太平記 現代語訳 6-2 楠正成、再起す

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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元弘(げんこう)2年(注1)3月5日、北条時益(ほうじょうときます)と北条仲時(ほうじょうなかとき)が六波羅庁(ろくはらちょう)の南庁と北庁の長官に任命されて、鎌倉からやってきた。ここ3、4年は、常葉範貞(とこはのりさだ)が一人で南北双方を兼務していたのだが、常葉が強く辞意を表明したので、というような事情であったようだ。

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(訳者注1)[新編 日本古典文学全集54 太平記1 長谷川端 校注・訳 小学館]の注によれば、この二人が六波羅庁の長官に就任したのは、実際には、元徳2年(1320)であり、元弘2年(1332)ではない。
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楠正成(くすのきまさしげ)は昨年、赤坂城で自害し焼死したように見せかけ、その後、潜伏し続けていた。そのカモフラージュにすっかりだまされた鎌倉幕府は、彼の本拠地一帯の土地を、湯浅定佛(ゆあさじょうぶつ)を地頭に任命して守らせていた。

河内国ではもう騒動など起きないであろうと、タカをくくっていた幕府をあざ笑うかのように、同年4月3日、楠正成は、500余の軍勢を率いて、にわかに湯浅の居城へ押し寄せ、息もつがせず攻めまくった。

城中の兵糧準備量が乏しかったからであろうか、湯浅定佛は、自分の領地、紀伊国・阿瀬河(あぜがわ:和歌山県・有田郡・有田川町)から、人夫5、600人ほどを使って兵糧を運搬させ、夜の間に城へ運び入れさせようとした。

この情報をどこからともなくキャッチした正成は、さっそく部下を兵糧運搬ルート中の要害ポイントへ送り込み、その兵糧を全部ぶんどってしまった。

楠正成 よぉし、オマエラな、まずはその俵から米、完全に出してしまえ。米出したらなぁ、かわりにそこに武器入れるんじゃ。

楠部隊一同 ほいほいー!

楠正成 どうやぁ、入れ終わったかぁ。よぉしよし、ほいでやな、その俵を馬に背負わせてやな、人夫らにひかせて湯浅の城へ向かわせい!

楠部隊リーダーA おかしら、わてらは、どないしたらえぇんや?

楠正成 兵糧運搬の護衛隊になりすまして、ついて行けぇ!

楠部隊一同 よっしゃぁ!

彼らは湯浅軍メンバーになりすまして、城中へ入ろうとする。城を取り巻く楠軍メンバーたちは、彼らを追い散らそうとするフリをして、追いつ返しつの戦いを展開。

脚本and演出・楠正成のこのヤラセの戦闘ドラマに、湯浅側はまんまとひっかかってしまった。

湯浅定佛 兵糧を運搬してきた我が軍のもんらが、敵に襲われとるやん、はよ、あいつらを応援したれぇ!

かくして、湯浅側は城中からうって出て兵糧運搬隊を護った結果、「招かれざる人々」を城の中へ引き入れてしまった。

何の苦もなく城の中に入った楠軍メンバーは、俵の中から武器を取りだし、厳重に武装した後、トキの声を上げた。それと同時に、城の外の楠軍も、木戸を破り塀を越えて攻め入った。

城の内外から楠軍に囲まれてしまった湯浅定佛は、もはやなすすべなく、すぐに首を延べて楠側に降伏した。

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降伏した湯浅軍団をあわせて、楠軍は700余騎の勢力に膨張。その後、和泉(いずみ:大阪府南部)と河内(かわち:大阪府東部)の両国を制圧、大勢力に発展。

5月17日には、住吉(すみよし:大阪市・住吉区)、天王寺(てんのうじ:大阪市・天王寺区)付近にまで進出、渡部橋(わたなべばし:場所不詳)の南方に陣取った。

和泉・河内からはひっきりなしに早馬が京都へ飛ぶ。

「楠軍、渡部橋付近を拠点とし、京都へ攻め上らんとす!」

との報に京都中騒然、武士は東西に馳せ散り、貴賤上下、周章狼狽、この上なし。

さっそく、南北両六波羅庁に、首都圏近国の軍勢が雲霞(うんか)のごとく馳せ集まってきた。しかし、「楠軍、今にも京都へ攻め込んでくるか!」と待ちかまえてみたものの、一向にその気配もない。

六波羅庁では、ミーティングが行われた。

北条仲時 楠軍が今日、明日にでも、京都へ攻め上ってくるってな情報、飛び交ってたけど。

北条時益 どうもあれは、デマだったようだなぁ。

六波羅庁メンバーB あいつら、京都攻めできるほどの、大兵力でも、ねぇんでは?

六波羅庁メンバーC あっちが攻めて来ないってんなら、こっちから押しかけてくってのはどうです? バァット攻めて、イッキに、うっ散らかしちゃいましょうやぁ。

六波羅庁メンバーD それ、えぇですぅ。

北条時益 大将には誰を?

六波羅庁メンバーE そうでんなぁ・・・ここはひとつ、隅田(すだ)と高橋(たかはし)に、まかせてみてはぁ?

六波羅庁メンバー一同 まっ、そんなとこかなぁ。

ということで、隅田と高橋の両人を六波羅庁軍の大将に任命、京都市内48か所の警護所詰めの連中や在京の武士、さらに首都圏内諸国の兵たちをあわせた混成部隊を率いて、天王寺へ向かわせた。

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