先生たちと仲いいよな」
「え? 別に仲良くないけど」
「いろんな先生に話しかけられてたじゃん」
「まあ、訳ありだから、一応声かけるんじゃない?」
「……協力してよ」

 まさか、自分がこんなことを言うなんて思わなかった。だけど、あいつらはもう頼れない。ムラセンに頭下げるのも悔しい。おれはおれの手で、父さんに買ってもらったカメラを取り返したい。
 沢木はにっと笑った。

「話は聞こうか」
 
 
 次の日、おれは朝早く家を出た。沢木、あいつ大丈夫かな。本当に来るんだろうな……と思っていたら、おれより早く門にいた。背が高いから一瞬先生かと思う。しかも手ぶらだ。思わず苦笑いする。

「おはよ」
「よ」

 片手を振りあって、門をくぐった。

 校庭には誰もいない。花壇当番も、白線係も、日直も、まだ来ていない。でも先生はもうけっこう来ているみたいだ。職員室のある二階に着くと、人の声が聞こえた。

 おれたちは頷きあい、まずは沢木が前に出る。おれはいったん、廊下の掃除用具入れに隠れることにした。

「絶対怪しまれると思うけどな」

 沢木がへらへらしながら職員室へ向かった。
 作戦はこうだ。沢木とあらかじめ作っておいた石の塔の方に、先生たちを誘導する。沢木が「あやしいものがある」とでも言えば、みんな見に行くだろう。その隙におれが職員室に忍び込み、カメラを取り返すというわけ。

 石の塔は朝礼台の上に作ってきた。さすが沢木。なかなかの出来だった。

 知らない先生の声。沢木とあいさつをしているのが聞こえる。
 沢木? こんな時間にどうしたんだ?
 時々来るんです。クラスメイトがいない時間だと気が楽だから。
 何だそうだったのか。
 それより、外に不審なものがあります。だから報告にきたんです。
 不審なもの?

 掃除用具入れの戸をうすく開けて廊下を見る。何人かの先生が階段を降りていく足音がする。みんな沢木に連れられて朝礼台を見に行くんだ。

 でもまだ職員室には誰かがいるかもしれない。

 その場合は、先に別の場所に誘導することになっていた。裏庭だ。裏庭へ行くには、掃除用具入れの前を通って反対側の階段を降りないといけない。でも沢木たちは、ここを通らなかった。

 ってことは、職員室には誰もいない。朝早い時間だから先生たちも油断したんだろう。

 おれは慎重に掃除用具入れを開けて、外に出た。油断はできない。足音を立てずに、職員室に向かっていく。

 忍び込むなんて初めてだ。心臓がうるさく鳴っている。でも正直、沢木をつけていた時ほどじゃない。

 半開きになっている戸を、そっと開けた。

 いつも漂っているコーヒーのにおいすら、まだしていない。本当に誰もいない。どの机もプリントやらなんやらで散らかっている。

 おれはさっと部屋に入って、戸を閉めた。
 まずはムラセンの机。置いてある書類をどけてみた。机の上にはない。次に引き出し。開ける。うーん、見つからない。
 次は担任の袴田先生の机。探す。ない。
 ついでに同じ学年の先生の机をぜんぶ確かめた。
 もう一度ムラセンの机に向かったとき、おれはロッカーの上にある箱に気が付いた。

「没収品」

 習ってない漢字だけど読める。箱にはそう書かれていた。
 ジャンプして手を伸ばす。ロッカーは背が高くて届かなかった。椅子を持ってきて乗ろうかと思ったけど、職員室の椅子はどれもキャスター付きで、けっこうあぶない。

 しまったな。沢木だったら届くかもしれないけど……。

 沢木だったら……。

 そうだ、足場を作ればいい。

 石を積んでいく沢木の手つきが、ありありとよみがえってくる。

 ざっと職員室内を見わたした。コピー用紙が入っている箱がいくつかあった。まずはそれを積み重ねることにした。けっこう重たいけど、椅子に乗せて転がせば簡単に動かせる。箱を、四つ。それを足台にして立ち上がり、手を伸ばす。もう少しで箱に手が届きそうだ。

