太平記 現代語訳 21-5 吉野朝・後村上天皇、即位
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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。
太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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吉野朝年号・延元(えんげん)4年(1339)10月3日、伊勢神宮へ奉幣(ほうへい)の使者を送った後、義良(よりよし)親王が天皇位についた。
古来より新天皇即位に際しては、様々の大礼が執行される事になっている。
まず、即位の日には、三種の神器が新帝に渡され、天皇即位式が行われる。
その翌年の3月には、陰陽博士(おんみょうはくし)の卜部宿禰(うらべのすくね)が、御所・紫宸殿(ししんでん)前の回廊で占いを行って、悠紀(ゆうき)役、主基(しゅき)役になる国を選ぶ。その後、諸々の儀式を執行する行事所(ぎょうじどころ)の仕事始めとなり、以降、諸官庁の神事が順次、執行されていく。
10月、新帝は鴨(かも)河原に赴き、みそぎ行をする。また、神泉苑(しんせんえん)の北に斉場を設けて、前天皇は終日、抜き穂(注1)を見る。
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(訳者注1)国郡の田地を卜定して神を作り、その年の10月に勅使を下してその稲を取る。
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その後、新天皇は、龍尾道(りゅうびどう:注2)に立てられた仮屋(これを回立殿(かいりゅうでん)と呼ぶ)内の壇上で行水を行い、礼服を着用の後、大嘗宮(だいじょうきゅう)に行く。
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(訳者注2)大極殿南庭の歩道。
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堂上では、楽士らが端正なる音律でもって「正始(せいし)の曲」を奏で、堂下では、5人の舞姫が白地に青模様の衣を着て舞い、五度、袖を翻す。これを「五節(ごせち)の宴」という。
その後、大嘗宮で御牲(おんにえ)の祭り(注3)が執行される。悠紀役および主基役となった国の国司(こくし)2人が、風俗の歌を唱えて帝徳を賛じ、童女(いんご)と八乙女(やおとめ)が、稲春(いねつき)の歌を歌って神饌(しんせん)を献じる。
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(訳者注3)諸国からの貢ぎ物を神前に捧げる儀式。
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吉野朝主要メンバーA 皇太子が天皇位を継承しはるにあたっては、こういう一連の儀式を行うっちゅうのが、古来からの慣例なんやけどなぁ。
吉野朝主要メンバーB たしかにそうですわなぁ。どれもかもごっつい大事な儀式ですよってに、一つも欠かしてはいかんのです・・・とはいうものの・・・。
吉野朝主要メンバーC 京都から遠く離れた吉野の山中の皇居ですからねぇ、何から何まで完全無欠にっちゅうのんは、とてもムリですがな。
というわけで、「形のごとく三種神器を拝するだけ」に儀礼を縮小して、新帝は天皇位に就いた。
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