太平記 現代語訳 30-1 足利兄弟の和睦なるも、戦乱の気運強し

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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人間、志を同じくする者どうしであれば、たとえ遠隔の地に離れていようとも、あたかも隣人のごとくに心が通いあうもの、ましてや、同じ父母から血を受け、運命の浮沈を共にし、毎日近くにいて親しんできた足利兄弟。

高師直(こうのもろなお)・師泰(もろやす)の不義を罰せんがために、弟は兄に対していったんは軍を向けたものの、その目的が達成された今となっては、骨が肉から離れてしまうような心を、兄弟が抱き続けるはずがあろうか。

かくして、足利尊氏(あしかがたかうじ)と足利直義(ただよし)との間に和睦が成立、尊氏は播磨(はりま)から、義詮(よしあきら)は丹波・井原(いはら)の岩屋寺(いわやでら:注1)から、そして直義もまた八幡(やわた:京都府・八幡市)から上洛とあいなった。

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(訳者注1)石龕寺(兵庫県・丹波市)の別名。
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三人、共にめでたく京都に帰還の後、「和平のしるしに、まずは酒宴を一献(いっこん)」という事になった。しかしながら、つい先日まで続いてきた兄弟間の確執(かくしつ)ゆえ、「これまでの事は全て、キレイサッパリ水に流し」とは行かなかったようである。互いに交わす言葉も少なく、盛り上がりを欠いたまま酒宴は終ってしまった。

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足利直義は元来、仁義の道に沿った行動を常に心掛けてきた人、世間の人々のそしりの声を憚るがゆえに、権力闘争に勝利したからといってすぐに、天下の政治を執る最高権力者のポジションに復帰してその威勢を振るい、というような事は無かった。

しかし、世間の人々の心は、直義の意向とは無関係に、いやおうなしに動いていく。以前にも増して、彼は重要人物視され、衆人から仰ぎ見られる存在となっていった。いきおい、直義派の家臣たちの威勢もまた、折に触れ、事に触れ、いやが上にも高まっていかないはずがない。

足利直義邸の門前には連日車馬が立ち連なり、そこに出入りする者は、あまりの混雑に身を側めてそこをくぐり抜けるしかないほど、賓客(ひんきゃく)は毎日堂上に群集し、へり下って礼をし、かしこまっている。まさに直義の身辺、「再び巡りきたったわが世の春」の観を呈している。

ところが、そのさ中、突然の不幸が彼を襲った。

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