 定規でつついて落とそうか。でも箱はけっこう頑丈で、重たそうだった。落ちてきたらケガをしそうだ。
 コピー用紙の箱をもうひとつもってくる。
 まだ少し足りない。
 いちばん近い机に置いてある教科書、紙の束。とにかく積み重ねていった。足場がどんどん高くなる。ひといきでは登れなくなったから、一度机の上に立って足場に移る。

 心臓がきゅっとなる高さだった。

 足元は紙だからすべりやすい。それでも高さは充分だ。

 慎重に、慎重に。腕をのばす。箱には持ち手がついている。ちゃんとつかめた。

 引っ張ってみる。案外、軽かった。

 本当にカメラが入っているのかと不安になるけど、とにかく開けて見るしかない。

 おれは箱を両手で少し持ち上げて、片手に持ちなおす。それからまた慎重に、机の方に足をのばした。

 紙が、すすっとずれる。

「ひっ」

 落ちる!

 なんとか机の上に飛び乗った。

 同時に、積み重ねていた書類がばさばさと崩れた。
 心臓がどきどきしている。おれは机の上に座り込んで、床に散らばったいろいろを見下ろしていた。

「あーあ」「うわっ」

 声が聞こえてきて跳ね上がる。マジで心臓に良くない。見ると、沢木が廊下からこっちを覗いて、にやにやしていた。

「そういう時は箱を上に置くんだよ。その方が足場が安定するだろ」
 
 
 カメラは確かに没収箱の中に入っていた。取り返したあとは、沢木が箱をもとあった場所に戻してくれた。こいつ、マジで背だけは高くてむかつく。

 でも、頼もしい。

 今まで付き合ってきたやつらとは味わったことのない充実感が、おれを満たしていた。

 二人で、大急ぎで書類をもとに戻した。たぶんめちゃくちゃになっていただろうけど。知らない先生に、さすがに心の中であやまった。

「さ、急ごう」
「待て」
 沢木よりも低い声がかぶさって、おれたちは飛び上がった。廊下でムラセンが、待っていたかのように仁王立ちしていた。

 あ、終わったな。

「村野先生、どこにいたんすか」

 沢木は余裕ぶった声を出してるけど、ぎこちない。

「隣の資料室にいたよ。で、あれこれ落ちる音がしたから何かと思ったら……」

 ムラセンのため息が、おれにまで聞こえてきた。
 よく考えたら、不審物があるってのに先生全員がぞろぞろ行くわけがない。ムラセンが残っているから、みんな移動していったんだろう。
 さすがに沢木もたじろいでいる。

 手に持っているカメラを隠すところもない。ポケットに押し込もうとしてももう遅かった。
 また没収されたら、今度こそかえってこないかもしれない。
 いや、それどころじゃないか。下手したら、退学とか?

 そんな覚悟までしていたのに、ムラセンから出てきた言葉はまったく予想外のものだった。

「おまえら、仲良かったのか」
「まあ、同じクラスなんで」

 沢木の答えに、おれは噴き出す。ムラセンに睨まれて、あわてて笑いを引っ込める。ムラセンは眉間にしわを寄せて、おれたちをどう叱ろうか考えているみたいだったが、出てきたのは怒鳴り声ではなかった。

「……まあ、ちょっと安心したというか」
「え?」
「それより、自分たちが何したかわかってるのか?」
「うっす」
「反省してないだろう」

 あ、やっぱりやばそう。
 沢木と目が合う。走って逃げようか。よし、走ろう。いや、でもさすがに……と目で言いあっていたら、ムラセンが先を続けた。

「まあカメラはいいよ、どのみち今日の朝に返すつもりだったから」

 逃げるに逃げられなくなった。
 ムラセンはまたため息をついて、こういった。

「二人で思い出の写真でも撮ることだ」
 結局、おれたちは反省文を課されただけで解放された。二人そろって三回も書きなおさせられたのは、また別の話だ。
 
 

