「熱笑」には「熱笑」を〜『永遠に∞』のグロさと、だからこそ美しいいぎなり東北産という物語〜
2026年8月13日。いぎなり東北産11周年ライブ「11回目の真夏のヒロイン」大宮ソニックシティ大ホール公演に行ってきた。
周年ライブとして完璧だった。いぎなり東北産は本当にいいグループだと思った。
ただ、今日はそういうライブ全体の感想を話したいわけではない。新曲『永遠に∞』についてこの公演を通して思ったことがあり、しかしそれはツイートするには長すぎると思ったので、この記事をもってその話をする場としたい。
アイドルと永遠
先日、iLiFE!の自己紹介ソング『会いにKiTE!』のMVを見ていた。そこに次のようなコメントがあった。
これが最後の会いにKiTE!だったらいいな
自己紹介ソングは、メンバーが入れ替わる度に更新されるのが普通である。すなわちこのコメントは「もうこれから脱退・卒業も加入もなく現体制が続いてほしい」という願いであり、とりわけ比較的入れ替えの激しいグループであるiLiFE!のファン心理としては極めて自然であると思う。
自分の好きになった体制がずっと続いてほしいと願うことは、もしかすると(もしかしなくても?)どの界隈でも多数派なのではないか。
≠MEは今年6月に菅波美玲が卒業するまでの7年間、初期メンバーの12人で活動してきた。だからこそ卒業が発表された時、この12人のまま夢を叶えて最後までやり抜くと思っていたという旨のことを多くのファンが口にしていた。それどころか近年はメンバーや運営サイドもこの12人ということに強くこだわっていたようにすら見えた。
好きなグループが形を変えることなく、誰一人辞めずに活動を続けることは、アイドルオタクの一つの夢と言えるかもしれない。
僕自身、昔はちみつロケットというグループに通っていた時、センターであった雨宮かのんが卒業してから、なんとなく足が重くなった経験がある。僕の推しメンは彼女ではないにも関わらず、新体制になってからは少しだけ興味が薄れてしまった。最後まで欠けることのない7人グループのまま続いていたら、と思った日は数えきれないほどあった。
「辞めないでほしい」は醜悪ではないか
それでも僕はここ数年、アイドルに対して「誰一人辞めないでほしい」と思うことは醜悪なんじゃないかと考えるようになった。だから(途中で行っていない期間はあったけれど)長年推してきた吉瀬真珠に対しても、ずっとアイドルでいて欲しいと表で言うことは極力避けるようになった。
アイドルの卒業を否定することはアイドルのセカンドキャリアを否定することであって、それはたとえば中高生から活動しているアイドルが普通の青春を捨ててアイドルの活動に全てを捧げることを美徳として消費することなんかよりもずっとずっと悪趣味ではないかと、そう思うようになったのは、僕が社会人になった頃だった。
僕は前職では教育業界にいた。バイト時代も含めれば随分長くいたように思う。最初に担当した生徒はもう既にお酒を飲める年齢になってから何年も経っている。
教育業界では、毎日が楽しかった。1日として同じ日はなく毎日新鮮で、エネルギッシュで、やりがいに満ちていた。適性もあったと思う。信頼してくれていた生徒も保護者もたくさんいた。今でも僕の誕生日を覚えていて、毎年連絡をくれる卒業生も何人かいる。本当に輝かしい日々だったと思う。
それでも僕は、この働き方を一生は続けられないと感じた。休みは少なく、そのわずかな休日も電話がかかってくれば対応するし、模試等による休日開校の対応をしている講師へのフォローもするし、それらがなくても授業の準備や生徒に関する考え事で、本当の意味で心身休まった休日は1日もなかったんじゃないかと思う。給与は僕の出した結果に対して足りていたとは思えなかったし、社内で褒められることもほとんど無かった。僕の成し遂げたことの分だけ報われたかというと、全くそんなことはなかった。それでもこの仕事に尽くすことが僕の人生の全てであると思っていた時代は、苦なくこの生活ができた。楽しくもあった。しかしある日、僕は生徒の目標達成のためだけに存在する装置ではないということ、僕自身にも人生があって実現したい未来を手に入れようとする権利があり、自分はそうする主体であるということに気づいてからは、教育業界でのこの日々をいつか手放さなければならないと思うようになった。僕はその時夢から覚めてしまったのだ。
