笑いすぎる妻と、静かな私の話
我が家には、ひとつの現象がある。
それは——
どこからともなく聞こえてくる笑い声。
リビングでテレビを見ていようが、
スマホで動画を流していようが、
「フフッ」
「アハハ!」
「ちょっ、待って無理無理!」
と、空間のどこかが急に賑やかになる。
発生源は決まっている。
我が家の最終兵器、妻である。
感情が薄いのは、私なのか問題
最初はこう思っていた。
「自分は感情表現が乏しい人間なんだ」と。
同じ動画を見ていても、
私は“面白いな”とは思う。
でも、声は出ない。
一方、妻はどうだ。
・笑う
・声出す
・なんならツッコミも入れる
完全に“ライブ会場”である。
私は横で静かに鑑賞する観客。
「うーん…自分、冷めてるのかな」
そんな風に思っていた。

車内で起きた、謎の現象
しかし、ある日。
その認識が揺らぐ出来事が起きた。
息子のところへ用事があり、
家族3人で車に乗っていた。
配置はこうだ。
・運転席:私
・助手席:息子
・後部座席:妻(例の発生源)
移動中、私はAmazonオーディブルで
夢をかなえるゾウ
を流していた。
すると——
後部座席から
「フッ…」
「アハッ」
「えっ、ちょっと待って(笑)」
…始まった。
親子、無言のシンクロ
笑い声が聞こえるたびに、
私は助手席を見る。
息子もこちらを見る。
そして——
苦笑いである。
完全に意思疎通が成立している。
「また笑ってるな」
「うん、また笑ってるな」
言葉はいらない。

妻 vs 冷静な2人
たまらず話しかける。
私「ママってさ、よく笑うよね」
妻「え?そんなことないよ?」
息子、すかさず。
息子「笑いのハードル低くね?」
妻「はぁ!?そんなことないし!!」
いや、ある。
めちゃくちゃある。
朝のリビング、実況中継説
また別の日。
朝食時。
妻はいつものようにYouTubeを見ている。
ここで彼女のすごいところが発揮される。
・頷く
・復唱する
・笑う
つまり——
フルリアクション。
もはや視聴者ではない。
共演者である。
昔の自分なら、たぶん引いていた
正直に言う。
昔の自分なら、
「ちょっと何この人…」
と思っていた可能性がある。
いや、もっと言えば、
少しバカにしていたかもしれない。
でも、今は違う。
羨ましいという感情
今はこう思う。
「めちゃくちゃいいな、それ」
何かを見て、
ちゃんと笑える。
ちゃんと反応できる。
これって、すごいことだ。

作り手目線で考えてみる
noteでも、YouTubeでも、映画でも。
誰かが時間をかけて作っている。
一生懸命に。
その作品に対して、
・無反応
・無言
・スルー
よりも、
・笑う
・頷く
・声に出す
こっちの方が、絶対に嬉しい。
作り手からしたら、最高の観客である。
感情が動くという才能
感情が豊かって、
ただテンションが高いって話じゃない。
ちゃんと“受け取ってる”ってこと。
・面白い → 笑う
・共感 → 頷く
・驚き → 声が出る
この一連の流れが自然にできる。
これ、実は才能かもしれない。
事件:10回見ても笑う女
そして極めつけ。
買い物中、息子と2人になった時。
息子が言った。
「ママさ、同じコント10回くらい見てるのに、毎回笑ってるよ」
私「えっ、マジで?」
息子「うん。毎回“初見”みたいに笑ってる」
私「……すげぇな」
初見力という謎スキル
普通、人は慣れる。
2回目、3回目で笑いは減る。
でも妻は違う。
毎回、新鮮。
これはもう能力である。
・記憶をリセットしているのか
・純粋すぎるのか
・ただ単にツボが浅いのか
真相は不明。
結論:羨ましいは正義
最初は思っていた。
「自分が足りない」と。
でも今は違う。
妻を見て思う。
「ああいう風に反応できる人、いいな」
最後に
感情を出すのが上手い人。
感情を静かに味わう人。
どっちが正しいとかじゃない。
でも、
もし少しでも変わりたいと思うなら——
ほんの少しだけ、
・笑ってみる
・頷いてみる
・声を出してみる
それだけで、世界の見え方は変わるかもしれない。
私は今日も思う。
後部座席から聞こえてくる笑い声を聞きながら。
「…やっぱり、ちょっと羨ましいな」
そして同時に思う。
「でも、笑いのハードルはやっぱり低いな」
今日も皆さんがクスッと笑える
一日を過ごせますように♪
いってらっしゃい♪