 始業までまだ時間があった。もう家に帰るという沢木を引き止めて、おれはひとつだけ聞きたかった。

「何で協力してくれたんだ?」

 別に仲が良いわけでもないのに。そしたらこう言ったんだ。

「打算、かな」
「ださん?」
「木原」
「何だよ」

 沢木は改まった顔で、ポケットに突っ込んでいた手をわざわざ出した。石がこすれる、じゃり、という音がした。

「頼みたいことがある。カメラもって、放課後に水辺に来いよ」

 たまにはそっちが学校に来いよ、と言ったら、沢木はごまかすように笑った。

 昨日の今日で、山田たちはおれをシカトしている。でも構っている暇なんてない。しっかりカメラをランドセルの奥にかくして、何事もなかったように授業を受ける。そうしてあっという間に放課後になった。

 水辺では、沢木がまた川に入って石を拾い集めていた。

「おまえ、毎日こんなことしてんの?」

 興味とかを通り越して呆れてくる。声をかけると、沢木はすぐに石を拾うのをやめて、岸に上がってきた。

「今からおれんち来て」
「え、」
「撮ってほしいもんがあるんだよ」

 そこから沢木の家は、歩いて五分くらいだった。その間おれたちは無言で、おれはランドセルに隠してあるカメラが気になってしかたない。撮ってほしいって、このカメラでってことか? ランドセルが当たっている腰のあたりがむずむずしてくる。いったい何を撮るっていうんだろう。

 たどり着いた一軒家は、花も車もなくてさっぱりしていた。おれの家よりちょっと小さいくらいに見える。

 沢木が鍵を開けて玄関をくぐる。沢木の低い声が、ただいまー、と伸びていくのが妙におかしい。おかえりー、と、同じくらい低い声がした。誰かいんの? と小声で聞いたら、沢木も小声で答えた。

「父さんがいる」

 日曜日じゃなくても父さんがいるんだ。おれはとっさに、うらやましいと思ってしまった。

 人んちの匂い。下駄箱の上も、置物や写真みたいなものが何もない。すっきり掃除されたフローリングの床。人が住んでいないみたいだ。

 沢木がドアをひとつ開けると、すぐにそこがリビングになっているとわかった。

 でも、すぐに目に入ったのはリビングらしからぬベッドだった。

「え、何だ、友だちか?」

 ベッドに横たわっていた男の人が、体を起こして目を見開いている。

 この人が沢木の父さん? 正直、顔はぜんぜん似ていない。でも、確かに沢木の父さんだ。おれはあいさつも自己紹介も忘れて、ベッドの上のテーブルに見入ってしまった。

 石が積まれてる。

「うん、友だち」

 沢木がおれをそう紹介するのが、遅れて耳に入った。
 友だち、か。

「……あ、木原亮太です、お邪魔してます」

 あわてて頭を下げると、沢木の父さんはにっと笑って言った。

「何もないけど、ゆっくりしてどうぞ」

 笑顔が沢木によく似ていた。

「何もなくないだろ」

 沢木はそう言うとベッドに近づいて、布団の上に、今拾ってきた石をばらばらと出した。おれは一緒にそばまで行っていいのかわからずに、その場からふたりを見ている。

「またこんなに拾ってきたのか」

 沢木の父さんは、叱っているようなセリフだけど、ぜんぜん叱っていない。

「いくらでも拾ってくるよ。これ、積んでみて。あいつに撮ってもらおう」
「とるって?」
「写真」

 沢木がおれを振り向いて、「早く来い」とあごで言った。おれはいそいそとカメラを取り出して、沢木の隣まで行く。

 近くで見ると、ベッドはおれがいつも寝ているようなベッドじゃない。上半分がななめに持ち上がっているし、備え付けられた白いテーブルもめずらしかった。隣には点滴台まである。沢木の父さんはおれのカメラを見て、「へえ」と息をもらした。

「亮太君、良いカメラ持ってるんだね」
「誕生日に買ってもらったんです」
「宗助、こんなカメラで撮ってもらうの申し訳ないよ」
「いいや、撮ってもらう。こいつに貸しもあるし」
 おれは頷く。
「……じゃ、撮ってもらおうかな。その前にジュースでも出してあげなさい」
 言いながら、沢木の父さんがベッドから立ち上がることはなかった。
 