そうして僕は、信頼できる後任が確保できた後の、1年の中で一瞬だけ多忙さが途切れる月に退職した。そのタイミングを逃せばノンストップの受験への日々が始まるため、そうなる前にと急いで辞めた形だった。
半ば急ぐ形で辞めたのには他にも理由があった。
僕は務めていた会社の理念に心から共感していたので、僕の中でその会社を辞めるということはすなわち教育業界を辞めることを意味していた。他社で教育業をやる気は無かった。そうなると、必然的に未経験転職をすることになる。もしそうするのなら、一人前として認められ、さらに新人教育やプロジェクトリーダーといった一段上の役割を任されるようになる頃にもまだ20代でいたいと、僕は考えた。「新人」を脱した状態で30歳を迎えたいと思った。仕事を覚え、一人前になるのに3〜5年かかると考えれば、25歳だった当時が既に限りなくラストチャンスに近いように思えた。
こうした様々な条件が重なって、僕にはあの瞬間が目の前を一度きり通過する列車のように思えた。ここで乗らなければ二度とこの列車と同じ場所には行けない。そう思い、僕は飛び乗った。あのタイミングを逃していたら、今の仕事とも出会えていないし、少なくとも今はまだ教育業界にいたと思うし、もしかすると5年後も、下手すると一生教育業界から抜け出せなかったかもしれない。
あの時前職を辞めた決断は正しかったと、今僕は思っている。手遅れになる前に自分の人生設計を再考し、それをより良くするための一瞬の行動のタイミングを逃さなかったからこそ、僕はそう思えている。
あの時誰かに「教室がいい方向に向かい始めた頃なんだから、今辞めるべきではない」とか「あなたが教育業界を志した理由を思い出しなさい」とか言われて強引に転職を阻止されていたら、僕の人生はどうなっていただろうか。いや、それはそれで一つの幸せな人生を歩めていたかもしれない。しかし、僕の今歩んでいる人生より幸せだったかというと、多分そうではない気がする。今の方がはるかに充実していて豊かに生きることができている感覚がある。
ここから導かれるのは、アイドルに「アイドルを辞めないでほしい」と表明すること自体、ひどくグロテスクな行為なのではないか、ということだ。そうだろう、僕は「何人もの人に引き止められながらも、後ろ髪引かれる思いであの時転職する決断をして、そしてタイミングを逃さず行動に移せてよかった」と思っている一方で、そういう時期が人生には存在することを知っていながらアイドルには「この先の理想の人生のための唯一かもしれないタイミングを僕のために見逃してください」と要求する、そんなダブルスタンダードがあっていいはずがない。
僕も大人になったということだ。こうして僕は、アイドルに対する「卒業しないで」という言葉を、脳内の「浅慮な言葉」フォルダに移した。
アイドル自身に歌わせるグロさ
そういえば以前、=LOVE『絶対アイドル辞めないで』への批評で「アイドルにこの歌詞を歌わせるのはなんてグロテスクなんだ」といったようなものを見たような気がする。探してみるとそのように言及している記事は何個も見つかった。どれも以前見た記事の記憶と完全には一致しないが、いずれにせよアイドルに対して我々アイドルオタクが「辞めないで」と思うことは暴力的な側面があって、それをアイドル本人に歌わせるという行為が、アイドル自身に「辞めないで」という言葉を強烈に意識させるある種の呪いのようでグロテスクだ、というのは少なくないリスナーが、アイドルオタクが感じていることなんだと思った。
だとすると、今回リリースされたいぎなり東北産『永遠に∞』も=LOVE『絶対アイドル辞めないで』と全く同じようにグロテスクな曲だと思う。それどころか、あくまでファン感情としての「絶対アイドル辞めないで」というフレーズを最後に「これは報われないおとぎ話」と表現することで締めくくった『絶対アイドル辞めないで』よりも、一人称で「(アイドルを)やめない」と歌わせている『永遠に∞』の方がはるかにグロテスクとすら言える。アイドル以外の道を封鎖する「やめない」という言葉を、メンバー自身の言葉として、自ら歌っている(歌わせている)。自分に呪いをかけているような構造と言って差し支えない。
絶対やめない 絶対絶対やめない
ピンチもパンチもにっちもさっちも
できるできるできるできる!
ヤメナイ! ヤメナイ!
