蛍ランニングの話
そろそろ思っている人もいるだろう。
「最近ちょっと良い話ぶってない?」
「焼きそば、妻、夢、人生論…なんか丸くなってない?」
安心してほしい。
今日はちゃんとくだらない話である。
私はこの時期だけ夜に走る
私は基本的に朝ラン派だ。
朝の空気。
静かな街。
一日が始まる前の特別感。
あれはあれで好きだ。
だが、年に一度だけ生活リズムを変える時期がある。
それが今。
この時期だけ、私は朝ランをやめて夜ランに切り替える。
理由はシンプルだ。
蛍を見たいからである。
おっさん、蛍に夢中
いい歳した男が何を言っているのかと思う人もいるだろう。
わかる。
自分でも少し思う。
40代のおっさんが、仕事終わりにシューズを履き、
「今日は出るかな…」
と、蛍の様子を気にしているのである。
なかなかの人物だ。
しかし、言わせてほしい。
蛍、めちゃくちゃ綺麗。
あれは反則だ。

人工物ではない光の強さ
世の中には光が溢れている。
街灯。
信号。
コンビニ。
自販機。
車のライト。
パチンコ屋。
夜中でもまぶしいドラッグストア。
人類は光らせすぎている。
だが、その中で蛍の光は違う。
電気でもない。
LEDでもない。
ソーラーでもない。
USB充電でもない。
ただ自然の中で、静かに、ふわっと光る。
しかも消える。
また光る。
この“儚さ込みの演出”がずるい。
誰に教わったんだ。
虫と私の逆転現象
虫たちは光に集まる。
玄関灯の下でグルグル飛んでいる。
街灯に激突している。
どうやら月明かりを頼りに飛ぶ性質があり、人工の光にも引き寄せられてしまうらしい。
なるほど。
つまり彼らは走光性である。
だが私は違う。
私は街灯ではなく、蛍に引き寄せられる。
川沿いを走りながら、
「今日はどこだ…」
「出てこい…」
と探している。
これはもう、
走蛍性(そうけいせい)
※ランマッスル語です
である。
今ここに私が提唱した。
学会発表は未定だ。
川べりで始まる捜索活動
夜の川沿いを走る。
静かな道。
少し湿った空気。
草の匂い。
遠くで犬が吠えている。
そして私は目を凝らす。
すると突然、
ピカッ…
スゥ…
ピカッ…
いた。
今年もいた。
その瞬間、私はランナーから少年になる。
第一蛍発見ダッシュ
「うわぁーー!!いたーー!!」
心の中ではそう叫んでいる。
実際には息が上がっているので、
「うわぁ…いぃ…た…」
くらいである。
だがテンションはMAXだ。
そのまま私は猛ダッシュ。
ペース走でもインターバルでもない。
蛍走である。
GPSウォッチにも新機能として追加してほしい。

手の中の宇宙
ちょうど近くを飛んでいた蛍を、そっと捕まえる。
手の中で、ぼんやり光る。
これが本当に綺麗だ。
小さな命が、静かに発光している。
言葉にすると陳腐だが、実物はすごい。
子供の頃に戻ったような気持ちになる。
「ああ、こういうので感動できる心、まだ残ってたんだな」
と少し嬉しくなる。

iPhone、お前は悪くない
もちろん撮影も試みる。
noteに載せたい。
「ランマッスル、蛍を手にする」
みたいな映える記事にしたい。
しかし現実は厳しい。
写真にすると、
ただの暗闇。
動画にすると、
ブレた闇。
たまに謎の緑点。
蛍の美しさ、肉眼の1億分の1も伝わらない。
iPhoneのせいではない。
たぶん私の腕だ。
いや、両方かもしれない。
感動は保存できなくていい
でも最近思う。
全部を記録しなくてもいい。
写真に残らなくてもいい。
誰かに見せられなくてもいい。
その瞬間、自分が感動したなら、それで十分なのだ。
目で見た景色。
その時の空気。
走った疲労感。
心が少しほどけた感じ。
それはデータ化できない。
でも確かに残る。
大人になると見なくなるもの
蛍って、大人になるほど見なくなる気がする。
忙しいから。
夜に外へ出ないから。
そもそも探しに行かないから。
でも、見に行けばちゃんといる。
子供の頃と同じように光っている。
変わったのは蛍じゃない。
たぶん私たちの方だ。

最後に
もし見る機会があるなら、ぜひ蛍を見てほしい。
ちょっと面倒でも、少し暗い川沿いでも、行く価値はある。
何かいいことがあるかもしれない。
忘れていた感動を思い出すかもしれない。
あるいは、
夜道で突然ダッシュしたくなる
走蛍性が発症するかもしれない。
その時は、仲間です。
今日も皆さんが楽しく笑顔で過ごせますように♪
いってらっしゃい♪