 
 それは名人技だった。

 沢木の父さんが石を積み上げると、そこが川辺になったみたいだった。

 小さい石の上にでかい石をバランスよく積むし、細長い石を縦に置くのだってお手の物だった。びっくりして、シャッターを切るのを忘れそうになるくらいだった。その度に沢木に小突かれて、写真を撮る。撮ったら、沢木の父さんはすぐに崩してしまう。もったいないと思ったけど、同じ石で今度は別の積み方をしていくのを見るのも面白かった。

 写真フォルダは石の塔でいっぱいになった。
 いや、砦か。沢木が砦と言っていたのは、この人の影響なんだろう。

「亮太君、面白い?」
「はい」
「君も変わってるねえ」

 砦の撮影をする間、沢木はほとんどしゃべらなかった。自分の役目はもう終わったというみたいに。

 そんなことを、一時間くらいやっていた。窓からの光で明るかった室内が、だんだん暗くなってきた。

「変なオヤジだなって思うでしょ」

 沢木の父さんが言う。おれは何て言ったらいいのかわからなくて、黙っていた。

「だけどねえ、こんな変なやつでもここにちゃんと生きてるんだぞって、こう、石に念じながら積んでいるとね、それが地球にも伝わっていくような気持ちがしてくるんだ」

「地球?」

「そ。見ての通り、外にも滅多に出られないからねえ。地球におれのこと、覚えておいてもらわなきゃ、と思うわけ。車いすじゃあ、石を拾いにもいけないしな」

 沢木の方をぱっと見ると、沢木は気まずそうにその場を離れて、電気のスイッチを入れた。部屋が一気に明るくなって、カメラの画面が一瞬、真っ白になった。

 こいつ、父さんのためにあんなに石を持ち歩いてたのか。

「でも、地球に覚えてもらうより、人に覚えてもらう方がよっぽどうれしいね」

 新しい砦が完成した。いちばんてっぺんに、いちばん大きい石を乗せた、とんでもないものだった。

「亮太君、たくさん撮ってくれてありがとうね」

 お礼を言われるのは違うような気がした。だって、沢木には借りがあるから。それに、写真を撮るのはすごく楽しかった。

 水辺で沢木が言っていたことを思い出す。

 おれはここにいるぞって、教え込むんだ。自分だけの安全な砦を立てて。
 沢木や沢木の父さんが作る砦を見ていると、なぜか自分も、「ここにいる」と言ってもらえているような気がしてくる。

 おれはここにいる。そう思って、そう言っていいんだって、励まされているみたいだった。

 新しいカメラ、ゲーム、時計。そんなものがなくたってよかったんだ。
 だって、おれはここにいるんだから。

 気づいたら、喧嘩したままのあいつらの顔を思い出していた。

 明日学校で会ったら、仲直りをしよう。物じゃなくて、おれと仲良くしてほしいから。おれはおれの体と心で仲良くなりたいから。もちろん、あいつらにも謝ってもらわないといけないけど。
 
 
 途中まで送ると沢木は言ったが、恥ずかしいから断った。かわりに、玄関先でちょっとだけ話をした。

「父さん病気でさ、歩けないし、口から食べることもできないんだ」
「……うん」
「砦は、崩れても遺らなくてもいいって、父さんが言うからおれもそう思ってた。けどさ、やっぱり、残しておきたくなった。木原が、俺の積んだ石を撮ってるの見たらそう思ったんだ」
「……これ、プリントして渡すから」

 西日がまぶしい。取り出したカメラのレンズが光を反射して、沢木が目を細めた。

「だから、学校来いよ。ここまで届けるのとかだるいし」

 沢木は目を細めたまま、にっと笑って言った。

「反省文が書けたら行くよ」

 でも、おれはまたここに来るんだろうなと思った。お礼とか貸し借りじゃなくて、きっとまた遊びに来るだろうなって。

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