ハチャメチャGOODDAY
時代のカリスマ
だって123で解決
サクセス 冴え渡るコントロール
嫌! 嫌! ヤメナイ! ヤメナイ!
むちゃくちゃBADDAY
虹色に染めろ
だって無敵の仲間
∞ FOREVER YOUNG
や・め・な・い! や・め・な・い!
私はゼッタイや・め・な・い!
や・め・な・い! や・め・な・い!
あなたもゼッタイや・め・な・い!
や・め・な・い! や・め・な・い!
私は勝つまでや・め・な・い!
や・め・な・い! や・め・な・い!
あなたも勝つまでや・め・な・い!
やめない...やめない...
やめない...やめない!
これが仮に、昔みたいにメンバー全員が中高生だった時代の曲だとしたら、そこまでグロテスクではなかったと思う。根拠のない無敵感を持ちながら、今この時間が永遠だと思う、それは思春期の青春そのものだ。
しかし、いぎなり東北産はもう幼くない。年齢でいえば、最年少のメンバーでさえ、大学に進学していれば(そしてストレートで入学・進級をしていたら)大学を卒業する歳である。
もう今は流石に、いくらなんでも永遠なんて不可能であると理解している。不可能だと分かった上で嘘を歌わされているのである。
その曲を活動の最初期から曲を提供し続けているパンダライオンが書いているのだから、なおのこと醜悪ではないかと、僕にはどうしてもそう思えてしまった。
いぎなり東北産という「熱笑」
そういうことを考えているうちに、日付はいぎなり東北産11周年ライブ「11回目の真夏のヒロイン」大宮ソニックシティ大ホール公演当日に変わっていた。
僕は昼食をとりながら、先日放送された『ライバルたちがめっちゃ褒めてくる!~アイドル同士の本音レビューSP~』を見た。東北産特集回である。愛があり、非常に素晴らしい構成だった。
「学校で出会っていたら絶対に同じグループにならないであろう9人だが、9人の夢があるだけで同じ方向を向く」「全員表現したいものは違うけれどグループに対する思いが一緒だから一つになれる」
いぎなり東北産というグループの最も美しい部分がフィーチャーされていて良かった。
号泣しながら伝えた橘花怜の「(正解のないアイドル界で)みんながたくさん正解だと思うものを探してくれて、それにたどり着こうとみんなで頑張ってきたから今があるので、その選んでくれた道を『これが正解でした』って一番大きいステージで言いたくて、うちらだけが見れる一番綺麗な景色を見て『綺麗だな』『これが正解だな』って言いたいです」という言葉は、あまりにも情熱的で僕の胸を打った。それを見たメンバーは笑っていた。しかしそれは嘲笑ではなく、温かく包み込むような笑みだった。それももの凄く良かった。
そんな素敵なグループであるいぎなり東北産は、この日も1時間半を超える(先述の通り)最高のライブを見せてくれた。
『永遠に∞』への橘花怜の曲振りが印象に残っている。要約すると「東北産は近年可愛い系もできるようになった。もうどんなジャンルもできるので、これからどんな時代が来ても対応できると思う。だから夢を叶えるためにあと一つだけ必要なことは、やめないこと」というものだった。
橘花怜は純粋な目でその言葉を放った。そして他のメンバーは心からその言葉を信じているように見えた。その様子は、とてつもなく格好良く思えた。
『永遠に∞』の後は、『ハイテンションサマー』『おのぼりガール』そして『天下一品〜みちのく革命〜』と続いた。
東北産の活動最初期から歌い続けてきたアンセムは、この日のライブでも美しく輝いていた。
一生懸命 やれること 信じていれば
いつの日か いつの日か 願いが奇跡に変わる
完全燃焼 どんな時も 貫いていくよ
燃え上がる 生き様を 受け止めて
まだほとんど何の物語も始まっていなかった時代の曲が、なぜこれほどまでに東北産の本質を突くことができるのだろうか。
こうしてライブが締め括られたと会場の全員が思ったところで、最後にもう1曲披露された。
その曲は『結び』──
想い出と去って行くこの世界を
振り返って愛おしむ暇もないくらい
駆け抜けた年月で刻んで行く
生き急ぐ事を止めない
僕らの存在を
覚えていて欲しいんだよ
君にずっと見てて欲しいんだよ
何度でも咲かせて 散っては芽吹いて
その一時を君とずっと重ねたい それだけだ
「結ぼう」
夢さえも途切れてくこの世界で
まだ一途に明日を描き続けた
愚か者 パレードよ続いて行け
そしてまた踊り出す
いつまでも最高の宴を
騒げ 騒げ
どうしようもないくらいの
僕らの証明を!!!!!!
今ここに
僕はこの曲がとても好きだ。
愚か者 パレードよ続いて行け
特にこのフレーズがパンチラインだと思う。
「愚か者」という単語はアイドルの歌う歌詞にしては強すぎる。それでも確かに、夢さえも途切れてくこの世界で「まだ」一途に明日を描き続けるのなら、大人になって現実を知った上でなお無邪気に夢を追い続けるのなら、その様子はある人には「愚か者」と映るかもしれない。そのことに自覚的になりながら、自らを「愚か者」とラベリングしながら、それでも「パレードよ続いて行け」と願う。自らの意思で、まだパレードという形で進み続ける。その姿こそが紛れもなく自分たち自身なんだと、その姿を見ていてほしいんだと、そう主張するのがこの『結び』という曲だと僕は思う。
そしてこの曲を、11周年ライブの1公演であるこの日の最後に持ってきたことに、明確な意図を感じた。
そうだ。いぎなり東北産とは、そういうグループだった。
彼女たちのパフォーマンスを見て、僕の考え方は少しだけ変わった。
確かに、アイドルに対して「卒業をしないでほしい」と願い、それを表明することは、ある側面では暴力的だと思う。醜悪だ。しかし、それが醜悪であると改めて言及すること、それを一方的に浅慮とレッテル貼りすること、それを理由に自分の純粋な感情を押し込んで一歩引いて見ること、これらはアイドルを冷笑的に見ていることとなんら変わりないことに気がついた。アイドル本人の人生を尊重しているというポーズだけをとり、それを免罪符に冷笑しているようなものだ。
いぎなり東北産というグループは、そんな「冷笑」とは正反対にいるグループであった。
彼女たちは、いつか終わりがくることを知っている。タイムリミットの存在は強く認識している。それでも、彼女たちは今でも変わらず夢を見ている。どこへでも行けるということを疑っていない。永遠だって、やめないことだって、叶うと思っている。そうすれば手に入れたい未来は手に入れられると本気で信じている。矛盾していると分かっていても、心からそう信じて疑わない。辞書に載っているような規範的な日本語ではないが、彼女たちは「冷笑」の逆「熱笑」そのものだと思う。いぎなり東北産はそういうグループだ。だからこそ彼女たちはここまで魅力的なんだと思う。
だから僕も、「アイドルに対する辞めないでほしいという表明は浅慮だ」という冷笑はやめることにした。ディズニーランドにいるミッキーが園内ではまごうことなき本物のミッキーであると信じることで得られるものがある。それと同じだ。「熱笑」には「熱笑」で返そう。いぎなり東北産は全てを勝ち取るまでやめずに今の9人のままでいてほしいと僕は思う。吉瀬真珠にも、まだまだアイドルでいてほしい。先日観た『アイディール・セミナー』で吉瀬真珠の演じた役がダンス付きの可愛らしいキャッチーな曲を歌っているのを見た時、当然演技はずっとよかったのだが、申し訳ないがそれ以上に吉瀬真珠に一番似合うのは歌って踊ることだと思ってしまった。僕はステージの上で歌って踊っている瞬間が一番可愛いから吉瀬真珠のことがずっと好きなのだ。
いぎなり東北産は『永遠に∞』で、勝つまでやめないと、何だってできると歌っている。きっと心からそう信じて歌っている。そして僕もそれを信じようと思う。そうすることで今この瞬間、いぎなり東北産も僕も永遠を信じていることになる。ライブという演者と観客がその対話を通して作り上げる物語の中でその両者が永遠を信じているのなら、今この瞬間、この場所に限っては永遠が存在するとしていいんじゃないか。
『永遠に∞』は「熱笑」の物語であるいぎなり東北産だからこそ意味を持つ楽曲であって、そして僕とメンバーとでお互いの「熱笑」を、永遠を確かめ合う、そんな楽曲なんじゃないかと思うようになった。
いぎなり東北産がいぎなり東北産であるのを「やめない」のなら、僕もそういういぎなり東北産の言葉を信じることをやめない。大宮での11周年ライブを通して、僕はそう思った。
